ドイツの公共放送局の姿

昨年末、ドイツの公共テレビ・ラジオ放送局の受信料値上げをめぐって、ドイツ東部のザクセン・アンハルト州でちょっとした事件が持ち上がった。ドイツの公共放送局の財政は住民が世帯ごとに支払う受信料から成り立っているが、2013年以来毎月17,50ユーロ(約2200円)であった受信料を今年から86セント(約110円)値上げしたいということで、昨年放送局側が各州に申請を出していた。受信料は全国統一でなければならないので、各州の議会でこの値上げ案は可決されねばならない。そして本来なら、この案はどの州にあってもすんなりと議会を通るはずであった。実際に15の州ではすぐに可決されたのであるが、最後の州、ザクセン・アンハルトで州議会が議決を放棄するという事態が生じる。連立政権を作っている三つの与党間で賛否が割れたからであるが、こうして16州の合意が得られず値上げができなくなった公共放送局側は、この一件を憲法裁判所に持ち込まざるを得なくなる。政治が放棄した決断を、司法に求めたのだ。そしてその判決が下りたのが、先日、85日であった。放送局側は値上げの根拠として、①公共放送局に求められる質の高い番組作りに、値上げが不可欠であること、②州が値上げを拒絶することは、基本法第5条で認められている「報道及び放送の自由」の侵害にあたること、の二つを挙げたのであるが、憲法裁判所はこれを全面的に認めた。判決の骨子は次のようなものであった―「各州には、放送局が引き受けている任務を果たすに十分な財政上の前提を整える責任がある。州がそれをせず、放送局の基本的権利である財政要請が満たされないなら、それは放送の自由を侵すことになる」。また、放送局が必要とする財政については、「受信料をいくらにするかは、政治的関心とは無関係に決められねばならない。政治サイドは必要とあれば公共放送を改革することはできるが、改革と財政干渉を混同してはならない」と述べ、一言で言うなら、政治が公共放送の財政に直接口を出してはならぬことを明らかにしたのである。原告の放送局側はこの結果に大満足を表明し、こうして受信料は今年の7月付で値上げされることになった。同時にこの判決は、ただ受信料の値上げを認めたのみならず、民主主義社会において公共放送が担っている役割をこれまで以上に重んじ、その立場を強化する判決だと理解された。現代はインターネット上に正しい情報も間違った情報もない交ぜになって氾濫し、「フェイクニュース」という語が盛んに使われ、また事実と意見の境が曖昧になってしまっている時代であり、そんな中にあって公共テレビ・ラジオ放送の重要性はますます増していると裁判所が認めたのだ、ということである。

 

では、ドイツのテレビ・ラジオの公共放送局は実際のところどういう姿をしているか。全国放送の公共テレビ局にはARD局とZDF局の二つがあるのだが、ARD局の下には、一つもしくは複数の州にまたがる地方テレビ局が合計で九つある。加えてARDZDF局双方で傘下に、政治、世界のニュース報道、文化、教育、子供番組といった専門別のテレビ局を六つ持っており、これにデジタル配信を加えるとドイツ国内の公共テレビ局は全部で20近くあることになる。公共ラジオも似た構造で、総称としてDeutschlandradioと呼ばれるが、ここからまた州やテーマによっていくつものラジオ局が枝分かれしてできている。地方テレビ局や地方ラジオ局には各州が州法に則った番組作りを委託する、つまり形式上放送の委託者が州という形を取っているのだが、政治は決して番組の内容に口を挟むことはできない。公共放送局の番組作りは、時の権力から完全に自由でなければならないのである。ドイツの公共放送局は第二次大戦後に設立されたが、その際模範としたのは、すでに戦前から存在していた英国の公共放送BBCであった。従ってドイツの公共放送局の報道番組に絶対に求められる三大機能原則も、BBCの放送規定を参考に作られたと思われる。この三大機能とは次のものだ― ①情報機能:事実を中立の立場から正しく伝え解説すること、②意見形成機能:社会にとって重要なテーマについて、視聴者各人が意見を形成し判断する役に立つこと、③監視機能:政治や経済を監視し、基本法(注:ドイツの憲法)に違反するような動きがあればこれを批判すること。この三つの機能はどれも欠けてはならぬものであるが、民主主義を守るために特に大事な機能は③の監視機能であると言われる。メディアが立法・行政・司法に次ぐ「第四の権力」と呼ばれる所以であり、他の権力に対してメディアは常に批判的な姿勢を保たねばならないのである。だがその反面メディア自身も監視されねばならず、そのためにドイツの公共放送局は、どの局もそれぞれ各州の「放送評議会(Rundfunkrat)」の監視下に置かれている。この放送評議会は、なるべくドイツ社会全体を反映させるために社会の多様なグループをそれぞれ代表させる形で人員が選ばれている。「メディアは社会全体で監視する」という意味が込められているのだ。従ってそこには、「政治」を代表する形で政治家もメンバーになって加わっている。ただしこの放送評議会が口を出せるのは番組が作られ放映された後であり、その番組が三大機能を果たしているかどうかをチェックしたり、視聴者から苦情が寄せられた時にその正当性をチェックするのがその任務である。番組を作る際には放送評議会も全く影響力を持たず、従って番組作りは最初から最後まで放送局自身に委ねられているのである。

 

もちろん公共テレビ局でも報道番組のみならず、ドラマやクイズ、音楽、スポーツなど娯楽番組も放映している。だが、放映時間に占める割合で全体の約半分がニュース、ルポルタージュ、ドキュメンタリー、討論やインタビュー番組など、ジャーナリスティックな報道番組で占められているのが公共テレビ局である。ちなみに民放テレビ局では娯楽が大半になり、ジャーナリズム関連の番組はせいぜい1015%ということだ。それでは、公共テレビ局での実際の報道番組作りは一体どのようになされているのだろうか。これについてはZDF局が、視聴者からの質問に答える形で具体的に説明している。(以下、20191024日付ZDFレポート「ZDFの報道番組制作過程‐質問に答えて」より)その日報道するニュース選びから所要時間や順番に至るまで、報道編集部では毎日何回もミーティングが開かれ議論の末に決定するということだが、ニュース選びの最重要基準となるのは「ドイツの視聴者の関心」である。これは視聴者からのフィードバックやアンケート調査など長年の情報収集でおおよそ明らかにされており、要約するならドイツ視聴者の関心は、「政治や社会の出来事の中で特に国民の大きい層の生活に直接関係のあること」、「世界の中の新しい動き」、そして今のように総選挙を前にしている時には当然のことながら、「投票の決断を左右し得る各政党の動き」にある、という。取り扱うニュースが決まったらそれを伝える文章が作られるが、その際の注意点は四つ、①内容の正確さ、②分かり易さ、③言葉の用法の正しさ、④偏りのなさ、である。最後の「偏りのなさ」を実現するためにはどうするかというと、一つのニュースを報道するにもなるべく多様な異なる視点を持ち込むことが鉄則になっている、という。誰かのコメントを紹介したら、必ずそれに反対する立場からのコメントも紹介する。一つの番組の中で時間的制約から複数の多様な意見を紹介できない時には、番組や日付をまたがってもなるべく多くの視点を視聴者に伝えるようにする。また、政治家にインタビューする時には、インタビュアーは自動的に相手の発言に反対する立場を取るというのも、インタビューの鉄則とみなされている。相手の発言にただうなずいたり同調するのではインタビュアーとして失格であり、相手の言い分と対立する意見を意図的に持ち込んで、初めてドイツ社会の中にある別の意見を代表することになるのである。報道番組の中になるべく多くの異なる意見を持ち込み、キャスターやインタビュアー側はそのどれからも等距離を置き、どんな意見に対しても批判的な姿勢を崩さないという点は、前述の報道番組の三大機能の一つ、「視聴者が自分の意見や判断を形成する役に立つ」ためには必要不可欠なのである。

 

これと一見矛盾するようであるが、報道するキャスター、レポーター、特派員には同時に、伝える内容を整理しまとめることも期待されている。視聴者の理解を促し、各人が判断し易くなるようにである。情報を整理する際にはどうしても、出来事の意味を浮き立たせるための特定の視点が加わることになるが、その視点は決して個人の意見ではなく、事実に基づく「証明可能」なものでなければならないと言われている。一方で報道する側の個人、つまり放送局の職員各人は、あらかじめ局に申告しその許可を得ていれば、特定政党や団体に所属していても構わない。むしろドイツの公共放送局は、職員各人が社会から乖離せずに密接なつながりを持つことに重きを置いており、その意味では彼ら自身がしっかりとした自分の意見を持っていることが求められるのだという。ただし報道のプロとして、仕事で求められる中立性に自分個人の意見や視点は決して持ち込まない、という点は言うまでもなく大前提である。もう一つ、公共放送局の報道番組に絶対に求められる点として、「事実か論説か」が誤解の余地なく視聴者に分かるよう、両者を明確に区別して伝えるということがある。「事実か論説か」の区別は、一見そう思えるほど簡単ではなく、インターネット上の情報発信は、たとえ意図的にでっちあげた「フェイクニュース」ではなくともこの境が曖昧なままになされていることが多い。公共放送局が「事実」と「論説」を区別する究極の基準は、「『事実』は法廷に出た時に証言や記録によってそうであることが証明できる事柄、『論説』はそうであることが客観的に証明できない事柄」だということだ。公共放送局のニュース番組の中でも、今のアフガニスタン情勢のように重大な事件が起こった際には、報道編集部主幹のような上位の立場の人間が局を代表して意見を述べる場合があるが、そういう時にはその個人の氏名と共に必ず「論説(Kommentar)」というテロップがでかでかと入るようになっている。

 

以上ドイツの公共放送の姿を紹介したが、実は今回の値上げを機に、政界からは批判の声も少なからず出てきている。最初から公共放送局を目の仇にしてこの廃止を主張している極右政党AfD(ドイツのための選択肢党)は論外にしても、ドイツは欧州の中で最も受信料が高い国の一つであることから、今コロナ時代に値上げをしてまで公共放送を更に充実させる必要はないのではないかという意見が、保守のCDU(キリスト教民主同盟)や経済リベラリズムのFDP(自由民主党)から盛んに言われるようになってきたのだ。冒頭のザクセン・アンハルト州で値上げに反対する政党が現れたのも、この脈絡であった。一般世帯にとっては値上げ額はごくわずかに思えるが、企業体に課せられる受信料は計算の仕方も一般家庭とは異なり、特に中小企業にとって値上げはかなりの負担になる。そもそも放送局にはもっと節約できる点があるのではないかとの声も上がっており、色々細かい点があげつらわれているのだ。このような批判はあっても、民主主義社会に欠かせない「第四の権力」を今後もドイツ社会は安全に維持し続けられるか、そして新聞・雑誌も含め広くマスメディアが民主主義を守るために今後もその機能を十分に発揮できるかは、受容するドイツ市民側の問題でもある。 

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