3人のロシアの若者たち - 運命が変わったこの1年

丁度今から1年前の昨年8月、ロシアの反体制政治家でプーチン大統領の強敵であるアレクセイ・ナバリヌイ氏の毒殺未遂事件が起こった。ドイツの病院で一命を取りとめたナバリヌイ氏が、今年1月にモスクワに戻った途端ロシア警察に逮捕され、2月初旬の一方的な裁判で28か月の禁固刑判決を受けたこと、その後収監された刑務所で様々な嫌がらせを受けては本人もハンガー・ストライキなどで抵抗を続けたことは、多くの国で報道されたであろう。しかし、今ナバリヌイ氏がどうしているのかについては、関心の高いドイツでも時折刑務所内の監視カメラに映った氏の姿や、本人が発信しているソーシャルネットワーク上のコメントや写真が報道されるぐらいで、実際のところどういう目に遭っているのかはよく分からない。氏の釈放を訴えるEUの再三の要求にもプーチン大統領は、「法を犯して裁かれた者は、どうすることもできない」と全く取り合わぬままに来ている。そんな中、82日、ドイツの公共テレビ局ARD30分間のルポルタージュ「毒を盛られて‐ナバリヌイ事件はロシアをどう変えたか」を放映した。番組の中心に据えられたのは、いずれも20代後半の3人のロシアの若者たちである。3人の軌跡は交わらないものの、彼らには、ナバリヌイ氏毒殺未遂事件に端を発したロシアのこの1年間で自分の運命が大きく変わった、という共通点があった。ARD局の取材班はこの3人のロシア市民を1年間追いかけて、彼らのその時々の心情を聞き、1年経った今彼らがどういう地点に立っており何を考えているのかを報告する番組を作ったのである。「これは、彼ら3人の物語である」という言葉で、このルポルタージュは始まっている。

 

一人は、クセーニアという名前の28歳の女性。彼女は昨年9月に行われたロシアの統一地方選挙で、人口50万人を超えるシベリア西部の都市トムスクの市議会議員に立候補した。ロシア政府を批判する反体制側の党から出馬した彼女を応援するために、ナバリヌイ氏も8月半ばのある日モスクワから駆けつける。そして、この夜宿泊したトムスクのホテルでナバリヌイ氏は衣服に毒を仕込まれて、翌日モスクワに戻る途上の航空機の中で発病するのである。毒を盛られる直前にナバリヌイ氏と会っていたクセーニアさんには、政府の仕業であることがすぐにわかったという。最初は「まさかそこまでするのか」という気持ちが大きかったが、落ち着いて考えるうちに「当然そこまでするだろう」という確信に変わったと彼女は述べている。その後クセーニアさんは無事当選してトムスク市議会に名を連ねることになるのだが、この市議会で多数派を占める政権与党を前に、複数の反体制派政党がたとえ協力し合っても何か意見を通すのは大変難しい、と彼女は語る。たとえば、ナバリヌイ氏の毒殺未遂について反体制側議員が連名でトムスク市に徹底調査を要請しても、「犯罪の痕跡なし」ということであっさりと却下されたという。実際にはその直後に、ナバリヌイ氏の治療にあたっていたドイツ側が「病因が致死量相当の毒ノビチョクであったこと」、そして「ロシア諜報部員が関わっていること」までを調べ上げて公表している。この事実を認めようとしないロシア政府はその後6月に、ナバリヌイ氏のネットワーク上に浮かび上がった組織すべてを過激派と認定し、活動を禁止する。クセーニアさんも議員職は失わなかったものの、自分のオフィスを閉鎖される。そんな彼女が意見を発信できる場は、言論の自由を守ろうとしたためにとっくにライセンスを剥奪された地方テレビ局が細々と配信しているインスタグラム上の番組だけになってしまう。このテレビ局のインタビューでの質問、「なぜロシアの権力機構はいつまでたっても変わらないのか」に答えて、クセーニアさんは次のように答えている―「権力体制を変えるためには、自由で公正な選挙と、本当の意味で力のある野党の出現が不可欠です。ロシアでは決してプーチン支持派が圧倒的多数を占めているわけではないのにいつまでたっても体制を変えられないのは、政府がこの二つ、自由で公正な選挙と力のある野党の出現を妨げているからなのです」。この後、ナバリヌイ氏の「チームの一員」として目をつけられたクセーニアさんは、二度と政界に出て来れないよう将来の立候補を禁じられたという。

 

二人目は、もっと気の毒な目に遭った26歳の男性ニキータ氏である。ニキータ氏は、モスクワから1000km離れた人口9000人の小さい町ミークンの高校で歴史の教師をしていた。今年1月にナバリヌイ氏が逮捕され、プーチン宮殿ビデオ(注:プーチン大統領が公金で黒海沿岸に建設した贅沢な宮殿について暴露した、ナバリヌイ氏のチームが作成したビデオ)がインターネット上で発表されるや、ロシア全国の100以上の都市で数万人のロシア市民を巻き込む「反プーチン」抵抗運動が展開されるが、田舎町ミークンでは誰一人として声を上げようとしなかった。そんな中、この町の市民ももう声を上げる時だと考えたニキータ氏は、一人きりで町の中心広場に立つことになる。手にした自作のプラカードには「沈黙するか、死ぬか」と書かれていた。「ナバリヌイ氏の勇気は賛嘆しますが、別に私はナバリヌイ氏の釈放を求めて運動を始めたわけではありません。ただ言論の自由を求めて、です」とニキータ氏は言い、一人で広場に立つのはとても勇気が要ることだった、と明かした。通行人の一人が「ようやくわが町にも一人、勇気のある人物が現れた」と言ってくれたことが、何より力になったとも。プラカードに書いた「死ぬか」というのは、「自由に意見を言えば、社会的に抹殺される」という意味だ、とニキータ氏は説明していたが、この時点でまさか自分がそのような目に遭うとは予想していなかったらしい。この運動を始めて二日後にニキータ氏は学校から休職処分を受け、その後解雇されるのである。ただし、解雇の理由として学校側が持ち出したのはこの「反政府抗議運動」ではなく、氏が昔、学生時代にふざけて撮った二枚の写真 -水パイプを吸っている写真と、下着姿のマネキン人形に顔を寄せている写真- を「不道徳な行為」として糾弾する、というものであった。この時、ドイツの取材班もこの解雇の事情について学校側に問い合わせを行ったが、返答はなかったという。こうしていきなり解雇されたニキータ氏は、この処分を不当とみなし町の裁判所に学校を訴えて出る。その間にも学校で生徒に人気のあったニキータ氏の自宅には、卒業を間近にした若い教え子たちが集まっては若い正義感から学校側の「不正」を真っすぐに批判していたが、ニキータ氏は生徒たちには、決して通りに出て抗議運動に参加するようなことはするなと忠告していた。それでも当初本人は、まさかこんな不当解雇が裁判所で通るわけはないと楽観視していたという。しかし、その後第一審で氏は敗訴する。今ニキータ氏は控訴しようとしているが、弁護士を雇う金はないので今後も一人で戦うつもりでいる。

 

3人目は、モスクワから250kmのところにある人口43万人の都市イヴァノヴォで警察官だった29歳の男性、セルゲイ氏だ。セルゲイ氏は大学で法律を学んだ後、「不正と闘いたい」という正義感から警察官になり、警察でキャリアを積むつもりであった。ところが氏が警察官になって5年が経ったところで、今年2月上旬、ドイツから戻ったところを逮捕されていたナバリヌイ氏に有罪判決が下りる。この判決の日にセルゲイ氏は、警察に辞表を出すのである。「もう長く疑念を持ってきましたが、この判決が最後の一滴となりました。それに、抵抗してデモに参加するロシア市民に暴力を振るう警察官たちの映像や、このような官憲の暴力が決して罰せられない現実を見て、私はもうこのシステムの一部ではありたくないと思ったのです。これ以上留まっていると、自分を恥じなくてはなりませんから」と、氏は辞表を出した理由を説明している。警察を辞めた後、セルゲイ氏はインターネット上で自分の意見や批判コメントを発信し始める。プライベートでも付き合いのあった警察時代の同僚たちは、この頃から徐々に離れていったという。自分の意見を公にする危険は十分自覚しているが、「ほかにどうしていいか分かりませんでした。今自分の良心を抑え込んで何も言わなければ、後で後悔することになる、今目をつぶって吞み込んでしまったら、それがいつか自分の内部で膨張して制御できなくなると思ったのです」と、氏は語っている。その後セルゲイ氏は、政治に変革の可能性を見出そうと反体制側の政党のセミナーや党大会に参加し始める。そのような政党が主催したあるシンポジウムでは、開会後30分と経たぬうちに警官隊がなだれこんできて主催者や出席者を全員逮捕した。セルゲイ氏も取り調べを受け、この時から警察のブラックリストに名前が載る。この時は罰金刑で釈放されたが、その後も警察のやり方を批判したことから公務執行妨害で逮捕され、逮捕されている間に警察の家宅捜索でアパートの室内を荒らされるという事件も起こった。この時防犯カメラに写っていた警官隊のメンバーは、全員がセルゲイ氏の元同僚で見知った顔だったという。警察を辞めて5か月後にセルゲイ氏は、ある反体制政党の指名を受けて、今年9月に予定されているロシア下院選挙にイヴァノヴォ市から立候補することが決まった。現実には、この政党のような小さい野党には下院に議席を得られるチャンスはまずない。それでも、自分たちに選択肢は二つしかない、断念して体制側に完全に潰されてしまうか、もしかするとまだ何かが変えられるかもしれないと挑戦するかだ、とセルゲイ氏は言う。こうして氏は今、選挙戦に入っている。

 

このルポルタージュで紹介された若者たちは3人とも、「言論の自由」を求めて声を上げた。その信念や勇気には感銘を受けるが、その一方で彼らはごく普通の市民なのであり、彼らの要求も民主社会であるならごく当たり前の権利であることを思わざるを得ない。ロシア政府がここまで一人一人の普通の市民の声を潰そうとしていることに震撼するが、同時にこのルポルタージュの中で取り上げられていた、多くのロシア市民たち、特に中年以上の市民たちが見せる無関心や無理解にも衝撃を受けた。「ナバリヌイって悪者だから刑務所に入っているんでしょ」、「政治には口を出したくないね」、「せっかく静かな生活を送っているんだから乱されたくないわ」、「通りで騒いでいる輩なんて、どうせロクな若者じゃないね」といった年配層の発言が、番組の中にも頻繁に挟まれていたのである。「これ(注:言論が抑圧されている状況)は、ロシアの誰もが理解しようと努めなくてはならない問題なのです。私たち全員にこの国に対する責任があるのですから」とセルゲイ氏は言っていたが、この大国の中にはこの若者の声が絶対に届かない市民の厚い層が歴然として存在するのだということも、この番組は告げていた。 

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