家族観の違いが行き着く先

EUのお隣の国トルコで、目下ドイツで議論されている言葉の性差別性の問題(詳細は2021223日付記事「ドイツ語は性差別の言葉」参照)など一瞬で吹き飛ばしてしまうような事件が起こった。319日の夜トルコのエルドアン大統領が、国際協定であるイスタンブール条約(Istanbul convention)から離脱することを発表したのである。その一夜が明けた翌日からすでに、トルコの複数の都市では抗議する女性たちによる大掛かりな集会とデモが始まり、今トルコは騒然としている。イスタンブール条約の正式名は、“女性に対する暴力と家庭内暴力からの保護及びこれと闘うための欧州評議会の協定”という。欧州評議会(Council of Europe)とは1949年に欧州の中にできた国際機関であり、加盟国間での人権や法治体制、民主主義の発展への協力体制を作り上げたものだ。よく誤解されるが、これはEUの組織ではなく、EUと協力関係にはあるものの全く別の組織であり、加盟国は現在欧州を中心にロシアやコーカサス諸国も含み45か国に上っている。この欧州評議会によって2011年に批准され、2014年から施行されたのがこの国際協定なのだが、通称“イスタンブール条約”と呼ばれるのは、最初に調印されたのがイスタンブールであったからである。すなわちトルコは最初に署名した中の一国であった。条約の具体的な内容としては、男女平等を憲法や法システムに盛り込み、差別的な法は廃止すること、男女平等意識を育てる教育を徹底させること、差別や暴力にあった女性が相談したり回復できる場所を増やし、心的援助、金銭援助、職の斡旋、一時的な逃げ場を充実させることなどが盛り込まれ、これに署名した国は、国内の性的暴行、強制婚、女性器の割礼、強制的な堕胎などを厳しく取り締まる義務を負う。従って一言で言うならこの条約は、女性差別意識から生じる暴力や強制行為から女性たちを守ることを国に義務付けるものなのである。夫や婚約者、兄弟といった身近な男性に殺害される女性が年間数百人に上ると言われるトルコでは、この条約は文字通り女性の命を守る最後の砦のような役割を果たしてきたのだが、この条約に署名した当初からトルコの保守派は離脱を求めていた。「この条約の内容は、トルコの伝統的家族の構造を壊し、その結束を損ない、離婚を推し進める」というのがその理由である。そして今まさにエルドアン大統領は、この同じ理由から離脱を決めた。この少し前、今年38日の国際女性デー(International Women’s Day)にもエルドアン大統領は、「女性はまず何よりも母親であり、子供にとって最初の故郷である」と発言し、そこに、女性は出勤したり町に出たりするのではなく常に台所にいるべきだという明らかなニュアンスをこめ、トルコ女性たちを警戒させていた。エルドアン大統領がいつかイスタンブール条約離脱を決めるであろうことは十分に予想されていたわけだが、今回トルコ政府の家庭相を務める女性ゼㇶラ・ズムルット氏がエルドアン大統領の決断を支持し、「トルコの法律と憲法で保障されている女性の権利で十分だ」と発言したのは、ドイツから見るとかなりショッキングな出来事であった。

 

この離脱を正当化しようとするトルコ政府側の言い分は、「トルコが他国の真似をする必要はない。女性の権利をどう守るかの解決法は、我々の慣習や伝統の中にこそある」(フアット・オクタイ副大統領)というものだが、抗議するトルコ女性たちが危惧するのは、またも女性の命が軽んじられる風潮に後戻りすることだ。トルコの「慣習や伝統」こそが女性たちの命を奪ってきたからである。トルコ政府が神聖化している“家族”とは、家父長が妻や娘の行動を決めその強大な父権による統制のもとに家族が一体化する、というものだ。これはドイツに定住しているトルコ人など敬虔なイスラム教徒家庭にも見られる家族の形で、時にそれは “名誉殺人(Ehrenmord)”事件となってドイツ社会を騒がせている。“名誉殺人”の典型的な例は、一家の娘が、その一家が望まぬ男性と一緒になろうとしたり深い関係になった(多くの場合、相手は非イスラム教徒)際に、その娘の父親や婚約者、兄弟が「家族の名誉を守るために」娘を殺害するといったケースであり、その特徴は「家族の名誉」という動機のみならず、たとえ実際に手を下した者は一人でもその後ろに一族の男性全員の合意があるという点にある。ドイツで起こればこれはもちろん殺人事件として正当に裁かれるが、トルコでは元来“名誉殺人”は減刑されていた。今世紀に入ってトルコの刑事法も改正され、法律上は“名誉殺人”も他の殺人事件同様に裁かれるようにはなったものの、モスクで“名誉殺人”を弁護する説教がなされたり、エルドアン大統領自身が「男女は同等ではない」という発言を繰り返すことで、トルコにはいまだ女性の命を守るための一貫した体制は整っていないと言える。ドイツでも、家族は社会を構成する基本単位として重要視され、特に税制や様々な国の支援制度ではまず家族に手厚い策が取られているが、ドイツの“家族”の定義は時代と共に目まぐるしく変遷している。現在連邦統計局が発表している“家族”の定義とは次のようなものだ―「家族とは、親と子が世帯を共にしているすべての形、つまり二世代から構成されているすべての形を指す。その際親世代は、両親、片親、婚姻していないカップル、同性カップル、いずれでもよく、子世代は実子、養子、義理の子、その他正式な手続きを経て引き取って面倒をみている子、いずれでもよい。」国がこのように拡大解釈している以上、ドイツでは少なくとも法的には、「血縁」だの「一族」だのといった発想はすでに過去のものとなっている。このようなドイツにとっては、今回のトルコ政府の決断はまるで欧州評議会に挑戦状を突き付けたかのような衝撃であり、ベルリンの各政党からはすでにトルコ政府を批判する声明が発表されている。

 

ここからは個人的な体験話になるが、昔会社勤めをしていた頃、同僚にイスラム教徒のエジプト人男性がいた。彼は配偶者と共に長くドイツに住んでおり、五人の子供たちは全員がドイツで生まれ育ち、ドイツの学校教育を受けていた。この同僚自身ドイツ語も英語もほぼ完璧に操り、ドイツについての広範な知識を備えていた。彼は、職場でも決まった時刻に捧げるアッラーへの祈りやラマダンを欠かさない敬虔なイスラム教徒ではあったが、その他の点では完全にドイツ社会に順応していたと言える。この同僚と私はなぜか大変に気が合って、時には仕事の後で一緒に食事に行くぐらい親しくなっていた。彼の妻がやはり大変に敬虔なイスラム教徒で、だから医者にかからねばならないというような非常時を除いて一歩も家から出ないということを聞いたのは、かなり後になってからであった。この夫婦は、子供がまだ両親のもとで同居している間は母親は必ず家にいるべきものと考え、妻の方は、決して自分から社会とのコンタクトを求めることなく、日常の買い物や子供たちの学校の父兄会なども夫に任せて自分は決して家から出ない、というのである。彼の五人の子供たちは全員がギムナジウムを経て大学入学資格試験に合格したが、そのうちの娘たち二人は特に優秀な成績で修了し、これならどの大学、どの学部でも自分が希望するところに進学できるというパスポートを手にしたにもかかわらず、ギムナジウム卒業直後(1819歳)にそれぞれ父親(つまり私の同僚)がアレンジしたエジプトの男性のもとに嫁いでドイツを去り、その後二人ともすぐに母親になったと彼が満足気に話すのも後になって聞いた。このような彼の話に、決して驚いたわけではない。こういう家庭は私が住む隣近所のトルコ人一家にも多く、男の子はまだ幼少のうちからなるべく大人の男たちと行動を共にさせ、女の子は学校の往復以外なるべく家から出さないという彼らの教育法については、しょっ中耳にしており知っていた。当時彼の話を聞いていて私の頭をよぎったのは、一体この人は親しくなった私のことをどう思っているのだろう、という疑問であった。当時私は母親でありながら、まだ小さかった二人の子供たちを夕方まで学童保育に預けてフルタイムで働いていたのである。それまで私たちの間でそのことが話題に上ったことは一度もなかったし、働く女性についての批判めいた言葉が彼の口から出たことも全くなかった。ただ自分の家庭や娘たちの教育について語る時に、彼の家族観や女性観が窺われたのである。彼自身が、これはあくまでイスラム世界の価値観に過ぎないと自覚して、ドイツ人や日本人にこの価値観を押し付けることはできないと考えていたのだとは思うが、自分にとって非常に大事な価値を共有していない人間との間に本当に心を許せる友人関係は成り立つのだろうか、と私はふと疑問に思ったのだ。これはもちろん彼の側からのみならず、私の側からはどうなのかという疑問でもある。この人とはとても気が合う、多くの点で理解し合えると思っていても、相手が本当のところは「女性はこうあるべき、母親はこうあるべき」と確信していることを知っていてそれが自分の価値観とは全く異なるのであれば、心を許せる範囲にも自ずと境界が生じる。そして家族観や女性観、男女の役割についての考え方というのは、自分はどう生きたいか、何が大事か、何を幸福と思うかに直結しているので、夫婦の間のみならず広く人間関係に影響を及ぼす事柄であろう。結局私は最後まで彼に「本当のところ、私のような母親をどう思っているのか」について聞いてみることをせず、その後転職したために彼とは疎遠になってしまった。私たちは、お互いに相手への敬意と好意を失わないために、最後まで地雷のように注意深くこのテーマを避けていたのだとも言える。私たちの関係は、相手のテリトリーに不用心に踏み込まぬよう、徹底的に意識して話題を選び平穏を守るという異文化間の交友関係だったのである。

 

ドイツの都会に住んでいると日本で考えるよりはるかに頻繁に、イスラム教徒の人々と日常的に接する機会がある。仕事の同僚のみならず、近所の人たち、子供のクラスメート、よく行く店の店員、趣味のサークルなど、イスラム教徒に出会わない方が不思議だ。相手に好感を抱き親しくなるのに国籍や宗教は関係ない。ドイツに住んでいる以上どの国籍の人間であれ原則的にドイツの法律や価値を受け入れている(はずである)から、彼らとの出会いがすぐに衝突に発展するようなことはめったにない。だがその後、徐々に親しくなり、さてこれからどこまで相手に踏み込んで理解を深められるかという段階に至った時、その伝統的家族観や女性観のせいでイスラム教はハードルが高いなと思う時が来る、というのが私がこれまで体験してきて言えることである。 

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