投票率の話

いい、悪いはともあれ、日本と比べるとドイツは国民と政治の間の距離が大変に近いと思う。最初ドイツに来たばかりの頃、周囲の人々が何かというと政治の話でおしゃべりに夢中になっていることに驚いた。当時私は留学生だったので大学内だけの話かと思ったのだが、その後一般市民として日常生活を送り出すと、近所の人との立ち話から美容院でのおしゃべりのネタに至るまで、皆実によく政治の話をすることに気づいた。とはいえ決して高尚な話をしているわけではない。日本ならさしずめ「芸能人ネタ」のおしゃべりになるところを、ドイツは政治ネタでやっているのである。深刻に考察して意見を述べるような人はごくわずかで、たいていの人々はただ自分の勝手な立場や聞きかじりの知識から、政治家や政策に一言文句や皮肉を言いたいのだ。「子供の学校の先生がよく休む」(教師不足)、「出勤時、電車がよく遅れる」(交通インフラの問題)、「引っ越したいのに手頃なアパートが見つからない」(都市の賃貸料高騰)、「なんでこんなに雨が降らないのだ」(気候変動)など「政治のせい」にされる事柄はあちこちに転がっているわけだが、時には「パートナーとの同棲を解消したら家賃が払えなくなった」など、さすがにそれを政治のせいにするのは無理だろうと言いたくなるような個人的なトラブルを政治と結び付けて訴える人もいる。この、誰もが一言言いたい、という裏には、「私が困っていることは、本来政治が正すべきなのだ」という図々しくも純朴な思い(込み)があるわけで、それはそれで考える道筋としては根本的に正しいようにも思う。今のコロナ時代にもドイツでは、「マスクするのはもう鬱陶しくて嫌だ」というだけで数万人が集まって“コロナ政策反対デモ”が展開するのであるから、その是非はともあれ、皆で文句を言えば政治は変わると考えている人が多い点は、私にはなかなか健全だと思えるのだ。サッカーの話で盛り上がるのは主に男性に偏るが、政治話なら男女年齢に関わらず誰もが口を出せる。ドイツには、ジャーナリストが政治家を招いて問い詰める番組が多く視聴率も高い。ジャーナリストが政治家から突っ込み甲斐のある発言を引き出すことに成功したり、政治家が下手な対応をしてしまうと、翌日にはメディアがこれを大々的に取り上げてまた国民の恰好な「娯楽」になるのである。また、ドイツには政治家や政治をネタにした週一回のお笑い番組(ZDF局の“heute-show”)まであり、これは正真正銘娯楽番組として人気が高い。文字通り、その一週間に起こった政界での出来事をおちょくって政治家たちを笑い飛ばす意図で作られている番組で、その内容は馬鹿馬鹿しいと言えなくもないが、その一方で、名誉棄損のぎりぎりまで個々の政治家を笑い者にするジャーナリズムの反骨精神とか矜持といったものが垣間見える番組であるとも言える。政治や政治家はドイツ国民にとっては常に批判の対象でなくてはならず(政治家を讃えるのは、本人引退後、もしくは逝去した後でよい)、国民が個人の立場から言いたい放題言えるべきもので、また同時に娯楽対象にもなり得る身近なものなのだ。

 

だから1980年代までのドイツでは、総選挙の投票率は大変に高かった。自分の生活が良くなるためには自分が支持する政党に勝ってもらわねばならぬ、という確信がそのまま選挙に反映される時代だったのであろう。投票率が85%を超えるのは当たり前、時に90%を超えていた時代もある。80%を割り始めたのは1990年の総選挙からであり、この時投票率が77.8%にがくんと下がった理由は想像できる。1982年から続いていたCDU(キリスト教民主同盟)のヘルムート・コール政権が安定してしまい過ぎて、「今回もまたどうせ変わらないだろう」との諦め、もしくは安心から投票に行く人が減ったのであろう。一つの政権が安定し過ぎると「どうしたって変わらないのではないか」との気分が広がることは、メルケル政権でも証明されている。メルケル氏の人気が絶頂にあった2009年の総選挙は投票率が70.8%と、ドイツ連邦共和国史上過去最低であった。それまでもひと昔前に比べれば投票率は下がり80%前後となっていたが、メルケル政権が安定し出して投票率は完全に70%台に落ちたのである。メルケル政権三期目となる2013年の総選挙は71.5%とワースト二位、四期目となる2017年前回総選挙は76.2%でワースト三位であった。それでも前回総選挙で投票率が多少持ち直したのは、良し悪しは別だが、ポピュリズムの右翼政党AfD(ドイツのための選択肢党)が登場してそれまで選挙に行かなかった層を呼び込むことに成功したからである。AfDはこの時の総選挙で得票率12.6%を上げて初めて連邦議会に進出したが、メディアの分析によると、AfDに票を入れた有権者の3分の1がこれまでは投票に行かなかった人々であったという。これまでの既存政党にできなかったこと、足が重い有権者を投票所まで向かわせるということを、ドイツにとっては非常に危険な極右政党AfDがやってのけたのである。

 

ドイツで投票率が話題になるのは、選挙後よりむしろ選挙前である。選挙後は投票結果の集計や分析に忙しく、投票率自体が注目され話題になることは少ない。だが総選挙が近づくと毎回ドイツでは、社会学者や政治学者、経済学者らが“投票棄権者”の実態分析を発表し始める。彼らの調査研究によれば、ドイツの“常習的投票棄権者”の主な一タイプは、「生活困窮率や犯罪率の高い地域に住む、教育レベルも政治への関心も低い若い世代」ということで、彼らの政治観には、「政治は自分の生活を変えてくれるものではない」という諦念が色濃く表れているという(経済学者ロベルト・フェアカムプ氏著書「民主主義の将来」より)。冒頭で挙げた「ドイツ人一般」からは落ちこぼれている像であるが、この層の投票率は他の有権者層より最大40%低いとのことだ。この現象についてフェアカムプ氏は、「ドイツでは民主主義にも社会格差が生まれてしまっており、従ってドイツの投票結果はもはや社会全体の民意を映したものとは言えなくなってしまった」と語っている。しかし逆に言えば、この投票棄権者層は主義主張で投票に行かない人々ではなく、民主主義のシステムに異議があるわけではない。しかもフェアカムプ氏によれば、この層は本来政治的に左とも右とも言えない「中道」と自覚されているという。つまり本来ならば、保守のCDU(キリスト教民主同盟)であれ左寄りのSPD(社会民主党)であれ、大きい政党が取り込める可能性があった層なのだ。既存の政党がこれを怠ってきたのは、彼らが効率的に多くの票を獲得するために最初からポテンシャルの高い地域や層に働きかけることに一生懸命で、投票棄権者が多い地域や有権者数が少ない地域には目もくれなかったからであり、その結果、他の政党が選挙キャンペーンに赴かない地域に足を伸ばし彼らの心を捉えることに成功したAfDにしっぺ返しをくらうことになったのである。前回総選挙におけるAfDの選挙戦略は、米国の前大統領トランプ氏の戦略と酷似している。トランプ氏が、民主党から見捨てられていた“ラストベルト地帯(Rust Belt:五大湖周辺から東海岸にかけての、斜陽産業を抱えたさびれた工業地帯を指す)”を意識的にターゲットにすることでこれらの州の票を集めたように、AfDも他の政党が足を踏み入れない地域を中心に丁寧に足を運び住民たちの声に耳を傾けた。ドイツは現在、特にインフラの点で都市と地方の格差が拡大しており、中にはブロードバンドさえ引き込めない集落がまだ存在する。前回2017年の総選挙後になぜAfDに投票したのかをインタビューされた人々からは、「私たちの村にまでやってきて色々約束してくれたのは、あの政党だけだったから」との返答が多く聞かれた。AfDは外国人排斥を大声で叫んで憚らぬ極右思想の政党だが、そのようなテーマに関心がない層からも多数の有権者がAfDに流れた理由はここにあった。

 

昔、投票率がまだ高かった時代、投票率の高さはそのまま“国民政党(Volkspartei)”と呼ばれていた二大政党、CDU/CSU(キリスト教民主・社会同盟)とSPD(社会民主党)の得票率の高さを表していた。1983年の総選挙の投票率は89.1%であったが、この時は有権者の76.8%がこの二大政党のどちらかに票を投じていたという。だが投票率が70.8%と史上最悪であった2009年の総選挙では、このどちらかの政党に票を投じた率は有権者全体の42.1%に過ぎなかった(以上の数字は、社会学者マンフレート・ギュルナー氏著「ドイツの投票棄権者」より)。同時にこの二大政党以外の他の政党に投票した人の率は、この同じ期間に、有権者全体の11.5%から29.2%に上昇している。これは、ドイツの二大“国民政党”がもはや「二大」とも「国民政党」とも呼べなくなり、その分票が割れて複数の政党の数字が拮抗してきたということを意味する。一言で言うならドイツの“選挙カルチャー(Wahlkultur)”が、特にここ20年ほどで大きく様変わりしたのである。こんな中であと5か月ほどに迫った今年の総選挙で、複数党が拮抗する傾向が更に顕著になるであろうことは十分予想されているが、投票率がどうなるか、投票率は挽回してもその分の票が前回同様にまたポピュリズムの右翼政党AfDに流れるのか、という点は蓋を開けてみなければ分からない。政権交代と並んで今回の選挙における国民の大きな関心は、AfD勢力の行方である。そのAfDは、先日411日に選挙プログラムを発表した。1)EU離脱、2)マスク義務の廃止、3)兵役義務の復活、4)ミナレット(注:イスラム寺院に付属する尖塔)建築の禁止、などが続く中、特に移民政策では「法的に可能であれば、500万ユーロ(約6億円)以上の資産を有する富裕層以外は全員ドイツへの移住を禁止したい」との意見が、党員の過半数を占めたようだ。難民の家族呼び寄せも禁止し、難民自身なるべく早く送り返すという点も党の一致した方針として挙げられたが、選挙プログラムの中では法的実現可能性を鑑みて、移民審査を極めて厳しくしてなるべく数を制限するという表現が使われていた。それにしてもこの点で「模範にすべきは日本である」との発言がこの日AfD政治家の口から出たのは、聞いていた私には何ともショックだった。 

コメント

このブログの人気の投稿

大学生のための奨学金制度と教育の機会均等

(最後の挨拶)ドイツという国

右翼出版社の存在権利