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ロシア毒殺未遂事件で始まったポーカーゲーム

8月にロシアで起こったナバリヌイ氏毒殺未遂事件について、ドイツのある新聞は、これはロシアと西欧の関係にとって「縁までいっぱいになっていた樽の水を溢れさせる最後の一滴となった」と表現していた。確かにここ数年ロシアが西側の神経を逆撫でした事件は、簡単に思い出せるだけでも片手に余る。2014年ウクライナ紛争時のクリミア半島侵攻、2015年シリア戦争でアサド大統領を支援し軍事介入、2015年ドイツ連邦議会へのサイバー攻撃と翌年2016年の連邦政府中枢部ネットワークへのハッキング(この二件に関してはロシア人容疑者が逮捕されたが、裏でクレムリンが糸を引いていたのではないかという点は疑惑のままに終わっている)、そして2016年には米大統領選への関与疑惑もあった。昨年2019年8月にはベルリン市内中心部でジョージア国籍の人物が射殺される事件が起こったが、被害者はかつてチェチェン独立紛争において対ロシアで戦った指揮官であり、その後逮捕された犯人がロシア人であったことから、クレムリンが送り込んだのではないかとの疑惑が残った。そして今回の、ロシア反体制運動家アレクセイ・ナバリヌイ氏毒殺未遂事件である。これも、「毒殺=ロシアの手口」という公式が刷り込まれているドイツから見ると、またか、という事件であり、元諜報部員、亡命者、反体制派と、これまで複数のロシア人、ロシア関係者がロシア国外で中毒死、もしくは毒によることが疑われる不審死を遂げている。最も記憶に新しいのは2018年3月に英国ソールズベリーで倒れているところを発見された元諜報部員セルゲイ・スクリパリ氏とその娘の毒殺未遂事件であり、この時も使われたのが今回と同じ神経剤ノビチョクであった。これらの毒殺及び毒殺未遂事件の共通点は、どれもクレムリンの関与、あるいはプーチン大統領の直接指示が色濃く疑われながら、決め手となる証拠がなく最終的にうやむやになってきた点である。今回被害者のナバリヌイ氏は、ロシアの病院からベルリンの大学病院に移された後体内から神経剤ノビチョクが使われた形跡が発見されたわけだが、これについてロシア側が、ロシア国内での診察時には見つからなかった毒がドイツに移送された後で見つかったのだからドイツの仕業なのではないか、と指摘したことが報道された。これには、おお、やはりそこまで言うかと、そのいかにもプーチン的、確信犯的図々しさに今…

EU、ドイツ、そして政治家の真価が問われる難民問題

ほとんどやる気がないのではないかと思われるほどノロノロだらだらやっていたEUの尻に、文字通り火が付いた。9月8日から9日にかけての夜に起こった、ギリシャのレスボス島難民キャンプの大火災である。レスボス島は、最も近い海岸線で測るとトルコからわずか10数キロしか離れていない。従って2015年以来、大勢のシリア難民がトルコの海岸からゴムボートでこのEU圏内の島レスボスを目指した。だが、2016年3月にEUとトルコの間で協定が結ばれ、トルコはEUから巨額の支援金を受け取る代わりにギリシャとの間の国境警備を強化して、シリア難民がトルコからEUには渡らないようにするいう内容の取り決めがなされる。こうしてその後実際に、トルコから非合法にEUに入ってくる難民数は大きく減少した。つまり難民たちはトルコの難民キャンプでEUからの合法的入国許可を待つことになったわけであるが、その後EUに対するトルコの不満は大きくなっていく。EUによる合法的な難民受け入れが遅々として進まないこと、そして協定中で金銭以外の大きな条件に掲げられていた点、トルコからEUに入国する際のビザ廃止及び、トルコのEU加盟準備を進めるといった点をEU側が延期しており全く実現する気配がないことを、トルコが非難し始めたのである。後者に関しては、エルドアン大統領下のトルコが民主化にはほど遠い状態であり、EU加盟条件を満たしていないという根拠がEU側にもあるのだが、いまだに難民を合法的に迎え入れる態勢がEU側に整っていないという点は、トルコの言う通り事実である。トルコが受け入れている難民総数はすでに約400万人に上っており、この数はEU全体で受け入れている難民総数を上回るらしい。トルコの不満ももっともなのだ。こうしてトルコは、非合法にギリシャに渡ったために本来ならトルコに送り返されるべき難民の再度受け入れを拒み始める。それだけではなく今年2月末には、一方的にギリシャへの国境を開いてしまい、その結果また数千人の難民がトルコからギリシャに渡ることになった。こうして、レスボス島のモリアという村に作られた難民キャンプはどんどん膨れ上がっていった。もともとは収容人数3000人を予定されていた土地に一時は20000人以上、直近でも12000人以上が収容されていたということで、モリアはEU最大の難民キャンプになっていたのである。そして、この…

この喧嘩の仲裁は、さすがのドイツにも荷が重い

このところのドイツメディアの報道で、変だなと思うことがある。目下大事件のはずのギリシャとトルコの争いについての報道が少ないことだ。確かにベラルーシの民主化運動、ロシア反体制運動家の毒殺未遂事件、それに国内のコロナ問題と、ここ数週間大きい事件が続いているという事情はあるものの、8月以来東地中海で繰り広げられているギリシャ対トルコの喧嘩は、もはや「またか」と見過ごす段階を超えて一触即発の大変危うい状態にあり、これは本来、欧州の注目を一手に集めておかしくない事件である。そしてEUや、EUの動きの鍵を握るドイツは、今何等かの形での仲裁を迫られている。何しろギリシャはEUの境界に位置する国であり、また本来は、ギリシャもトルコも揃ってNATOに加盟する同盟国同士なのである。そのような両国がぎりぎり戦闘の一歩手前といった状態にあるのだから、EUもドイツも悠長に眺めている場合ではないのだ。ところが私の見たところ、この一件はあまり大々的にドイツのメディアで取り上げられていない。新聞はともあれ、テレビやラジオのニュースでは、断片的な情報が後から入ってくる程度に留まっている。一方でギリシャ国内ではどうかというと、先日たまたまドイツに長く在住しているギリシャ人の友人とこの話をする機会があったのだが、その友人の話では、ギリシャ国内は大騒ぎであるという。ギリシャでは、自国の権利の正当性を早く国際司法裁判所(International Court of Justice)で明白にしてくれとEUに要求する声が高まっている、ということだ。だが一体なぜ、ドイツ国内ではこの件が大きく報道されないのだろうか。この理由を考える前にまずは、東地中海を舞台にした今回の両国の諍いの経緯を振り返ってみる。ギリシャとトルコが「宿敵」と呼ぶに相応しい関係にあることはよく知られていても、そのもともとの原因は世界史を勉強したことのある人でないと思い至らないかもしれない。なにしろ両国の敵対関係の根を探ろうとすると、悠に500年は歴史を遡らねばならなくなるからだ。手短に言うなら、1453年にオスマン帝国がビザンティン帝国(東ローマ帝国)を滅ぼして以来延々と続いた征服と独立戦争の歴史である。20世紀に入り第一次世界大戦後、1923年のローザンヌ条約によって、オスマン帝国の領土を放棄することと引き換えにトルコ共和国が誕生。同時に、…

民主主義の濫用

前回、メルケル首相の“夏の記者会見”をテーマに取り上げた際、この会見の翌日の土曜日、8月29日にベルリンで繰り広げられた反コロナ対策デモとその後の騒動についても言及したが、問題の週末が明けるや、ドイツのメディアはこの事件を大きく報じ始めた。そしてその報道の中にたびたび登場したのが、「民主主義の濫用(der Missbrauch der Demokratie)」という言葉である。一体この日ベルリンで何が起きたのか、まずはその詳細から報告する。政府のコロナ規制を「国民の自由を奪う違憲行為」とみなして異議を唱える人々の反コロナ対策デモは、8月に入って急速に全国に広まった感があるが、もともとこのデモを始めたのは、シュトゥットガルトの市民運動団体“Querdenken 711”である。Querdenkenというのは「物事を斜めから見て考える」という意味で、これに付け加えられている“711”という数字は、シュトゥットガルトの電話番号の地方局番から取ったということだ。この団体は今年4月、政府がコロナ感染を抑えるためにロックダウンを始めた頃、外出自粛や店舗の閉鎖、イベントや集会の禁止といった数々の規制に反対し、この規制を解くよう政府に要求するためだけに立ち上げられ、以来この要求を掲げたデモを主催している。一見、規制に息苦しさを感じた一部の市民が文句を言うだけの無害な運動にも見えるこのデモは、最初から政治家や警察、社会学や法律関係の専門家たちのアンテナに引っかかった。このデモが、ナショナリズム政党AfD(ドイツのための選択肢党)をはじめとする反政府イデオロギーを掲げる右翼団体や、コロナ陰謀説信奉者、あるいは反予防接種主義者(注:ドイツには以前から、反西洋医学の立場から予防接種を徹底的に嫌い、自分の子供にも絶対に予防接種を受けさせない親が一定数おり、医者、医学者が警鐘を鳴らしている)の温床になるのではないかと危惧されたためである。こうしてデモの届け出が出された都市の警察署や秩序局は、一般市民がこのデモを通して極右団体に取り込まれることを恐れて、主催者である“Querdenken 711”を呼び事前調査を行うのが常であった。この日8月29日に首都ベルリンでのデモが計画された時も、当初はベルリンの警察署が一度禁止したのだが、直前になって管轄の裁判所が許可する判決を下したために禁止がひっく…

「メルケルさん、『私たちにはできる』ってもう言わないんですか?」

8月28日、ちょうど日本で安倍首相が記者会見を開き辞意を表明していたその同じ日、ドイツではメルケル首相の定例“夏の記者会見”が行われていた。“夏の記者会見”とは、メルケル政権下で伝統となっている毎夏の行事であり、連邦議会が休会期に入っている夏のどこかの時点でメルケル首相が90分間時間を取り、その時点でドイツが直面している内政・外交問題について記者たちから次々投げかけられる質問に答える、というものだ。メルケル政権が15年目を迎えた今年、この伝統的夏の行事も15回を数える。今年の記者たちの第一の関心は、もちろん新型コロナ対策であった。冒頭10分弱をかけて、まずはメルケル首相が連邦政府及び首相としての今後の対コロナ姿勢を説明。更にEUが目指す方向にも言及したが、その後ただちに記者からの質問が始まった。そして早くも最初の質問で、メルケル首相へのあてこすりとともに、今のドイツ社会の危うさを暗に指摘する内容の質問が飛び出し、私の関心を引くこととなった。「首相は5年前、この場で、『私たちにはできる』を繰り返しましたが、今コロナ禍の真っただ中にある状況では、もはやこのせりふは仰らないのでしょうか。仰らないとしたらそれは、当時首相のこのせりふが社会を分断してしまったことの反省からでしょうか。」2015年と2016年にドイツにいた人間ならほぼ全員が一度は耳にしたのではないかと思われるほど有名な文句、「私たちにはできる(Wir schaffen das)」は、2015年秋、ドイツを目指してバルカンルートを北上して来た難民の波に対してドイツが無計画、無制御のまま国境を開いてしまった後で、何度も何度もメルケル首相の口から発せられたせりふである。当時、あまりにも多くの難民が押し寄せたため、南ドイツの国境はもちろんのこと、受け入れ態勢が全く整っていない中で何百人、何千人の難民受け入れを迫られた地方自治体や役所は文字通りパンクして、悲鳴を上げた。そんな時にメルケル首相はこのせりふを繰り返しては、自らの信念と決断の正しさを主張し続けたのである。結果的に、メディアがその後も幾度となく引用したせいで最後には独り歩きを始めてしまったかのように思われるメルケル氏のこのせりふは、当時のドイツ国民に勇気を与えると同時に、一部では反感を呼び起こすことにもなった。メルケル氏の政党CDU(キリスト教民主同盟)と、そ…

ドイツ社会をほんの少し変えた二人の大学生

8月18日、連邦憲法裁判所(Bundesverfassungsgericht)がある訴えを棄却したことが小さく報道された。憲法裁判所という司法機関は日本人には馴染みがないが、この裁判所は、日本の最高裁判所にあたる連邦裁判所(Bundesgerichtshof)からも独立して存在し、その役割は憲法(ドイツでは「基本法(Grundgesetz)」と呼ばれる)を守ることにある。他の裁判所のように訴訟に持ち込まれる個々の件に判決を下すのではなく、持ち込まれた事柄をドイツの基本法に照らして、それが合憲か違憲かを判断することがこの憲法裁判所の務めなのである。そしてこの裁判所が違憲と判断すれば、それまでに他の裁判所で下されたどんな判決も覆されることになり、その意味で憲法裁判所は法治国家ドイツの最上位に位置する司法機関であるとも言える。この連邦憲法裁判所に、20代半ばの二人の女子学生がある事柄の合憲性判断を求めて訴えを持ち込んだのは、昨年11月のことだった。カロとフランツィというのが、この二人の若い女性たちの名前である。二人ともミュンヘンの大学生で友人同士、そして時々夜、自分たちが住むミュンヘン近郊の町の大手スーパーを回り、閉店後にこれらの店の大型ごみコンテナーを覗いては、そこに廃棄されているまだ食べられそうな食品(主に野菜や果物、パンや乳製品)を取り出しては持ち帰っていた。これらの食品は彼女たち自身が食べることもあったが、十分に食料品を買うゆとりのない他の学生仲間に配ったり、時には教会などホームレス支援組織や低所得者向け食品配給センターなどに持って行ったりもしたという。カロとフランツィの意図は、まだ十分に食べられる食品は廃棄されてはならず、有効利用されるべき、つまり食べられるべきだ、だから必要とする人間たちのもとに届ける、ということにあった。事実、おそらく他の多くの先進国同様にドイツでも、まだ食べられる食品の大量廃棄はよくクローズアップされ、これまでも問題視されてきた。ドイツ国内の食品廃棄量は、一般家庭と食料品店舗や飲食店など商業施設を足すと、年間に1800万トンにも上ると言われているのだ。EUの中にはフランスに代表されるように、すでに法律で商業施設の食料品廃棄を禁じている国もあるが、ドイツではまだそこまでに至っていない。カロやフランツィに限らず、ドイツでは特に食料品店のごみコ…

ベラルーシ騒乱とロシアの思惑

ここしばらく、新型コロナの感染状況と並んでドイツのトップニュースとなり、テレビのニュースでも毎晩報道されているのが、8月9日のベラルーシ大統領選挙が引き起こした同国国民による反ルカシェンコ抗議運動である。今回も“約80%の票を集めた”として当選したアレクサンドル・ルカシェンコ現職大統領は、1991年のソ連崩壊以来過去5回行われた同国の大統領選で常に勝利してきたが、これまでもその不正選挙 - 有力対立候補の逮捕、票集計時の不正、自分に都合の良い選挙法の制定、本来なら誰も過半数に達しなかった時に行われるべき二者対決選挙の廃止、など - は内外から批判されてきた。だがそれでもルカシェンコ大統領がこの事実上の独裁体制を維持できてきたのは、経済的に破綻しそうなベラルーシを、EUとロシアを両天秤にかけてうまく立ち回ることでなんとかここまでもたせてきた、あるいはこのところは天然ガスをめぐりロシアに接近し、一部プーチン大統領の言いなりになりながらその経済支援を得てきたためである。ベラルーシはポーランド、リトアニア、ラトビアと国境を接しているが、2004年5月にポーランドとバルト三国が揃ってEUに加盟しEUの範囲が東方に拡大して以来、文字通りEUとロシアの狭間に落ち込んで孤立するような形となった。ベラルーシの南はやはり政情不安なウクライナであるが、ウクライナの方は長年EU加盟を目標としていることもあり、2009年にはEUの“東方パートナー国”に指定されている。これに基づいてウクライナとEUの間には2014年以降、自由貿易を含む経済・政治上の協力関係を内容にした連合協定が次々結ばれ、その後ロシアが介入する内紛に発展したものの、EU加盟への前段階にはすでに到達していると考えられている。だが一方でベラルーシはと言えば、貿易相手国としてEUを無視するわけにはいかず、だが天然ガスではロシアに依存せざるを得ない状況の中にありながら、EUにもロシアにも反感を露わにするルカシェンコ大統領の発言が目立ち、EUとロシアの間をのらりくらりしている印象が強い。そしてEUから見ればベラルーシは、その民主主義にほど遠い国家体制や人権無視の政治から、極めて問題の多い国ということになる。こうして8月9日、ベラルーシではいつものように“出来レース”の大統領選が行われ、いつものようにルカシェンコが“圧倒的勝利”を収め…