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子供の権利を憲法にも盛り込もう

ドイツではもう長い間、子供(注:ドイツの「子供」の定義は、社会法により「 14 歳未満」となっている)の権利を明文化して基本法(ドイツの憲法)にも盛り込もうという議論が続けられてきた。もちろんドイツも 1989 年に国連で採択され翌年施行された“児童の権利に関する条約( Convention on the Rights of the Child )”に合意しており、これは 1992 年に連邦法に取り入れられている。また社会法や民法の中でも、子供の権利は保障されている。それなのになぜ、ドイツの憲法である基本法にもこれを盛り込む必要があるのかという点では、法律家の間でも長く賛否が分かれていたようである。求められているのは、基本法第一章「基本的人権」の中にあらためて「子供の権利」という新しい条文を作ることであるが、そもそもこの第一章では「人間」の基本的人権が明確に定められており、子供も「人間」なのであるから、それ以上に特別に取り上げる必要はないというのが反対派の主要意見であった。だが、子供の権利を基本法にも入れようという意見は、上述の‟児童の権利に関する条約”がドイツで施行された当初から出ていた。今の基本法の中では、第 6 条「婚姻‐家族‐子供」の第 2 項として、子供に関して次のように定められている― 「子供の世話と養育は両親の当然の権利であると同時に、何より両親が負う義務である。親の行為には、国家共同体が注意を払う。」 しかし、これだけでは基本法の中で子供の権利が十分に保障されているとは言えないのではないか、それに子供は成人と異なり、基本法中で認められている「人間」としての権利を主張することができない場合が多い、という理由から、子供の権利は基本法の中でも、一般の基本的人権とは別に独立させて新しい条項にする必要がある、というのが当初から、国内の複数の児童支援保護団体から出されていた要請であった。またその後 2010 年頃には、ドイツにおいてもカトリック教会による性的児童虐待が明るみに出たことで、子供を虐待からどう守るかが大きな社会問題として注目されるようになる。ここでまた、基本法の条文に子供の権利を加える必要がそれまで以上に明確に認識されたのである。   だが実際に政権を握る政党が、基本法における子供の権利の明文化を具体的に政権プログラムに取り入れるまで

イスラエル批判と反ユダヤ主義の境目

5 月 10 日、パレスチナ自治区ガザからエルサレムにロケット弾が発射されるや、あっという間にイスラエルとパレスチナの武力衝突はエスカレートした。その後しばらくドイツでは、このニュースが日々の報道のトップに躍り出て、コロナ関連ニュースはかなり後方に追いやられた。ドイツにとってこのイスラエルとパレスチナの争いは、決して対岸の火事ではない。 5 月 15 日にはベルリンとフランクフルトで、パレスチナ側に立つイスラム教徒市民たちによる反イスラエルデモが発生し、特にベルリンではデモ隊と警官隊が衝突して怪我人や逮捕者が何十人も出る騒ぎとなった。だが今ドイツが警戒しているのは、デモが平和な形から逸脱して暴力騒ぎになることではなく、イスラエルの行為に怒るイスラム市民たちが容易に反ユダヤ主義( Antisemitismus )に転じ、ユダヤ人への憎悪に駆られてドイツに住むユダヤ人市民に対する盲目的な攻撃に発展する危険なのだ。実際に、イスラエルとパレスチナ双方からの攻撃がエスカレートしてきたこの数日のうちに、すでにドイツ国内の複数の都市で、反イスラエルのデモ隊がイスラエルの国旗を燃やしつつ反ユダヤ主義のスローガンを掲げて大勢でシナゴーグに押し掛けようとする危険な動きが確認されている。   ドイツの政治家は、反ユダヤ主義の動きには非常に敏感に反応する。 5 月 14 日、メルケル首相は次のコメントを発表した―「連邦政府は市民のデモの権利を尊重するが、ユダヤ人への憎悪をむき出しにするためにデモを利用する者は、デモの権利を濫用している。われわれの民主主義は、反ユダヤ主義を決して認めない。中東紛争でのイスラエル政府のやり方への批判を口実に、ドイツのユダヤ人市民とユダヤ教施設を攻撃するようなことは決して許されない。」この日ドイツ連邦大統領のシュタインマイアー氏も、同じようなコメントを発表している―「ドイツ国内にいるユダヤ人市民を威嚇し、ドイツの街にあるシナゴーグを攻撃することを正当化する口実はない。・・・ドイツの町角でダビデの星の旗を焼いたり反ユダヤスローガンをがなり立てる者は、デモの自由の権利を濫用しているだけではなく、犯罪者として罰せられねばならない。」これに続きどの政党の政治家も(今回は、反イスラムの極右政党 AfD も例外的に同調している)、反ユダヤ主義に走るイスラム教徒市民た

「コロナ後」の社会は「コロナ前」より良くなる?

そもそも「コロナ後」というのがあるのかどうかは脇に置いて、全国紙 Die Zeit は 5 月 7 日付‟コロナ後の未来( Zukunft nach Corona )”という特集の中で、ドイツの様々な分野の専門家に、コロナ後の社会はコロナ前と比べてどう変貌するであろうかについての見解を聞いている。各専門家ともそれぞれの分野で特に未来に焦点を当てた研究に取り組む、いわゆる“未来研究者”とも呼ばれる人たちであり、おそらく研究者自身の期待や希望が投影されているのであろう、全員が前向きで楽観的な予想を展開していることが共通点である。彼らが描くコロナ後のドイツ社会はどういう方向に進むのであろうか。以下分野ごとにこれら研究者の見解を紹介する。(注:各発言は逐語訳ではなく、概要を日本語にしたものである。)   ①コミュニケーション (テクノロジー&イノベーション専門アクセル・ツヴェック氏) 「コロナ時代にわれわれが学んだのは、複数世代にまたがる‟家族”の重要性だ。孫が祖父母のために予防注射のオンライン予約を引き受ける、アルバイトを失った学生に親や祖父母世代が金銭援助する、などだ。助け合うことで切り抜けられるとの認識は、今後血縁関係を超えて、友人夫妻と一軒の家をシェアして双方の子供を一緒に育てるなど、家族の定義を広げた形に発展するかもしれない。また、離れた家族や友人とのコミュニケーションが主にデジタルでなされてきたコロナ時代には、われわれは、二次元画面だけを頼りに相手の心情を察することを学ばねばならなかった。それだけ相手に注意深く耳を傾ける必要があったわけで、ここで身に着けたコミュニケーションの姿勢はコロナ後も大きな強みとなるであろう。デジタルコミュニケーションで人間関係を構築することは、コロナ前よりコロナ後の方が容易になると思われる。そしてビジネスのみならずプライベートでも、直に人に会う必要性があらかじめ吟味され、回数が絞られるようになることも予想される。」   ②交通 (都市計画及びモビリティ専門シュテファン・カーステン氏) 「疫病時代の勝者は自転車である。欧州にはすでにコロナ前からとっくに自転車がトレンドとなっていた国が複数あるが、ここに至ってドイツ社会でもはっきり自転車に舵を切る傾向が見られる。これには複数の理由があるが、まず、疫病で健康の大切さに気

自由か、平等か

 共産主義独裁体制下にでもない限り、われわれは「自由と平等」をセットで言うことに慣れている。民主主義や基本的人権が浸透した社会で、まさか「自由」と「平等」が対立する概念として問題を投じてくることがあろうとは、通常であれば想像しない。だが新型コロナは昨年以来「通常」をひっくり返してきたのであり、つい先日までドイツでは「自由か平等か、どちらを優先させるか」という議論が注目の的になっていた。これは、新型コロナの予防注射をめぐる話である。   このところドイツでは予防注射のスピードが加速しており、それに伴って新感染者数も日々減少、明るい出口が見え始めてきたところである。一月前、 4 月半ばにはまだ 2 万人どころか 3 万人を超えることすらあった一日の新感染者数が、 5 月に入って 1 万人台に落ち、その後ほとんど毎日減少を続けている。あちこちに作られた予防注射センターに加えて、 4 月上旬からは一般医院(ホームドクター)での予防注射も解禁され、またワクチンの入荷も安定してきたせいで、国民の間での接種スピードがようやく軌道に乗ってきたのである。 5 月の第一週が終わった時点で、少なくとも一回目の注射を終えた国民は 3 分の 1 近くに上った。同じ時点で二回目の注射も終えた国民は、 9 %強というところであった。今はまだ年齢や職業ごとに国民をリスクグループに分け、順番に注射の予約を取っている段階であるが、今後はワクチンの入荷状況を見ながら、早ければ来月 6 月から年齢に関係なく誰でも注射の予約が取れるように全員に門戸を広げることが計画されている。連邦保健省は 8 月、遅くとも 9 月中には、予防注射を望むドイツの成人全員が二回目の注射も終えていることを目標に掲げている。さて、予防注射が順調に進み始め、特に二回目の注射を終えた人の数が増えるにつれて政界の議論のテーマに上ってきたのは、「これまで様々に制限してきた基本的人権を、注射を完全に終えた人から順番に‟返却”すべきかどうか」であった。今振り返るとドイツでは、新型コロナが登場して以来実に様々な議論が生じてきた。コロナ対策と民主主義の折り合いの悪さ、連邦制の欠点、 EU 内の連帯の問題、倫理的観点からの予防注射順番決め議論など、政治家ばかりでなく国民の多くが一言意見や文句を言いたくなる場面がこれまでにも数多くあったのであ

報道の自由と報道の多様性

  日本ではあまり大きく報道されないことがまさに「報道の自由」に反しているのではないかと私は不審に思っているのだが、国際 NGO の‟国境なき記者団( Reporters Sans Frontières )”が毎年発表する‟報道の自由世界ランキング( World Press Freedom Index )”は、ドイツでは毎回新聞やテレビニュースの中で大きく取り上げられ報道される。先月、 4 月中旬にこの 2021 年版ランキング(評価対象は昨年 2020 年の実態)が発表されたところであるが、ドイツは今回 180 か国中 13 位。 11 位だった昨年から二つ順位を落としたことが「憂うべきこと」として、同日ニュースで報じられた。順位はともあれその得点から、昨年はまだ一番上の「良好( Good situation )」グループに入っていたのが、今年は一つ下の「可( Satisfactory situation )」グループに落ちてしまったのである。グループは 5 つあり、このあと「問題あり( Problematic situation )」、「困難な状況( Difficult situation )」、「極めて深刻な状況( Very serious situation )」と続く。(日本がどこに位置しているか、ご関心の向きはどうぞ各々ランキングでご確認下さい。 https://rsf.org/en/ranking_table )今回ドイツの順位が落ちた理由については後ほど‟国境なき記者団”が発表している詳細な分析レポートを見ることにして、まずは、一体この NGO がどのような基準で世界各国の「報道の自由」度を判定しているのか、その方法を紹介しよう。   現在行われているのは、大きく二通りの調査方法でそれぞれ別個に得点を集計し、その二つの得点のうち高い方(悪い方)の点数を最終的にその国の点数にする、というやり方である。点数は小数第二位まで出されるが低ければ低いほどよく、前年に続いて今回も一位となったノルウェーは 6.72 点、最下位となったアフリカのエリトリアは 81.45 点、といった具合だ。点数を出すための第一の方法は、 NGO が、調査対象国との関係が深いジャーナリスト、学者、法律家、人権運動家、それに NGO 自身が持っている特派員ネットワークから数百人

「今」を超えた判決

  米バイデン大統領が大統領就任後まず最初に行ったのが、パリ協定( Paris Agreement : 2015 年 12 月のパリ気候会議で合意された国際協定で、「産業革命以前からの世界の平均気温上昇を 1.5 ~ 2 度未満に抑えること」を目標とした内容)への復帰であったことは、 EU やドイツを喜ばせた。今年に入り、気候変動対策担当の米大統領特使としてジョン・ケリー氏が世界を飛び回り始めたが、 4 月 14 日にケリー氏は中国にも足を運んだ。貿易戦争の激化で目下米国との関係が悪化している中国に対しても気候変動対策における協調を求め、一週間後に開かれるバーチャル国際気候会議の準備として二国間会合を持つことが目的であったが、この時ケリー氏は自分が訪れることへの中国側の公式な回答を待たず、いわば招待される前に上海空港に降り立ったことが伝えられている。気候変動対策の世界協調を何が何でも主導しようという米国の熱意が窺われる出来事だ。そして 4 月 22 日と 23 日の二日間、予定通り米国主導で開かれたバーチャル国際気候会議には世界 40 か国の首脳たちが参加したが、この場でバイデン大統領は、米国は 2030 年末までに 2005 年比で温室効果ガス排出量を半減するという目標を発表する。これは 2015 年のパリ協定合意内容をほとんど倍速にするスピードであり、この発表で、米国が本気でトランプ政権時代の方針を 180 度転換するつもりであることが世界に伝わったのである。同時に米国は、「だから世界の他国も我々に続け」との合図を発信したわけで、このバーチャル会議では中国の習近平国家主席も、ロシアのプーチン大統領も世界と足並みを揃えることを宣言した。国家間の様々な衝突やトラブルはとりあえず脇に置く形で、出席した各国リーダーたちが、気候変動問題においては一つの目標のもとに結束する姿勢を世界に示したのである。   ドイツでもこの国際気候会議の様子は、この日のトップ・ニュースとして大きく報道された。米国が掲げた大胆な目標の実現可能性はともあれ、欧州が注目したのは、バイデン大統領が発表した米国の計画が、気候変動対策を「雇用創出( Job )」と「投資( Money )」に直結させる内容であったことである。米国は、ウィンドパークやソラーパークといった再生可能エネルギー設備への投資