メルケルさん、探偵になる(新刊紹介)

 今春出版されて以来、国内複数のベストセラーリストに入り、書評や作者インタビュー記事があちこちの新聞に掲載されているユーモアミステリーがある。これがなんと、メルケル首相が政界を引退し、夫と共に住所をベルリンからドイツ東部の小さい田舎町に移した(と仮定した)後の年金生活をフィクションにした内容のミステリーなのだ。「ミス・メルケル ‐ ウッカーマルクの殺人(David Safier: Miss Merkel ‐ Mord in der Uckermark, Rowohlt Verlag, 2021)」という本であるが、ウッカーマルクというのはポーランドとの国境にあるドイツ東部の一地方の名前、「ミス・メルケル」という標題は、もちろんアガサ・クリスティの素人名探偵「ミス・マープル」をもじっている。作者のダ―ヴィッド・ザフィア氏は、主にユーモア小説で現代ドイツのベストセラー作家に数え入れられている人だ。ミス・マープルをもじったタイトルや副題に入れられた「殺人」という語を見るまでもなく、書店やインターネットでこの本を目にした人には、表紙の漫画イラストからすぐに、これがメルケル首相が探偵になる話であることが分かる。表紙には、メルケル氏の似顔絵人物がシャーロック・ホームズの鳥打帽をかぶり、手に虫眼鏡を持っているイラストが描かれているのである。たまたま少し前に作者のインタビュー記事を読んでいた私は、最近書店でこの本を見かけつい衝動的に買ってしまった。ザフィア氏の他の作品は読んだことがなかったのだが、この本にはどうやらこれまでのメルケル氏の政治家としての体験や、首相時代に出会った世界の著名な政治家たちとのエピソードがちりばめられ、面白おかしく語られている風だったので、そこに惹かれたのである。そして実際にこの本は、暇な時に寝転がって読むタイプの面白おかしい娯楽小説だった。期待通り、この小説の主人公メルケル氏の回想の中には、たいていは皮肉やジョークの形でドイツ内外の大物政治家の名前が次々出てくるのだが、その一方で、そのような過去のエピソードがこの本の中心になっているわけではない。それよりも作者の関心は、政界を引退し有名人の舞台から降りたメルケル氏がその後の人生を一体どうやって満たしていくのか、メルケル氏だったらどう生きていきたいと思うであろうか、という点にあることが分かる。作者個人が抱いているメルケル氏に対する実に人間的な関心が、ストレートに出ているのである。そして、おそらくメルケル氏の好み、日常的な習慣、ご主人との関係といった、公にされることがほとんどなかったために国民に知られていない点をザフィア氏はかなり調べたのであろう、そういう調べ上げた(と思われる)細かいプライベート情報にフィクションの飾りつけをして、ザフィア氏はメルケル氏の性格、話し方、思考方法、人との接し方を、一般に国民が抱いているメルケル・イメージを壊すことなく再現し、無理なく小説の主人公に写し取ることに成功している。

 

本筋は他愛のないミステリーであり、ウッカーマルク地方の小さい田舎町で起こった単純な連続殺人事件を解決する話であるが、解決する当人が引退後の年金生活者メルケル氏なのである。メルケル夫妻は、20219月の総選挙の結果新政権が成立した後で首都ベルリンを離れ、新しく始まる年金生活の土地にこのウッカーマルクの静かな田舎町を選び、夫婦で引っ越してきて6週間目、というのが冒頭の設定だ。メルケル氏の夫で量子化学者のヨアヒム・ザウアー氏は、メルケル氏の配偶者として公の場に引っ張り出されることもあったためドイツ国民に顔は知られているものの、プライベートなことはほとんど知られていない。だが、学者肌で自分自身は政治を含む俗世間から距離を置きながらも、おそらくはメルケル氏が唯一本音を漏らせる相手として大きな愛情と誠実さで、激務の渦中にあるメルケル首相を背後で支えてきたのであろうとは想像できる。そして作者が(おそらくは)虚実ないまぜにして形成したこの配偶者ザウアー氏の像、そして作中の二人の会話や仕草から窺われる夫婦の関係は、いかにもそうであろうと思わせる自然さなのだ。たとえば、「アーヒム」という愛称で呼ばれている作中のザウアー氏が回想するエピソードに次のようなものがある。ある年のG7の晩餐会に配偶者として出席するよう言われ会場ホテルに向かったザウアー氏が、ホテルの入り口で咎められ「アンゲラ・メルケルの夫です」と言っても冗談だと思われて追い払われた、という話なのだが(さすがにこれはフィクションだろう)、追い払われた後でザウアー氏はホテルと隣接する公園の陽だまりのベンチに座り、近くのパン屋で買ってきたカツサンドを食べながら「今宵がこんな素晴らしい晩になるとは思いもしなかった」と幸せを噛みしめる、というオチになっている。これなどはいかにもあり得たエピソードに思えるのだ。また、メルケル氏が政界を引退した日にザウアー氏は、妻に一匹の小型犬、鼻ペチャのパグをプレゼントするのだが、それは犬を怖がるメルケル氏が小さい愛玩犬を飼うことで犬に慣れることができるようにという配慮からであった。そして作中のメルケル氏がこの犬につける名前が「プーチン」なのだ。なんでもメルケル氏が犬が苦手であることを知ったロシアのプーチン大統領は、かつて嫌がらせで、メルケル氏と対談する場にわざと黒い大型犬を連れ込んで歩き回らせたという逸話があり(この真偽のほどは私は知らない)、それを根に持ったメルケル氏が鼻ペチャのチビ犬を「プーチン」と呼ぶことにするのである。メルケル夫妻はこうして犬のプーチンを連れて東部の田舎町に引っ越すのであるが、それは、老後は好きな山歩きなどを楽しみながらのんびり過ごそうというという二人の間のかねてからの合意に基づいた決断であった。だがその一方で、これまで世界の中心で日々采配を振るい、解決すべき難題に次々取り組んできたメルケル氏が、果たして大都会ベルリンに別れを告げ、取り組むべき課題を失った後に訪れる静かな隠居生活で満足できるであろうかという懸念は、夫婦二人共がひそかに抱いていた不安であった。だから、この田舎町でたまたま起こった殺人事件に作中のメルケル氏は、これぞ自分が解決すべき新しい課題!と飛びつき、作中のザウアー氏は心配しながらも妻の捜査に付き合うことになる、というストーリーなのである。

 

殺人事件の犯人捜しの過程でメルケル氏が取る方法を、作者はメルケル氏が首相時代に取得したテクニックとして解説している―

にっちもさっちもいかなくなったら、別の角度から問い直すのだ。和平への関心はなさそうなのにロシアの大統領がシリア和平交渉の場に現れるのであれば、一体その意図はどこにあるのだ? G7がいつもひどい結果に終わるのであれば、そもそもG7なんて止めてしまえばいいのではないか? と問い直したように。(第33章より)

(嘘の誓いを立てた時)これをやったのはこれまでの人生で一回だけだ。金融危機のまっただ中でドイツ国民に、『皆さんの預金は安全です』と請け合った時以来である。(第37章より)

こうして作中のメルケル氏は無事事件を解決する。だがミステリー仕立てになってはいても、結局のところ作者の関心も読者の関心も本筋の謎解きにはない。それよりも、16年も首相を務め世界を飛び回りあらゆる衝突や摩擦を体験し、時に国民の批判の矢面に立ちながらドイツを牽引してきたような人物は、一体引退後どういう生活を望むのであろう、何をしたいのだろう、という点にあるのだ。そして作中のメルケル氏は最後に望むもの、欲しいものを見つける。ここはもちろんフィクションに過ぎないのだが、作中のメルケル氏が望むのは、元首相としてではなく普通の市民として一つの共同体(つまりこの田舎町)の価値あるメンバーになることであった。そしてそのメルケル氏が欲しいと願ったのは「自分の気持ちを素直に話せる女友だち」、あるいは「自分が見守り面倒をみることのできる誰か」であり、これを作中のメルケル氏は最後に獲得してストーリーは完結する。この結末に読者はよかったよかったと思うわけであるが、まあ読者のそんな関心は、本物のメルケル氏には「放っておいてくれ」といったところであろう。

 

この小説を発表した後で作者のザフィア氏はあちこちからインタビューを受けるのであるが、よく聞かれたのが、なぜ他の政治家ではなくメルケル氏を主人公にしたのか、であった。これに対して氏は二つ理由を挙げている。(以下は、2021322日付Frankfurter Allgemeine 紙のインタビュー記事より)一つは、メルケル氏が自然科学者として冷静かつ分析的に事柄にあたる点、そして事実を重んじあくまで理性的に対処しようとする点が「探偵」に相応しいと思われたこと。そしてもう一つは、「ミス・マープル」や「刑事コロンボ」同様に、メルケル氏は最初の段階ではほとんどいつもマッチョで自己顕示欲の強い男性政治家たちにみくびられてきたこと、過小評価されてきたことにある、という。一見冴えない探偵があっと驚く活躍をする前提条件を、メルケル氏が満たしているということだ。事実作中では、メルケル氏が、「いつもみくびられてきたから、そのように扱われることには慣れているし、それをうまく逆手に取る方法もとっくに身に着けた」、あるいは「エゴ丸出しの男共の扱いは心得ている」などと心の中でつぶやく場面があちこちにある。次に多く質問されたのは、なぜ本人引退前からメルケル氏の引退後の生活を書き始めたのか、であるが、これはどうやら偶然であったようだ。昨年はコロナで予定されていた仕事が延期され突然ぽっかりと時間が空いたため、とザフィア氏は言っているが、その一方で「ミス・メルケル」はシリーズ化も考えられており、実際今すでに二作目にかかっているという。作者いわく、実際にメルケル氏が引退後、たとえば国連の要職など相変わらず世界を舞台にした大きい地位と職務を得たとしたら、自分の本はパラレルワールドになってしまい書きにくくなるので、「今の内に何でも書いてしまおう」という気持ちもあるとのことである。この本の出版後にメルケル首相から何かコメントが来たか、という問いに対してザフィア氏は、「さすがに今メルケル氏は、忙しくてそれどころではないだろう」と答え、メルケル首相からはまだ何も反応がないことを明かしていた。 

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