ドイツ語は性差別の言葉

主語を立てなくとも文章が成り立ち、人間を表す語に性別がない日本語は、本来全く性差別とは無縁の羨ましい言語である― と、今ならドイツ人が口を揃えて言いそうな議論がドイツでは持ち上がっている。人間の性別によって形が変わるドイツ語の名詞の扱いや表記が問題になっているのである。ドイツ語の名詞には男性、女性、中性と性が三つあるのだが、「教師」「医者」など人間の職業や、「市民」「受取人」などその時々の人間の立場を表す語に関しては、語尾が変化することで男女の別が明らかにされ、その名詞の性は自然の性に倣って男性名詞、もしくは女性名詞になる。「今はまだ学生です」とか「いつも同じ美容師さんを指名している」など日本語では性別を明らかにせずとも文章が作れるが、ドイツ語になると、「学生」や「美容師」が男か女かを明らかにしないことには文章が作れないのである。それでも特定の人間の話をしているのであれば、その人間の性に合わせればいいので問題にはならない。問題が生じるのは、不特定多数を指して「最近の大学生は・・・」とか「美容師になるために必要な資格は・・・」などと話す時に、「大学生」や「美容師」に男性女性どの形を使えばいいのか考える時である。ドイツではこういう場合長い間もっぱら男性形が使われてきた。昔は大学に進学したり職業に就く女性が少なかったため、女性は例外的な存在として一般表記する際に無視されてきたのであろう。だが現代は、大学生どころかどんな職業にも女性が進出している時代である。こういう表記で女性形を無視するわけにはいかないのだ。ではどうすればいいのかというと、ドイツではとっくにこの問題を解決するための様々な表記法が考え出されている。私が留学生として最初にドイツにやって来た1989年には、大学が学生宛に発行する書面の出だしは皆「Liebe StudentInnen(親愛なる学生の皆様)」となっていた。男性形のStudent-inの語尾をつけると女性形になるのだが、この時i を大文字のIにしてくっつけ、男のStudentと女のStudentin両方に呼びかける形とし、更にそれを複数形(-nen)にして全員宛てとしたのである。その後Iの代わりに男性形と女性語尾の間に下線 _ を入れるやり方も普及した。男性女性どちらをも表したい時にはStudent_innenと書くのだ。そして約10年前には星マーク * が登場することになった。これは現在ドイツ語で“性別星マーク(Gendersternchen)”と呼ばれており、大学生の例であればStudent*innenという風に使う。更に一歩進んでこの星マークには男でも女でもない「第三の性」(注:男性女性双方の身体的特徴を持って生まれる“インターセックス”)の人たちも含まれるということであり、ドイツで第三の性が“divers(「多様な、その他の」の意味)”として正式に認められたのが2019年であることを考えると、この星マークがそれより10年近くも早く第三の性を受け入れていたということになる。では今一体何が議論になっているのかというと、これらの表記をドイツ語の正書法として認めるか否かの点で、専門家の間で大いに揉めているのだ。

 

ドイツでドイツ語の正しい表記法(正書法)を調べたり確認するために使われている辞典は、ドイツ語を学ぶ人なら誰でも知っているDudenである。Duden辞典はシリーズになっており、今でこそ言葉の意味辞典、外国語からドイツ語に取り入れられた語彙辞典、文法辞典など様々な辞典が出版されているが、1880年に最初に出版されたのは正書法辞典であった。つまりドイツ語の正しい書き方辞典である。この伝統あるDuden正書法辞典が昨年8月に改訂第28版を出したのだが、ここに初めて“性別語(Gendersprache)”の表記法ページが設けられ、その中で上述の星マークはじめ人間に関する語を男女公平に扱う表記法が掲載されたのである。そしてDudenは今年に入り、更に大胆な一歩を踏んだ。オンライン版辞書で、人間を表す男性形の語に「・・・する男性」と自然の性別をはっきり男性に限る説明をつけ始めたのである。どういうことかというと、たとえば「賃貸人」というドイツ語Mieterを例に挙げるなら、これまでは、たとえ文法上の形が男性形であれ不特定多数で使われる時には、この語は男女双方を指す単語と理解されてきたので、その意味は「賃貸料を支払って何かを借りる人」と記載されていた。これを今Dudenは、「・・・何かを借りる男性」という記載に変えたのである。このDudenが行った改訂に、目下多くの言語学者から批判が寄せられている。その中心にあるのは、言語上の性の平等にこだわるあまり、語の伝統的な意味を放棄したという批判だ。「文法上の男性形を自然の性別と結びつけそこに固定させてしまうことは、ドイツ語が作り上げてきた体系に合致しない」と、ある言語学者は批判する。事実これまでのドイツ語の自然な用法では、「医者に行く」「パン屋に行く」といった時の「医者」や「パン屋」には常に男性形が使われてきたが、かといって「医者」や「パン屋」が女性である可能性もそこには当然のこととして含まれてきたわけで、従ってこの意味を辞書で「男性」と限定してしまうと、語の意味が現実と合わなくなってしまうのである。これに対しDuden側は自社の意図を次のように説明している―「問題は複数形で使われる時に多く発生する。たとえば『この学校の教師たちは優秀だ』と言う時に『教師たち』を男性の複数形にすると、男性教師たちだけが優秀、という意味に取れる。必ずしもそう解釈されないとしても、非常に曖昧な表現となる」と説明している(Duden編集長カトリン・クンケル‐ラズム氏の発言)。だから面倒ではあっても、この例の場合、前述の“性別星マーク”を使うか男性形と女性形の「教師」という二語を複数形にして並べて主語にすることが正しい、ということである。

 

なんだか厄介な話になってきたなと思うが、現在ドイツに、この動きを推進する特定の団体があるというわけではない。政治(政党)、学術(大学や研究機関)、経済(企業や組合)、ジャーナリズム(新聞社、テレビ・ラジオ放送局)といったそれぞれの分野の各組織の中で問題提起がなされ、それを真剣に捉える人間が増えれば、まずは内輪で言葉の使い方が「正される」という流れで普及しているのが “性別語”の新しい用法なのである。従って今は個々の組織が自らの判断で使う語を決めている段階であり、それだけに社会ではまだまだ意見の相違が大きく、特に是正を求める側と言語学者の間では一部激しい攻防戦が繰り広げられている。そんな中でドイツ語の性差別性を徹底的に排除しようと極端に走る人たちもいる。彼らが拘泥するのはもはや人間を表す語ばかりではない。「歩道」という意味のドイツ語Bürgersteig Bürgerは「市民」の男性形でありここでも「女性市民」Bürgerinが無視されている、引っ越してきた人が転入届を出す役所「住民局」EinwohnermeldeamtでもEinwohner「住民」は男性形であり、「女性の住民」Einwohnerinは含まれていない、「キリスト教」ChristentumChristenは男性形複数で「男性のキリスト教徒」しか指しておらず、「女性のキリスト教徒(Christinnen)」は閉め出されている、などなど、人間を表す語を使った合成語まで彼らにあっては槍玉に上がり、本気なのか冗談なのか分からぬこの種の指摘は、言語学者たちの神経を更に逆撫でしているのだ。加えてうーんと唸りたくなるのは、ドイツ語のmanという単語を拒絶する動きだ。主語を特定の人間に限らず不特定とし「そうすることになっている」とか「そういうものだ」という一般的な内容で語る際に、ドイツ語では形式上の主語として三人称単数のmanを置く。英語ではthey youが使われるところで、日本語であれば「人は」と訳すこともあるが通常は主語なしで訳せる。「ここを押すと扉が開きます」とか「ここでは煙草を吸ってはいけない」といった文章に置く主語で、この単語自身には性別はない。だが、この単語は綴りこそ違うものの(nの数が一つ少ない)発音が別のドイツ語の単語Mann「男」と同一で、従って口頭では「男を主語にしているように聞こえる」というのである。事実、ドイツ語の性差別性を徹底的に排除しようとしている人たちの中には、このmanという実に便利な単語を「性差別的」という理由から一切使わないようにしている人もいるということだ。ここまで急進的になると言語学者の批判を待たずとも、こういう動きはドイツ語を壊していくのではないかとも思えるが、彼らにも理屈がある。

 

この動きに反対する言語学者たちは、「こんな風にドイツ語の言い方を変えても、女性の権利を拡大する助けにはならない」という点を主張しているが、言葉の性差別性の排除に努める側の論理は、まさにこの点で正反対なのだ。あるジャーナリスト(男性)は、ドイツ語の性差別性に拘泥する理由を次のように説明している。「変化は言葉と共に始まる。われわれは言葉を使って頭の中で考えを組み立て一つの形にし、その考えをその先に続く礎石とする。“性別語”をめぐる議論の中心にあるのは個々の単語ばかりではなく、われわれが一つの社会として今後どのように共生していくつもりでいるか、真に寛容と平等を基盤とし多様性を包含する共同体であろうとするのかという問いかけなのだ。われわれの基本法の最初の一文は『人間の尊厳は不可侵である』であるが、全ドイツ市民の過半数を閉め出す言葉は、私にはかなり尊厳を侵すものであるように思える。」(202035日付hr_info 掲載のJulius Tamm氏記事「親愛なる読者の皆様へ(Liebe Leser*innen)」より)最初に言葉ありきで、言葉を変えない限り意識は変わらないという主張であり、これには私自身同意する。こうして現在、あらゆる差別を嫌って特に敏感に反応するドイツの若い世代を中心に、まずは大学の人文系や社会学系学部、緑の党、リベラルな新聞で“性別星マーク”や、男性形女性形を避けた表現(たとえば「賃貸人」の場合、die Mieter(男性形複数)という語を避けてdie Mietenden (「賃貸する人間」という性別抜きの複数形)を使う)への言い換え、書き換えが盛んになされている。今はまだ各組織内の内輪のルールの域を出ないが、ここ数年ドイツ語にははっきりと目に見える変化が現れ、ドイツ社会は今揺れ動いているのである。

 

(以下、蛇足のつぶやき-)何年住んでいてもドイツ語には悩まされている外国人の身としては、もうこれ以上複雑にしないでくれ、と言いたいところだ。いや、それより私にはもっといい案がある。これまで原則的に-in の語尾を付けてきた女性名詞の方をこの際廃止してしまうのだ。これまで男性形とされてきた名詞を、女性にも中性(つまり、男でも女でもないインターセックスの人)にも共通で使える形として認めてしまえばいい。そして冠詞が必要な時は、男性冠詞、女性冠詞、中性冠詞のどれを付けてもいいようにすればいいのだ。こうすれば女性語尾が不要となり、そのままインターセックスの人にも使え、いちいち悩むことが無くなり簡略化され、風通しもよくなる。要は、新たな表記法を考えて事を面倒にするよりは、簡略化する方向に向かってはいかがかということである。私自身はこの思いつきに我ながらかなり感心したのであるが、ドイツ人の友人に提案してみたところ、「女性冠詞のdie を男性形のStudent にくっつけて言うなんて、考えられない。あまりにも『間違い』に聞こえて、精神が持ちこたえられない」とあえなく却下された。 

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