お隣デンマークの大胆な移民政策
ドイツの最北端で国境を接してるデンマークは、人口は580万人強でドイツの約7%、国土面積はドイツの約12%の小国だが、実はこの国は人口一人当たりGDPで比較するとEU加盟国の中で第三位の金持ち国である。(因みにドイツは2019年時点で第8位。)他の北欧諸国の例に漏れず高福祉高負担国家で所得税の高さは世界でも群を抜いているが、国民の幸福度も高い国だ。2019年末にEU統計局が発表した“EU加盟国間の国民幸福度比較調査”によると、一位フィンランド、二位オーストリアに続いてデンマークは三位につけていた。(因みにドイツは真ん中辺のEU平均あたり。)国家体制は立憲君主制を取る王国で、現在女王マルグレーテ二世を頂点としている。現政府は2019年の総選挙で勝った社会民主党が他の左派政党の合意を得て単独少数政権を取り、首相は同党のメッテ・フレデリクセン氏である。さてこのデンマークなのだが、もともとこの国は、2015年にEUを目指す難民の大きな動きが始まって以来、難民受け入れに関してはかなり厳しい政策を取ってきたことで知られている。当時のデンマーク政権は中道右派の自由主義政党ヴェンスタ党が握っていたが、同党はラース・ロッケ・ラスムセン首相のもとで右派ポピュリズム政党とも協調し、非常に厳しい難民政策に舵を切った。目標はもはや難民を受け入れて社会参入させることではなく、彼らをなるべく早く国から追い出すことに置かれ、この政権下でデンマークの難民法は幾重にも厳しく改正されている。たとえば、難民認定された者にも決して永久滞在権利は与えない、難民認定の際に高度なデンマーク語能力やデンマーク社会についての知識を要求する、金銭援助をそれまでより減額するどころか、彼らが入国時に携えてきた現金その他価値のある財産はすべて最初の段階で国が没収し、難民からのデンマーク国への“支払い”とする、などである。この厳しい政策が功をなし、デンマークへの難民認定申請者はその後毎年減少の一途を辿り、2020年時点での申請者数は1547人に過ぎなかったと報道されている。コロナのせいもあったであろうが、同年にドイツに対する申請者数が12万2000人を超えていたことと比較すると、やはり少ない。デンマークがこのような厳しい政策を取っている理由は当初から、小国であるデンマークにとっては難民受け入れにかかる負担が大き過ぎるからだと説明され、従って、デンマークは社会に余計な負担がかからぬよう、本当に社会参入が可能である以上の移民は受け入れないということを正面に掲げたのである。
このラース・ロッケ・ラスムセン前首相は実はそれ以前にも2009年から2011年まで保守の国民政党と組んで政権を担っていたが、この時に同政権が始めた政策は、ドイツから見ると驚くべきものであった。2010年からデンマーク政府は“ゲットー・リスト”の作成を始めたのである。“ゲットー”に指定されるのは、住民の50%以上が“非西洋人”である居住区で、住民の出自だけではなく、これに更に彼らの失業率、生活保護受給率、教育レベル、平均年収、犯罪率などを加味して、厳重警戒地区のブラックリストを作ったのだ。この際“非西洋人”の定義は曖昧であったが、事実上はイスラム系住民に焦点を当てているようである。(2020年時点でデンマークに住む“非西洋人”は、全国民の9%強ということだ。)このリストを作成した理由について当時デンマーク政府は、このような居住区は放っておけばデンマーク社会への同化など不可能となり、デンマークに“パラレル社会”が出来上がってしまう、そのような事態は早めに解消しなくてはならない、と説明している。実際に現在リスト入りしている居住区は全国で15に上るようだが、ロッケ・ラスムセン政権は2019年、“ゲットー”は2030年までにデンマークから完全に無くさねばならないと宣言し、この目標のために“ゲットー”指定地区に対する新しい法を議会で通した。その内容は、ここでは幼児は必ず幼稚園に行かせデンマーク語やデンマークの伝統と価値について学ばせねばならない、これを守らない親は社会保障の対象から除外する、また、この地区での犯罪は通常より厳しく罰せられる、5年連続してリスト入りした地区では福祉住宅が取り壊され、住民は無理やりよそに転居させられる、などだ。この厳しい法は2019年の総選挙を意識して作られたものなのだが、この時の総選挙の結果は、ドイツから見るとまたも驚くべきものであった。この選挙で中道保守のロッケ・ラスムセン政権は社会民主党に負け、この時から政権は現首相フレデリクセン氏の手に移るのであるが、社会民主党が勝利した理由が、難民・移民政策で同党もポピュリズム政党の要求に歩み寄り、これまでのロッケ・ラスムセン政権にも劣らぬどころかそれよりも厳しい路線を掲げたからだったのである。社会民主党までもが難民・移民排除に舵取りしたことを批判する声も当時はかなり出てきたようではあるが、結局のところこの政策を打ち出したことで社会民主党が選挙に勝利したということは、デンマークの民意がそこにあったということだ。こうしてフレデリクセン首相の社会民主党政権は公約通り、デンマークはもはや直接の難民申請は受け付けないことを決めた。デンマークへの入国と居住を求める難民はまずは故国に近いEUの第三国で申請し、その後EUもしくはUNを通してのみデンマーク側の受け入れを打診できるが、最終的に受け入れ人数を決めるのはデンマークであるという点でデンマークは譲らず、本来EUが加盟各国に割り当てている数を無視している。たとえば昨年EUからデンマークに割り当てられていた受け入れ難民数は500人であったが、デンマークが実際に受け入れたのは200人であった。
更に今年に入ってフレデリクセン首相は、「難民認定を求める人間はもう一人も受け入れない」と宣言し、続いて先日、三月の半ば過ぎにデンマークの新しい移民政策を発表してドイツを再度驚かせた。それは「十年後にデンマークには、住民の30%以上が“非西洋人”である居住区が一つも存在しないことを目指す」という目標のもとに掲げられた政策であった。これは保守の前政権より更に厳しい内容で、今後公共住宅の入居者募集の際には、職や教育レベルで志願者に優先順位が付けられ、犯罪歴があったり生活保護を受けている人間はもちろんEU市民でない人間も退けられる、という。また“非西洋人”居住者が30%以上に及ぶ地区からは、当該住民は強制的に転居させられることになる。世界でもトップレベルで社会福祉に手厚く、GDPも高く、国民の幸福度が高い先進国で、難民・移民にここまで厳しい政策を取る理由を、デンマークの政治学者で移民問題専門家のカールリン・ヨールト・ラップ氏は、「自分たちとは異なる人間への不安、福祉国家が壊れる不安、高い生活水準を失うことへの不安、今享受している国の保障や整った社会インフラが失われることへの不安」で説明し、この国では特にイスラム系の人間は自分たちの安寧を脅かす存在とみなされているのだ、と述べている。このようなデンマークでは、2015年から2016年にかけてドイツに広がっていた“welcome
culture”(注:難民受け入れを決めた時点でドイツ国民の間に「難民を歓迎しよう」という気運が盛り上がったことを指し、その空気が当時このように呼ばれた)は、ただひたすら批判の対象にしかならなかった。難民たちがドイツを抜けてデンマークにも大勢やってくるのではないかとの不安からデンマークはドイツを非難し、またなぜドイツがそこまで極端に開放的な政策を取るのかとても理解できない、と首を捻ったらしい。一方でこのように厳しい難民政策を取るデンマークについて、ドイツでこれまであまり報道されてこなかったことは不思議である。同様に難民受け入れを拒んでいるハンガリーやチェコは、ドイツでも難民問題に非協力で我儘な国として知られているが、デンマークについてはこれまでほとんど話題に上らなかった。この理由を前述の政治学者ラップ氏は、①福祉大国としてのデンマークのイメージが良く、それに目くらましされている、②小国過ぎてその動きが国外から見逃されてきた、という二つの理由に拠るのではないかと解説している。
しかしながらそのドイツでも、今回のデンマーク首相フレデリクセン氏の移民政策は比較的大きい見出しで報道された。先にも触れたようにドイツは驚いたわけだが、それは何よりデンマークが社会民主党政権下でそのような政策を掲げたからである。内外でポピュリズム、ナショナリズムを標榜するハンガリーやチェコならいかにもだが、社会民主党政権下の国がなぜ?というのが、ドイツの最初の疑問であった。だがその後ドイツでも、パラレル社会の出現を早い時点で防止しようというデンマークのやり方にドイツも倣うべきではないかとの意見が現れてきた。注目すべきは、このような意見が外国人排斥、難民受け入れ反対を叫ぶ右翼団体からではなく、移民や難民を受け入れて平和な共存を目指そうという運動家の側から出ていることだ。たとえば政治・社会報道誌のFocusが、ドイツのイスラム専門家で文筆家、自ら多様性社会における民主主義推進のためのワークショップを結成して活動しているアーマッド・マンスール氏にインタビューし、デンマークの移民政策についての意見を聞いている。(以下、Focus
Online 2021年3月19日付記事「居住区の移民率?」より)マンスール氏は、移民・難民を一か所にかためないやり方は平和な共存のために非常に大事なことだと述べている。ベルリンをはじめとするドイツの都会では新たに到着した難民用に住宅を建設しようとしているが、それでは特定地区の移民率が上昇し、特にその地域の学校がドイツ語を母国語としない生徒で埋まり、それが結果的に教育レベルの低下や特定地区の“ゲットー”化を招く、というのである。同じ都市の中でも居住区によって子供の進学率や教育レベルが大きく異なるような状況がパラレル社会を生み出す、とマンスール氏は指摘し、この意味で長く対策を講じてこなかったフランスはもう手遅れだと断じる。デンマークは今フランスの過ちを繰り返さぬよう手を打っているのであり、ドイツもまだ今なら遅くはないというわけだ。マンスール氏によれば、居住区の移民率を均等にしようというデンマークの政策こそが、機会の平等、教育の平等、社会の構成員全員の社会参画を目指す社会民主党の綱領に最も近いということになる。それに比べるとドイツの社会民主党(SPD)も保守のキリスト教民主・社会同盟(CDU/CSU)も移民政策で腰が引けており、「誤った寛容さ」で難民を引き受けた後は右翼政党であるドイツのための選択肢党(AFD)に揚げ足を取られることを恐れて、具体的な移民政策を議論に上らせることすら怠っているとマンスール氏はドイツを批判している。果たしてデンマークの移民政策がそれほど賞賛されるべきものなのかは疑問だが、明確な移民政策を持たないドイツにとってこのデンマークの大胆な移民政策が一種カンフル剤のように働く可能性はありそうだ。
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