コロナの一年:疲弊するドイツと謝罪する首相

目下ドイツはイースター連休の真っただ中であるが、今年は祝日が一日増えるところであった。本来なら毎年キリストの受難日である金曜日(Karfreitag)から始まり、蘇りの日曜日(Ostersonntag)と月曜日(Ostermontag)までがイースター連休なのだが、今年連邦政府はその前日の木曜日も祝日にすることを、いったん決めたのである。本来なら平日である日を国が例外的にその年だけ国民の祝日にするなど、私がドイツに住み始めて30数年間一度もなかったと思う。これはもちろんコロナ感染対策であり、今年はイースター連休に引っ掛けて国民が出勤せずに家に籠る日を一日増やそうとしたのだ。昨年のイースター連休はコロナ第一波対策のロックダウンの真っただ中であったため、予約していた休暇旅行をキャンセルせざるを得なくなった人たちが多かったようだが、その分今年こそは出かけるぞと楽しみにしていた国民が少なからずいたことであろう。だがこの期待は見事に裏切られ、今年はいくら祝日の日数は増えても国の内外問わず旅行を控えてなるべく動かぬよう、親戚が集まることも避けるようとの国民へのお達しが発表されたのは323日のことであった。法的にどうなのかという点を別にしてもいきり立ったのは経済界であり、本来平日である木曜日までがいきなり祝日とされれば経済的損失はどれほどになるかとの苦情が殺到したものと思われる。なんと連邦政府は早くもこの翌日に、前日の決定を取り下げたのである。一体政府は何をやっているのだ!という、振り回される国民の怒りと信頼喪失を予期したのであろう、この日「木曜を祝日にするという決定は取り消します。木曜は平日のままにおきます」とプレス発表した際に、メルケル首相は、ドイツにおいては実に珍しいことをした。国民に文字通り謝ったのである。「誤りに気づいたらすぐに誤りと認めねばなりません。そして直ちに修正しなければなりません。今回の誤った決定はすべて首相である私一人の責任です。国民の皆さんに余計な混乱を招いてしまったことをお詫びします。どうぞお許し下さい(Ich bitte Sie um Verzeihung)」と、メルケル首相はテレビカメラを前にして述べた。首相が政策の誤りを認めたのみならず、文字通り国民に「許しを乞うた」という出来事は、この日ドイツでは大々的に報じられた。一般にドイツ人にとって「謝罪」の重みは日本に比べてはるかに大きく、謝るという行為は「だから私はこの点でどう責められても仕方がないのだ」と覚悟することでもある。一国の首相が国民に対して謝罪し、この責任は自分一人にあると認めた意味は従って大変大きく、ドイツ国民にとってもこれはめったに起こらぬ驚くべき出来事であったのだと思う。16年近くに及ぶメルケル政権を襲ったこれまでの大きい危機、2008年の金融危機の時も2011年の脱原発の時も2015年の難民危機の時も、メルケル首相が謝るという場面は一度もなかった。そして今回メルケル氏が見せたこのジェスチャーは、高潔な態度として国民には好意的に受け入れられた。

 

しかし、である。このようなことが起これば大甘になる(と私が思う)日本人であれば、これをきっかけにメルケル氏や連邦政府への支持率が急上昇しそうなところだが、ドイツ人は厳しい。メルケル氏の謝罪は受け入れる、だがこれという策がないままに無用に国民を振り回している連邦政府のやり方はもはや支持できないとばかり、この直後のアンケート調査ではメルケル氏のキリスト教民主・社会同盟(CDU/CSU)の支持率は一気に7%急落し、ほとんど同政党史上最低レベルの28%という悲惨な結果となった。もっとも、メルケル政権が国民の支持を失ったのは、今回の早まった政策の誤りのせいばかりではない。コロナ危機がドイツ社会を揺るがせ始めて一年余りが経った今、ドイツ国内の空気はがらりと変わってしまった。一年前感染対策として最初のロックダウンを始めた当初、「指示通りにしますから、メルケルさん、どうぞしっかりお願いします」と言うかのように90%を超える国民が連邦政府の施策を支持し、全員で危機を克服しようという連帯感、一体感から醸し出される良い空気に包まれていたドイツが、今や「政府の政策を支持する」と答える国民は30%台にまで落ち、代わりにメルケル政権ではこの危機は乗り越えられないのではないかという不信感が蔓延しているのだ。ドイツはくたびれている。国民は、ただひたすらに自粛を言われ、クリスマス前から約3か月も続いていたロックダウン第二弾が3月に入ってようやく一部解除され始めたかと思いきや、学校にせよ店舗にせよこのところまた完全閉鎖に戻されそうな気配だ。頼みの予防注射は思うように進行せず、いつまで経ってもトンネルの出口の光が見えない。何より、大きい経済的心理的ダメージを受けながら国民がいくら頑張っていても、変異ウィルスによる第三の波のせいで3月上旬からドイツではまたも感染者数や死者数が急上昇に転じている。この状況で国民は不満のはけ口を探し、本当にそれが連邦政府の責任であるかどうかはともあれ、今の政府ではもう駄目だ、どうやらメルケル首相には危機対策はできないのだ、という空気が広がりつつあるのである。

 

メルケル氏を弁護するなら、コロナ危機に対する氏の姿勢は最初から今の今までずっと一貫していることが挙げられる。当初からメルケル首相は国民に「この問題は深刻に捉えるべきです。夏に一時的に状況が改善したとしても、寒くなればウィルスは必ずまたぶり返します。どうぞ、コロナを決して軽視せず、慎重に慎重を重ねて下さい」と警告し続けてきた。そして公平に見てこのメルケル首相の警告は正しく、氏自身は全くぶれていなかったと言える。だがその反面、連邦政府が取った政策はどっちつかずのものが多く、決断も遅ければ必ずしも一貫してもいなかった。何より当初はそのスピードが讃えられていた財政援助が二回目のロックダウンからは大きく遅れ始め、苦情が押し寄せるようになった。特に、休業を強いられた店舗経営者への救済金支払いの遅れは決定的で、資本力のない小さい店舗から次々倒産が始まるなど、様々な側面でのオルガニゼーションのまずさが目立ち始めてきたのである。この遅れの原因は、支援金を騙し取ろうとする詐欺の横行に備えて申請条件や手続きのハードルを高くしたことにあると言われている。金銭的にはそこまで追い詰められていない店舗であっても、いつから営業してよいのか、今開けても数日後にはまた閉めなくてはならないのかなど先のことが皆目分からない状況に置かれれば、経営がどれほど難しくなるか想像できるというものだ。このような経済上のトラブル以外でも、今現在大きい問題になっている事柄は、少し見回しただけでも次々挙げられる― ①3月上旬以降のコロナ第三波は、感染力の強い変異ウィルスのせいで、特に20代の若者世代を中心に感染者数の増加スピードが第一波(20203月~5月)、第二波(202010月~20211月)の比ではなく、このままではすでに四月中に医療体制が危うくなる、②国内のワクチン不足で、第一回予防注射の接種率がいまだ10%程度と、予定をはるかに下回っている(因みに、同じ時点でイスラエルは約60%、英国約44%、米国約27%)、③州によって学校の開閉状況が大きく異なり、教育の正常化への道筋が立たない、④状況の違いから州がそれぞれ勝手に独断で決める傾向が強まり、連邦政府の求心力が失われている。毎日のニュース報道を見ていても、もっと厳しいロックダウンをせよと連呼する医療関係者と、部分的にロックダウンを解除していこうとしている州大臣の間で、連邦政府が決断できぬままにうろうろしている様子がよく分かる。

 

このままメルケル首相は国民の信頼を失って、9月の総選挙後には敗北したまま政界を去ることになるのだろうかと思うと、氏のこれまでの功績を考えて寂しい気持ちがする。今ドイツのコロナ対策が暗礁に乗り上げている理由を冷静に分析すると、①連邦制が足を引っ張っている(コロナ危機における連邦制の問題については、20201028日付記事「新型コロナで浮上してきた三権分立と連邦制の問題」参照)、②EUの共同と連帯が裏目に出ている、③ドイツ特有の、安全第一で専門家の意見を取り入れて決めようという慎重さが仇になっている、との三つの要因が浮かび上がってくる。注目すべきは、これら三つの要因とも本来はドイツの長所、強みであるのに、コロナ危機ではこれがすべて裏目に出てしまっているという点だ。私自身がメルケル首相や連邦政府を正面から批判する気になれないのは、そのせいである。連邦制を取っているので国の中央政府が掛け声一つで全体を動かすということができず、必ず16州の同意を必要とするがために何を決めるにも時間がかかり、また時間をかけても何も決まらない状態が続いている。ワクチンの数が不足しているのは、EUを通した加盟国間の平等かつ公平な分配を待っているからであり、EUの製薬会社への注文にトラブルが発生したことから、加盟国全体が世界他国に比べて遅れを取ってしまっている。そして、どうやら欧州医薬品局(EMAEuropean Medicines Agency)より厳しく慎重な検査を実施しているドイツのワクチン研究所(Paul-Ehrlich-Institut )が、EMAで無条件で認可されたワクチンにも不安材料を見つけ「待った」をかけたために、ドイツでは必要以上に予防注射の実施スピードが遅れているという事情もある。(ワクチン普及の詳細については、202123日付記事Brexitに続く“ワクチン戦争”-EUと英国の関係はいかに?」参照)これら三つの要因は、それ自体批判されるべきものではないだけに、速やかに正すことができないのだ。

 

その間にも、国民に謝罪したメルケル首相はジャーナリストたちの恰好の標的になり続けている。著名なジャーナリストが政治家を問い詰める公共テレビ局のトーク番組(ARD2021328日放映“Anne Will”)では、招待したメルケル首相を前に聞き手のヴィル氏がいきなり、「コロナ政策ではこれまでもうまく行かなかったことは沢山あるのに、なぜ今回に限って国民に謝罪したのか」と聞いていた。これに対し、「不十分だったり期待したほどうまく行かなかったこれまでの政策一つ一つについて謝罪するつもりはない。今回謝ったのは、簡単には実現できないような事柄を決定事項としてしまい、それによって国民を動揺させ不安にさせたことに対してだ」とメルケル首相は回答し、本人の中では、どこまでが首相である自分の責任かについてはっきり線引きがなされていることが見て取れた。その後メルケル氏が「連邦も州もあらゆる対策を講じる用意はあるものの、私から見ると今はまだそれらのどれも第三波を止めるに十分な方策とは思えない」と発言したために、このインタビュー番組は翌日からまた、「メルケル首相、無策を告白!」と言った調子でメディアにでかでかと取り上げられた。だが私自身はこの一時間にも及んだインタビューを聞き、メルケル首相がもうこれ以上「謝る」つもりはさらさらなく、いつもの理性的な冷静沈着さと楽観的な前向き姿勢で指揮をとり続けるつもりいることが分かって、正直なところほっとしたのである。 

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