投稿

8月, 2021の投稿を表示しています

メルケル政権16年間の総決算:ドイツはどう変わったか

総選挙まであと一か月を切った今、テレビでも選挙関連番組が増えており、各政党の動き、政治家インタビュー、有権者の意識調査などが盛んに報じられている。一方で今回の国政選挙には「 16 年間続いたメルケル政権の終わり」という側面もあり、この 16 年の間にドイツはどう変わったのか、メルケル政権下で改善された点、悪化した点、解決されぬまま次政権に引き継がれる問題は何か、といった点に注目した番組も多く作られている。国連データセンターには Human Development Report Office という部署があり、ここでは毎年国連加盟国のデータを分析しては相互比較し、 Human Development 指数を出して世界ランキングを作っている。比較の基準項目は三つ― ①平均寿命、②教育年数(国民が職業教育も含めて実際に学校に通った年数の平均)、③経済的豊かさ(国民一人当たりの GDP )であり、 2020 年のランキングではドイツは 189 か国中 6 位であった。(参考:米国 17 位、日本 19 位、フランス 26 位)これは誇れる順位であろう。更にこのランキングの担当責任者によれば、ドイツの強みは、 2008 年の金融危機を経て一時的でも発展が止まる、あるいは後退した国が多い中で、ドイツだけは折れ線グラフが順調に上昇を続けている点だという。アンゲラ・メルケル氏が連邦首相に就任した 2005 年と今現在を比べると、実際に多くの数字が改善しており、昨年来のコロナ・ショックをひとまず脇に置くと、一見ドイツはこの 16 年間全体的に良い発展を遂げてきたように見える。だが、これは表の顔である。国連のデータはあくまでその国の平均値を扱っているに過ぎず、教育年数にしても経済的豊かさにしても国内の格差が拡大しつつあるのが今のドイツで、平均値だけを映す表の顔の裏には暗い現実も隠されているのだ。その現実に光を当てて、本当のところ今ドイツはどういう状態にあるのか、本当の意味でメルケル政権の 16 年間はドイツ国内をどう変えたのかを浮き彫りにするドキュメンタリー番組が最近放映された。公共テレビ局 ARD によるルポルタージュ「焦燥、不満、分裂?( Ungeduldig, unzufrieden, uneins ?)」( 2021 年 8 月 23 日放映)がそれである。これは、ドイツが現在

ドイツの公共放送局の姿

昨年末、ドイツの公共テレビ・ラジオ放送局の受信料値上げをめぐって、ドイツ東部のザクセン・アンハルト州でちょっとした事件が持ち上がった。ドイツの公共放送局の財政は住民が世帯ごとに支払う受信料から成り立っているが、 2013 年以来毎月 17,50 ユーロ(約 2200 円)であった受信料を今年から 86 セント(約 110 円)値上げしたいということで、昨年放送局側が各州に申請を出していた。受信料は全国統一でなければならないので、各州の議会でこの値上げ案は可決されねばならない。そして本来なら、この案はどの州にあってもすんなりと議会を通るはずであった。実際に 15 の州ではすぐに可決されたのであるが、最後の州、ザクセン・アンハルトで州議会が議決を放棄するという事態が生じる。連立政権を作っている三つの与党間で賛否が割れたからであるが、こうして 16 州の合意が得られず値上げができなくなった公共放送局側は、この一件を憲法裁判所に持ち込まざるを得なくなる。政治が放棄した決断を、司法に求めたのだ。そしてその判決が下りたのが、先日、 8 月 5 日であった。放送局側は値上げの根拠として、①公共放送局に求められる質の高い番組作りに、値上げが不可欠であること、②州が値上げを拒絶することは、基本法第 5 条で認められている「報道及び放送の自由」の侵害にあたること、の二つを挙げたのであるが、憲法裁判所はこれを全面的に認めた。判決の骨子は次のようなものであった―「各州には、放送局が引き受けている任務を果たすに十分な財政上の前提を整える責任がある。州がそれをせず、放送局の基本的権利である財政要請が満たされないなら、それは放送の自由を侵すことになる」。また、放送局が必要とする財政については、「受信料をいくらにするかは、政治的関心とは無関係に決められねばならない。政治サイドは必要とあれば公共放送を改革することはできるが、改革と財政干渉を混同してはならない」と述べ、一言で言うなら、政治が公共放送の財政に直接口を出してはならぬことを明らかにしたのである。原告の放送局側はこの結果に大満足を表明し、こうして受信料は今年の 7 月付で値上げされることになった。同時にこの判決は、ただ受信料の値上げを認めたのみならず、民主主義社会において公共放送が担っている役割をこれまで以上に重んじ、その立場を強化する判決だ

3人のロシアの若者たち - 運命が変わったこの1年

丁度今から 1 年前の昨年 8 月、ロシアの反体制政治家でプーチン大統領の強敵であるアレクセイ・ナバリヌイ氏の毒殺未遂事件が起こった。ドイツの病院で一命を取りとめたナバリヌイ氏が、今年 1 月にモスクワに戻った途端ロシア警察に逮捕され、 2 月初旬の一方的な裁判で 2 年 8 か月の禁固刑判決を受けたこと、その後収監された刑務所で様々な嫌がらせを受けては本人もハンガー・ストライキなどで抵抗を続けたことは、多くの国で報道されたであろう。しかし、今ナバリヌイ氏がどうしているのかについては、関心の高いドイツでも時折刑務所内の監視カメラに映った氏の姿や、本人が発信しているソーシャルネットワーク上のコメントや写真が報道されるぐらいで、実際のところどういう目に遭っているのかはよく分からない。氏の釈放を訴える EU の再三の要求にもプーチン大統領は、「法を犯して裁かれた者は、どうすることもできない」と全く取り合わぬままに来ている。そんな中、 8 月 2 日、ドイツの公共テレビ局 ARD は 30 分間のルポルタージュ「毒を盛られて‐ナバリヌイ事件はロシアをどう変えたか」を放映した。番組の中心に据えられたのは、いずれも 20 代後半の 3 人のロシアの若者たちである。 3 人の軌跡は交わらないものの、彼らには、ナバリヌイ氏毒殺未遂事件に端を発したロシアのこの 1 年間で自分の運命が大きく変わった、という共通点があった。 ARD 局の取材班はこの 3 人のロシア市民を 1 年間追いかけて、彼らのその時々の心情を聞き、 1 年経った今彼らがどういう地点に立っており何を考えているのかを報告する番組を作ったのである。「これは、彼ら 3 人の物語である」という言葉で、このルポルタージュは始まっている。   一人は、クセーニアという名前の 28 歳の女性。彼女は昨年 9 月に行われたロシアの統一地方選挙で、人口 50 万人を超えるシベリア西部の都市トムスクの市議会議員に立候補した。ロシア政府を批判する反体制側の党から出馬した彼女を応援するために、ナバリヌイ氏も 8 月半ばのある日モスクワから駆けつける。そして、この夜宿泊したトムスクのホテルでナバリヌイ氏は衣服に毒を仕込まれて、翌日モスクワに戻る途上の航空機の中で発病するのである。毒を盛られる直前にナバリヌイ氏と会っていたクセーニアさん

「アフガニスタン撤退は、われわれが敗北を認めたということ」

2002 年初頭にアフガニスタンに出兵し、その後 20 年間近く同国に駐留していた連邦防衛軍( Bundeswehr )が、今年 6 月末に最後の兵の引き揚げを完了した。 5 月 1 日からすべての NATO 駐留軍が引き揚げを開始したのだが、これは、 4 月半ばにまず米国が 2021 年 9 月 11 日(注:米国内イスラム同時テロの日から数えて 20 周年記念日)までの米軍引き揚げを NATO に通告してきた翌日に、 NATO で行われた理事会決議に従ったものだ。ドイツの連邦防衛軍もこれに従うことになり、他国同様すぐに引き揚げ準備に入っていたのである。この 20 年間、ドイツは計 16 万人の兵士たちをこの地に送り込んできた。原則的に各人の駐留期間は 4 ~ 6 か月であり、兵たちは次々交替していた。 20 年間の派兵にドイツが費やした費用は 12 億ユーロ以上、この間に亡くなったドイツ兵士は 59 人、うち 35 人が敵のテロや攻撃で死亡、あるいは戦闘の中で戦死した。 2002 年から始まる最初の 13 年間、連邦防衛軍は「 ISAF (アイサフ:アフガニスタン国際治安支援部隊)」に参加し、その主要任務とされたアフガニスタン政府活動支援と国内の治安維持に努めた。このミッションは 2014 年末に終了するが、その後 NATO の新たなミッション「レゾリュート・サポート( Resolute Support )」がスタート。これに参加すべく連邦防衛軍も引き続きアフガニスタンに留まり、 2015 年からは主にアフガニスタン兵士自身による自国軍隊結成への助力と地元兵士たちの教育・訓練指導、更に幅広く当地に民主社会を確立するための相談役のような役割を務めてきた。この「レゾリュート・サポート」の枠内でアフガニスタンに留まったドイツ兵士の数は最後の時点で 1100 人に上っており、外国軍として連邦防衛軍は米軍に次いで二番目の規模であった。しかし米軍及び NATO 軍の撤退が始まるや、危惧された通り、あちこちの地方で一度放逐されたイスラム原理派タリバーンが舞い戻り、その前進が活発となる。すでにアフガニスタン政府軍がタリバーンに制圧された地域もその数を増やしている。これまでアフガニスタン政府を守ってきた外国軍が完全に撤退してしまったことで、今後この国がまたタリバーン支配に後戻りし

メルケル首相の置き土産

  7 月半ば、メルケル首相はワシントンのホワイトハウスにバイデン大統領を訪れた。これは、間もなく首相の座を退くメルケル氏の「お別れツアー」の一環で、最後の訪問先が米国だったのである。バイデン大統領がホワイトハウスに欧州首脳を迎えるのは今回が初めてということであったが、そのバイデン氏がメルケル首相に最大級の敬意を表明したことが報道された。いわく「メルケル氏の首相就任期間には歴史的な意義が認められる」、「メルケル氏はドイツと世界に画期的な功績を残し」、「常に正義の側に立ち人間の尊厳を守り続けた」といった調子で、「貴方がいなくなることを私は本当に残念に思う」とも付け加えたという。「貴方は(ドイツ首相就任期間中に)米大統領を 4 人も体験したのだから、ホワイトハウスについては私より精通しているでしょうね」とのジョークも飛び出すバイデン大統領の暖かい歓迎に、メルケル首相もさぞやいい気分になっただろうと想像されるが、その後米国記者たちが、メルケル氏自身の体験から具体的に「過去 4 人の米大統領比較コメント」を引き出そうとしても、いつもの通りメルケル氏はその手には乗らず、「確かに私は 4 人の方々全員と共同記者会見を行ったことがありますが、それぞれの会見をどう感じたかは皆さん次第です」とかわしたということだ。(以上、 Frankfurter Allgemeine Zeitung 2021 年 7 月 16 日付記事「メルケル首相のバイデン大統領訪問」より)さて、メルケル氏のこのワシントン訪問は「お別れ訪問」とは呼ばれたものの、実際には、バイデン大統領との対談テーマに欧州と米国間の重要議題がいくつも持ち込まれていた。気候変動対策、対中国政策、デジタル化とデータ保護の問題などと並んで、中でもかなりの上位に位置づけられていたのが Nordstream 2 をめぐる米独の軋轢をどう解決すべきかという問題であった。   EU がロシアと共同でバルト海に建設している天然ガスパイプライン Nordstream 2 については、このブログでも時々報告してきた。これは、天然ガス世界市場におけるシェア第一位のロシアのガス供給企業 Gazprom 社と EU の 5 企業が共同で行っているプロジェクトである。 EU からすれば、今後増加する欧州の天然ガス需要を、地上の通過料金不要の海底パイプ

ドイツから見た東京五輪

  「無観客なのは全然気になりません。集中して全力を尽くせるかどうかが問題で、その他のことはどうでもいいです」、「コロナは心配です。私たち自身は東京五輪のプレイブックに則って行動していますが、他国の選手たちが必ずしも全員守っているわけではない」、「オリンピック村から出るシャトルバスがぎゅう詰めなのが気になります」、「オリンピック村の宿舎は 50 ㎡のアパートに 6 人で寝泊まりしていて、これもぎゅう詰めです。ユースホステルみたいで楽しいですけど」― これらのコメントは、東京オリンピックが開幕した後で、ドイツ公共テレビ局の報道班が東京に設けた中継スタジオに、時々ドイツ選手を招いてインタビューした際に出てきた選手たち自身のコメントである。ドイツ人はこういう時概して大人しく、ルールをよく守り、あまり文句を言わない。少なくとも報道で伝えられる限り、ドイツの選手団から東京五輪のオルガニゼーションに対して大きな苦情が出たという話はない。特別な状況下での開催であることを十分理解し、ともあれ開催され自分が参加できてよかったという喜びの方が大きいようだ。それでも「満員のシャトルバスに詰め込まれるけれど、感染リスクは大丈夫か」、「 50 ㎡に 6 人というのはいくらなんでも狭すぎるのでは?(注:ドイツの感覚で言えば、 50 ㎡のスペースに詰め込まれるのは多くても 3 ~ 4 人まで。ドイツでは難民収容施設でも、バスルームやキッチン抜きで大人一人当たり 10 ㎡が基準になっている)」、「自分の競技が終わったら 48 時間以内に出国しなければならないのだが、同じ種目チーム仲間の応援すらできないのはとても残念」といった不満や不安は、選手とインタビュアーの会話の端々から窺われた。ドイツでは、年齢に関係なく誰でもが受けられるよう対コロナ予防注射を 6 月から成人国民全員に解禁したが、それより少し早く、連邦政府が今年 5 月にはオリンピック選手が予防注射を受けることを可能にし、また受けるよう勧めたせいもあって、選手団の 95 %までが予防注射を済ませていたようである。そのため東京入りする際には、ドイツのオリンピック関係者が東京のコロナ状況を特に危惧していた様子はなかったし、東京五輪への参加の是非が議論になったことも一度もなかった。   そもそもドイツでは開幕間近になるまで、東京五輪について