大学生のための奨学金制度と教育の機会均等

所得格差と社会層の分断がコロナ禍にあってますます問題視されてきているドイツだが、その中で教育の機会均等は、ドイツでは一見実現されているように見える。何しろ小学校から大学まで、授業料が無料なのだ。子供をわざわざ授業料がかかる私立学校に入れる親もいるが、そのようなケースはいまだ少数派であり、かなりの富裕層に限られる(たとえば、2019年時点で私立小学校に通っていた生徒は全体の3.6%)。小学校もその後の学校も原則公立のドイツでは、義務教育期間(9年生=中学3年生まで)を超えて大学を修了するまで授業料がかからない。子供が学校に通っている間に親が支払うのは、遠足や修学旅行などの行事、特別な教材やコピー代など、その時々でかかる実費のみである。大学に入れば半年に一回「学期料(Semestergebühr)」を納めねばならないが、これは授業料ではなく、大学側の事務手続き料金とその大学がある自治体や州の統一公共交通料金の半年分(注:つまり学生は、学期料を納めることで自動的に、大学所在地周辺地域のフリー定期券を半年分購入することになる)を合わせた料金であり、大学によって差はあるものの半年で45万円を納めるのが平均的なところであろう。それ以外に払わねばならないものはない。国立大学ですら授業料が年間50万円以上かかり、加えて入学金を数十万円も支払わねばならない日本から見ると、ドイツはこの意味で天国のように思えるかもしれない。しかしそれでも、ドイツの若者が誰でも金銭的に簡単に大学に行けるわけではない。大学に入れば多くの若者が親元を離れて自活することになるので、生活費がかかる。仕送りをする余裕のない家庭もあるし、生活費を稼ごうと本人がアルバイトを増やして学位が取れるほどドイツの大学は甘くない。たまたま地元の大学に入り親元から通うことになったとしても、就職せずに勉強を続ける子供を簡単に養い続けられる家庭ばかりではない。こうして、金銭的理由から大学進学を断念せざるを得ない若者を救うために1971年に連邦政府が導入したのが、Bafög と呼ばれる国の奨学金制度である。まだ全国の大学生総数が50万人にも満たず、現在(300万人弱)よりはるかに少なかった時代の話である。

 

Bafögとは「連邦職業教育促進法(Bundesausbildungsförderungsgesetz)」の略で、発足当時は100%返金不要の奨学金として、本人の学業成績には関係なくただ本人自身や親の経済状態から困窮レベルだけを審査して、毎月支給されるものであった。導入当時は大学生の約45%、ほとんど二人に一人がこの奨学金に助けられていたという。学生が一か月生活するのに最低必要と思われる金額を満額とし、学生自身の収入や親からの支援があればその分を満額から差し引いて毎月支給するというのが原則であった。45%という数字からも分かるようにこの頃のBafögは大いに利用され、従って大学教育の門戸を希望する全員に開くという当初の目的を十分に果たしていたと言える。だがその後、Bafögのせいばかりでなくドイツ経済の急成長のおかげで大学生の数が年々急増していく中で、Bafögにも、学生にとっては改悪としか言いようのない改革や時代に合わせた調整が繰り返されることになる。1970年代半ばからすでに、Bafögは「返金不要の奨学金」から「一部返金しなければならない貸付金」に変わっていき、1982年のヘルムート・コール(キリスト教民主同盟)政権下では学生たちの抵抗にもかかわらず、無利子ではあるが全額返済しなければならない貸付金扱いとなった。結果的にこの後1980年代には、Bafögを利用する学生の率は18.3%にまで落ちる。わずかながら改善されたのは1990年で、この時から支給された金額の半分は返金不要、残りの半分だけが貸付金として後日返金要、と改められた。この点は今現在も同じである。学生たちにとって大きい改善がなされるのはその10年後、ドイツ社会民主党と緑の党の連立政権下の2001年であった。この年「職業教育促進改革法(Ausbildungsförderungsreformgesetz)」が施行され、貸付金扱いになる金額には上限が定められて学生たちが後日国に返さねばならない金額は多くても1万ユーロとされるなど、その他にも学生にとって有利な方向に条件が改善される。その後も幾度か時代に合わせた形で細かい金額の見直しや調整がなされて今日に至るのであるが、では今現在どういう状況かというと、2020年にBafögの援助を受けた学生の率はこれまでの最低となる11%にまで落ちている。導入当初とは大学生の総数が6倍に増えているので、受給者の人数で比べれば当時より増えていることになるであろうが、それにしてもこの11%という数字はどう解釈すべきか。連邦文化省はこれについて、ドイツ就労者の平均所得が上がり奨学金の助けを必要とする家庭が減少したという楽観的分析をしているが、全く反対の立場から、この11%という数字が今の大学生の窮状を表していると解釈している人々もいる。彼らによれば、Bafögをもらえる条件が厳しくなり申請しても却下されるケースが増えた、あるいは貸付金という借金を背負うことを恐れて申請できない学生が大勢いる、というのである。

 

1971年にBafögがスタートして今年は丁度50周年になるため、このところメディアでもこのテーマが取り上げられていたのだが、その中で特に注目されたのが、50周年を機に再びこの奨学金制度の大きい改善を求める目的で昨年末に立ち上げられた複数の学生団体による運動、“#Bafög50”である。彼らはいくつかの具体的な要求を明確に掲げている― ①Bafögがスタートした1971年当時のように、全額を「返済不要の奨学金」にして欲しい、②現状ではBafögをもらえる条件となる両親の所得レベルがあまりに「貧困過ぎ」て、低所得者層家庭でもその上限を超えてしまうケースが多いので、この条件はもっと緩くして欲しい。この二点は、まさに支援が必要なのに申請できない大学生が多いという背景からの要求である。もう一つ、彼らが要求している大きな点は、③学生が生活するのに毎月必要な額として計算されている基準額が低過ぎる、今の時代の現実に合っておらず、今すぐ大きく引き上げることを要求する、というものだ。現在のBafögの満額(上限)は25歳以下の学生の場合月に752ユーロ(現在の為替レートで約97,000円)であるが、満額をもらえる学生は少なく、2020年の平均受給額は574ユーロであったという(教育・社会経済研究所FiBsの調べによる)。一方でドイツの大学生が実際に必要とする生活費は年々上昇しており、都市による違いは大きいものの月に1000ユーロは超えると計算されている。生活費の大部を占めるのは家賃であり、大都市であればあるほど近年の家賃上昇は留まるところを知らず、それがちっぽけな一部屋を借りようという学生たちにも重荷になっているのである。(たとえば家賃が恐ろしく高いことで有名なミュンヘンであれば、シェアハウスの一部屋だけですでに平均家賃が月600ユーロ近くになる。)学生側の訴えをまとめるなら、Bafögの中身はもはや時代に合っていない、申請が受け入れられ運よく平均受給額をもらえた学生でもこの額では毎月必要額の半分程度を埋めるに過ぎず、残り半分は自分でなんとか調達しなければ生活できないことになる。そもそも申請が受け入れられるケースは相当な「貧困家庭」に限られるので親からの仕送りは期待できず、アルバイト時間を増やさざるを得ない、その結果なかなか学位取得に至らず年数ばかりがかかり、結局Bafögを受給する権利すら失う(注:給付期間は原則的に、各専攻の学位取得までの通常所要学期数とされている)という悲惨な結果になるというのである。ドイツは今、連邦議会選挙を目前にしているが、ざっと見たところBafög改革を選挙プログラムに取り上げている政党はない。それは、現在300万人弱いる大学生のうちBafög受給者が30万人少々に過ぎないと考えると、どの政党にとっても有権者のターゲットグループとするには小さ過ぎるせいであろうとメディアでは言われている。それとも、子供の将来の教育費負担を考えて第二子を断念する夫婦もいる日本から見れば、ドイツの学生たちのこの程度の金銭問題は贅沢と映るであろうか。

 

しかしここでもう一度、教育の機会均等という視点からドイツの大学を眺めると、実は奨学金制度だけでは解決できない大きい断絶が社会の中にできていることがわかる。ドイツには、子供の学歴レベルを決定するのに家庭の経済事情以外にもう一つ大きい要因があることが見えてくるのだ。それは親の学歴である。2019年末にEU統計局(Eurostat)が集計したデータがあるのだが、それは両親の学歴とその子供の将来の経済状態との相関関係を数値化してEU加盟国間で比較したものだ。それによれば、両親の学歴が低い(義務教育の9年間のみ)場合にその子供が将来貧困から抜け出せなくなる可能性は、EU加盟国平均では51.3%であるのに対してドイツは60.9%と平均を上回り、これは当時28か国の加盟国の中で7番目に悪い数字であった。つまりドイツでは親の学歴が低いとその子供の60%が将来貧困に陥る、というのである。「学歴が低い=所得が低い」という公式は必ずしも当てはまらないであろうが、まだ大学進学率が低く手工業のマイスター制度が社会に定着していた昔の時代と比較すると、若者世代の半分以上が大学に進む今の時代(2020年の数字では54.8%、ただしこれらの大学生の3分の1近くが学位を取得せぬまま中退しているのが日本との違い)は、この公式の妥当性も大きくなっているであろう。更にドイツ大学・学問研究センター(DZHW)の調査結果によると、ドイツでは、少なくとも片親が学士号を取得しているとその子供の79%が大学に進学しているのに対し、両親共が学士号を持たない場合はその子供の大学進学率は27%に落ちるという。そして後者の子供の大学進学を阻んでいるのは、必ずしも奨学金で解決できる家庭の経済状態なのではなく、学歴に対する親の無関心と無知であるという事実が、ドイツではすでに長らく問題視されているのである。子供の将来にとっての教育の重要性を理解しない親が、子供が自分で判断できるより前の段階でその子供から大学進学という選択肢を摘み取ってしまっているということだ。誤解のないように言うなら、ここで問題にされているのは「皆が大学に行くべき」というような価値観なのではなく、自分の意志や希望が芽生える以前に大学の門がすでに閉ざされてしまっている子供が多くいるという事実なのであり、この意味でドイツの教育の機会均等はとても実現されているとは言えないのだ。そして昨年来のコロナによる学校閉鎖期間に、子供の教育格差はまた一つ大きくなったと言われている。家庭学習の期間が長く続いたために、教育への関心が高い親と低い親の間で、子供の学習態度や知識の習得に大きな開きができてしまったのだ。もともと子供の教育に関して学校が引き受ける部分が日本に比べてはるかに小さい(と思われる)ドイツ、また学校以外で勉強を見てくれる塾などの場が日本に比べてはるかに少ないドイツでは、その分家庭が引き受ける役割が大きい。そして今コロナのせいで、家庭による差がこれまで以上にはっきり見えてきたのである。 

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