「マイホームを持とう」

 経済力でEUを牽引しているドイツだが、そのドイツがEU加盟国の中で最下位に沈んでいる数字がある。手短に言えば国民の持ち家率であるが、この数字は正確に言うなら、一戸建てであれマンションであれ実際に人が住んでいる住宅総数に占める持ち家(所有者自身が住んでいる家)の率である。連邦統計局の調べによると、2019年のドイツの数字は51.1%とかろうじて半数を超えるものであった。これはEU加盟国の中で最下位である。(因みに日本は、総務省統計局によれば、2018年数字で61.2%ということだ。)EU平均は69%で、トップはルーマニアの95.8%。その後に続く国は、東欧、南欧、北欧どちらを向いてもドイツよりは高い数字を上げている。東欧で持ち家率が高いのは、前世紀末に社会主義経済から市場経済に移行する中で、国営住宅が安く国民に売却されたため。また南欧で持ち家率が高いのは、伝統的に「家」を中心にした家族観が定着しているからで、逆にこれらの国では賃貸住宅の数も少なく、イメージも質もドイツよりはるかに悪いと言われている。持ち家率だけでなく居住している人間の数で言うならば、ドイツ市民の過半数(約55%)が賃貸住宅に住んでいるという。なぜドイツ市民の持ち家率がこんなに低いのかは、複数の理由で説明されている。ドイツ経済研究所(IWInstitut der deutschen Wirtschaft)が、2019年に発表した調査研究の中で挙げているのは次のような理由だ― ①特に都市部での不動産価格高騰のせいで、裕福な実家の後ろ盾がない限り、40歳前に頭金を準備することは難しくなっている、②若い世代の大学進学率が上昇しており(注: 10年前にはまだ40%ほどであった進学率が、今や56%にまで上昇している)、その結果彼らが就職する年齢が上昇。それに応じて家族を作る時期も以前よりはるかに遅くなっており、30代で家を買おうとする人が減少している、③本来一人世帯より二人世帯(夫婦や同居カップル)の方が世帯収入が高く、持ち家に手が届き易いが、ドイツではここ20年ほど一人世帯数が上昇を続けている(現在42%)、④それに加えて、今世紀に入って住民の都市集中化が顕著になっている。ドイツ人にとって「持ち家の夢」はマンションより一戸建てのことであるが、都会の一戸建て物件の数には限りがあり、また価格が高過ぎて平均所得者には手が届かない。結論としてドイツ経済研究所は、ドイツの若い世代の大学進学率が上昇して家庭を作る時期が遅くなり一人世帯数が増える、更に、人口が都市部に集中して都市部の不動産価格が上昇するという傾向はどちらも今後ますます進むことが予想され、従ってドイツの持ち家率は今後も低いままに留まり、ドイツは「賃貸人国家(Mieternation)」であり続けるであろうと締めくくっている。

 

この傾向を危惧して、もう何年も前から国民に「家を買え、買え」としつこく勧めているのがドイツ政府である。国民の老後の備えの最善の策は、マイホームを持つことだからだ。この裏には、ドイツの年金制度が、破綻しつつあるとまでは言わないものの、かなり頼りないものになりつつあるという事情がある。ドイツの年金は、三つの柱から成っている。①国の法定年金(法で定められ、給与所得者全員が給与から天引きされる形で毎月保険料を納めている年金)、②企業年金(就労者が雇用者を通じて加入する年金制度で、雇用者が福利厚生の一つとして支援・提供している年金)、③民間の年金保険(個人が民間の保険会社などを利用して、プライベートに加入する年金保険)であるが、ここしばらく国が口を酸っぱくして国民に説いているのが、これら年金の三本柱すべてを十分に活用せよ、ということだ。この三本柱のうち、自分は何もしなくとも有無を言わさず強制的に加入させられるのは①のみであり、②と③は任意加入である。問題は、①の法定年金だけで老後が安泰と言えた時代がとっくに終わってしまい、国民各人がなるべく早い段階から任意で他の備えもしておかねば、いずれは“老齢貧困(Altersarmut)”に陥ってしまう時代に入っているということにある。これはドイツに限らず、少子高齢化が進む多くの先進国に共通の問題だ。ドイツに関して具体的な数字を挙げるなら、2000年に約53%であった“年金レベル(Rentenniveau)”が2020年には47.6%まで落ちており、今後10年間で更に43%ぐらいまで落ちると言われている。この“年金レベル”というのは法定年金の展開を可視化するための基準数値であるが、「45年間就労し、ドイツ給与所得者の平均にあたる額を稼いできた人が、その給与の何%を年金として受け取れるか」を表している。具体例を挙げてみよう。今現在ドイツ就労者の平均年収は額面にしておよそ39,000ユーロほどと言われている。つまり45年間フルタイムで就労し、所得がドイツの平均であった人が2020年に年金生活に入った場合、受け取れる年間年金額は額面で39,000ユーロ×0.47618,564ユーロ、月で割ると毎月1,547ユーロ(現在の為替レートで約20万円)程度ということになる。これが45年間就労し、所得がずっとドイツの平均値であった人間が手にする法定年金なのであり、もちろんこれは手取りではなく、ここから医療・介護保険料や税金が引かれる。またこのケースより就労年数が短かったり、あるいは所得が少なかったりすれば、その分給付額も減る。因みに年金庁が発表した数字によると、2019年時点でのドイツの男性年金受給者の平均額は月額1,139ユーロ、女性年金受給者は710ユーロであった。(注:いずれの数字も旧西独住民の数字であり、旧東独住民の数字はもっと高い。)そしてこの“年金レベル”は今後も毎年減少の一途を辿ることが分かっているため、多くの市民にとってもはや、三本柱の①の法定年金だけに頼れる時代は終わったと言える。

 

それで連邦政府は国民に、三本柱の他の柱である②企業年金はもちろん、③の「自助」の備えをするよう警告しているわけで、国民が法定年金以外の備えにも積極的になるようあの手この手を打っている。②の企業年金に関しては、2018年から施行された“企業年金強化法”で、規模の大小に限らずどの企業体も就労者に企業年金を提供できるように整え、また低所得者も無理なく加入できるようにした。目指すは、任意加入であっても最後には給与所得者全員が加入することである。一方③のプライベートの備えでは、ここ10年以上続いている低金利環境のせいで、よほどのリスクを負わない限り年金保険であれ投資であれほとんど利益を生まなくなってしまったが、国が保険料を上乗せし支援するリースター年金制度(Riester-Rente)の中の一つ、“マイホーム・リースター(Wohn-Riester)”だけは、開始した2008年以来契約数が上昇傾向にある。国が支援しているリースター年金制度には四種類があり、そのうちの二つ“生命保険型”と“銀行預金型”は低金利のあおりを受けてここ10年近く契約数は減少中。いくら国が支援してくれても、利益が少な過ぎて加入する旨味が無くなってしまったのである。三つ目の“投資信託型”もせいぜいが横ばいと言った増え方であるのに対し、四つ目の“マイホーム型”だけが順調に契約数を増やしているのだ。この“マイホーム・リースター”とは、なるべく多くの国民がマイホームを持つことを目的に、国がそれまでの三種類のリースター年金の型に後から加えた新タイプなのである。他の三つのタイプとは異なって“マイホーム・リースター”の目的は老後に年金を受け取ることではなく、いつの時点であれマイホームを持つことにある。すでにマイホームを買ってローン返済を始めている人に対してはその返済の一部を、あるいは将来マイホームを買うために頭金を預金している人に対してはその預金の一部を国が助ける、というのが原則だ。支援額や前提条件はリースター年金四タイプのどれも同じであるが、国の支援額が定年退職した後で初めて年金として戻ってくる他の三つのタイプと異なり、今マイホームを買うのに役立つこの“マイホーム・リースター”だけが今も契約者を増やしているのである。2008年に新たにこのタイプを加えた連邦政府の意図は、ある程度成功したと言えるであろう。

 

もう一つ連邦政府は2018年から、マイホームの夢を叶えようとする国民を後押しする新しい制度をスタートさせた。これは、“建築児童金(Baukindergeld)”という奇妙な名前の支援制度である。前述の“マイホーム・リースター”とはまた別に、これから自分の家を建てよう、あるいは買おうとしている人のうち、未成年の子供が少なくとも一人いる世帯に年間1200ユーロ、最長10年間援助するという内容で、未成年の子供が二人いるなら金額も二倍、三人いるなら三倍・・・と増えていく。所得の上限など細かい条件は色々設定されているが、何よりこれは最初から期限を切って始まったもので、その意味で国側も「どの程度利用者がいるか見てみよう」との試験的制度のつもりであったと思われる。マイホームをゼロから建築するのであれば建築許可が下りた日、建売住宅を購入するなら売買契約の日が201811日から2021331日までのケースのみ、この助成制度の対象となる。つまりつい先日この期限が来たわけで、この日をもってとりあえずこの制度は終了した。だがメディアの報道によれば、この間に、当初の予想を超える31万家族がこの制度を利用し、しかもそのうち3分の26歳以下の子供がいる若い家族、60%が年収40,000ユーロ以下のどちらかと言えば所得の低い層であったという。この数字からは、これまで家を持つことを計画していなかった層にもマイホームを持つことを促そうという国の意図は見事に当たったことが分かる。制度の延長を求める声も高いということだがとりあえず今はいったん打ち切られたのは、半年後の総選挙で政権交代が予想されているからであり、新政権が成立した折には再びこの制度が浮上してくるのではないかと言われている。

 

一方で、人口の都市集中化が招く諸問題はそのままだ。私が住むフランクフルト市はドイツで5番目に人口が多い都市であるが、私が引っ越してきた2002年のこの町の人口は約64万人であったのが、現在は76万人を超えている。そして他の大都市同様フランクフルトも不動産価格が急上昇しており、購入価格は過去5年で約50%増にもなっているという。だがもっと切実な問題は、普通の所得の人が支払える賃貸住宅の不足である。これはドイツの大都市ほとんどに共通の問題であり、需要が供給をはるかに上回っているため不動産バブルの下地ができているのである。だが専門家によれば、ドイツ全体で見た時に不動産バブルの危険は少ないということで、それは都市部以外では全く逆の現象、不動産余りが起こっているからだと説明されている。それはそれでまた別の問題を引き起こしており、都市に人口が集中するということは地方では住民数が減り、それに伴い交通やインターネット、医者や薬局という重要なインフラが失われていくということである。老後を考え郊外に立派な家を建てて暮らしてきた年配夫婦が、徐々に不便になる生活を見限って自宅を売り、都会にマンションを買おうとしても肝心の家の買い手が見つからない、という話はよく伝えられる。前世紀までドイツの中間所得層の夢といえば、「住むなら都会を避け、自然が豊かな郊外の一戸建て」であった。たとえ都市に勤めていても自宅は町の外がよく、出勤は車でアウトバーンか国道を使い1520分、というのが多くの人の理想であったのだが、これも今は昔の話になってしまったようだ。

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