ドイツから見た東京五輪

 「無観客なのは全然気になりません。集中して全力を尽くせるかどうかが問題で、その他のことはどうでもいいです」、「コロナは心配です。私たち自身は東京五輪のプレイブックに則って行動していますが、他国の選手たちが必ずしも全員守っているわけではない」、「オリンピック村から出るシャトルバスがぎゅう詰めなのが気になります」、「オリンピック村の宿舎は50㎡のアパートに6人で寝泊まりしていて、これもぎゅう詰めです。ユースホステルみたいで楽しいですけど」― これらのコメントは、東京オリンピックが開幕した後で、ドイツ公共テレビ局の報道班が東京に設けた中継スタジオに、時々ドイツ選手を招いてインタビューした際に出てきた選手たち自身のコメントである。ドイツ人はこういう時概して大人しく、ルールをよく守り、あまり文句を言わない。少なくとも報道で伝えられる限り、ドイツの選手団から東京五輪のオルガニゼーションに対して大きな苦情が出たという話はない。特別な状況下での開催であることを十分理解し、ともあれ開催され自分が参加できてよかったという喜びの方が大きいようだ。それでも「満員のシャトルバスに詰め込まれるけれど、感染リスクは大丈夫か」、「50㎡に6人というのはいくらなんでも狭すぎるのでは?(注:ドイツの感覚で言えば、50㎡のスペースに詰め込まれるのは多くても34人まで。ドイツでは難民収容施設でも、バスルームやキッチン抜きで大人一人当たり10㎡が基準になっている)」、「自分の競技が終わったら48時間以内に出国しなければならないのだが、同じ種目チーム仲間の応援すらできないのはとても残念」といった不満や不安は、選手とインタビュアーの会話の端々から窺われた。ドイツでは、年齢に関係なく誰でもが受けられるよう対コロナ予防注射を6月から成人国民全員に解禁したが、それより少し早く、連邦政府が今年5月にはオリンピック選手が予防注射を受けることを可能にし、また受けるよう勧めたせいもあって、選手団の95%までが予防注射を済ませていたようである。そのため東京入りする際には、ドイツのオリンピック関係者が東京のコロナ状況を特に危惧していた様子はなかったし、東京五輪への参加の是非が議論になったことも一度もなかった。

 

そもそもドイツでは開幕間近になるまで、東京五輪についてはほとんど報道されることがなかった。もちろんドイツのオリンピック協会や各種目の関係者の間では、候補者の選抜やトレーニングの調整などが大きなテーマになっていたであろうが、一般報道で東京五輪がテーマになることはほとんどなかったのである。昨年の一年延期決定、今年に入っての森発言に端を発した大会組織委員会トップ交替、そして東京五輪の無観客開催の決定など、何か重要な決定がなされた際にはニュースでその事実が手短に報道されていたが、日本で大きな騒ぎになっていた開催自体の是非がドイツの公的メディアで取り上げられたことはなかったように思う。インターネットで意図的に検索すれば、東京五輪を巡る様々なスキャンダルや議論を、あくまで日本国内のニュースをそのまま訳す形で右から左に伝える小さい記事が見つかることもあったが、それ以上でも以下でもなかったというのが私の印象である。日本国内で感染者や死者が増加しても世界的に見ればその数が少なかったせいで、日本のコロナ状況にドイツの関心が向くことがなかったこと、オリンピック開催の有無は開催国がIOCと共に決める問題でありドイツが関与すべき問題ではないこと、何よりこの一年半はドイツでも欧州でももっと重要な事件が次々起こり開幕前のオリンピックを報道する余裕がなかったこと、そして7月上旬まで欧州はサッカーの欧州選手権で湧いており東京五輪にはまだ国民の関心も向いていなかったことなどが、東京五輪に対するこのちょっと冷たいドイツの無関心の原因であったろう。だが6月に入った頃からさすがに全国新聞にも、「東京は本当に大丈夫なのか」といった五輪関連記事がちらほら見られるようになる。そして7月に入りドイツの報道チームが日本入りするや、ようやく日本国内の報道のコピーではない、「ドイツ人の目から見た五輪前の日本の状況」を批判的に伝える記事が次々現れ始めた。

 

オリンピック開催に反対するドイツ側の意見を私が初めて聞いたのは、7月上旬、日本が無観客での開催を決めた後で、連邦議会スポーツ委員会議長を務める政治家が新聞やラジオのインタビューに答えて展開した批判であった。ダグマール・フライターク氏というこのSPD(社会民主党)の政治家の発言をまとめると、次のようになる― 「よりにもよってコロナウィルスの変異株が次々見つかっている時に、5大陸から数万人の人間が東京に集まって来る。すでに東京の感染者数は増加を続けており、菅首相は緊急事態宣言を行ったが、その同じ首相が頑なにIOCのバッハ会長に忠誠を誓い、この二人は何が何でも五輪を開催しようとしている。それでいてここ何か月もの経験から我々全員に、名前だけは知れ渡っている衛生上のバブル方式が実は穴だらけで、世界のあらゆる国から集まる何千人ものスポーツ選手の感染防止に真に有効な衛生対策を実現することはほぼ不可能であることが分かっているのだ。・・・大会に出たいというスポーツ選手たちの願いは理解できるが、今世界で起こっていることを見れば、疫病時代にこういうイベントが適さないことは明らかである。」また、723日の開会式直後にラジオのインタビューによばれたスポーツ哲学(注:スポーツ学という学問の一分野であり、人間にとってのスポーツの役割や意義、特殊性などを多角的に扱う学問)専門の学者グンター・ゲバウアー氏は、もっと辛辣な意見を述べている― 

こんなに冷たく批判的に迎えられた五輪はこれまでにない。健全な人間の理性と倫理観に照らすなら、本来この大会は決して開催してはならなかった大会なのだ。たとえ損失が大きくなったとしても、日本は遅くとも半年前にははっきり中止を言うべきであった。・・・日本は「復興五輪」の看板を掲げていたはずなのに、実際には世界的疫病真っ只中の五輪になってしまった。・・・IOCはどこで決断を誤ったのかと聞かれて)本当ならバッハ氏が昨春の時点で延期ではなく中止を決めるべきであった。コロナの収束が無理であろうことはあの時点ですでに明らかだったのだから。・・・バッハ氏は五輪となると感情をむき出しにしてきれい事を並べたがるが・・・「平和」だの「希望」だのといった事柄が本当に五輪の目標であったことは、五輪史上未だかつてない。例外があったとするなら、せいぜいが二つの大戦それぞれの直後の五輪だけだ。・・・五輪は何より金をもたらすマシンなのであり、今回もIOCは、せめてテレビ放映からこの五輪を金銭面で救おうとしているのだ。Deutschlandradio 2021723日付インタビューより)

 

今やドイツメディアの記者たち自身からも様々な角度からの日本批判が出てきているが、彼らが好んで引用し賛同を示しているのは、おそらくJOC内部からの唯一の批判として発せられたJOC常任委員山口香氏の次の意見である― 「国民の多くが疑義を感じているのに、IOC にもJOCにも日本政府にもその声を聴く気がない。平和構築の基本は対話であり、それを拒否する五輪に五輪としての意義はない」(2021519日共同通信インタビューにて)。この優れた意見にドイツの記者たちは数多く共感したようで、国外からの一般客は誰も来ない、観客もいない、選手は試合以外宿舎に缶詰状態で滞在日数も厳しく制限され、日本の一般市民との接触の機会はなし、こんな大会が本当に「民族間の理解を促す祭典」と呼べるのか、といった意見が山口氏の引用に続けて開陳されている。一方で、こんな大会にしてしまった責任は日本政府のコロナ対策にあると断定し、日本のコロナ対応を徹底的に批判している記者もいる。この記者は長く日本に駐在しているドイツ公共テレビ局の特派員であるだけに、コロナが発覚してからの日本政府や国民の動きに知悉しているようで、その批判は手厳しい。「今大会が無観客となったのは、日本のコロナ対策マネジメントが完全に失敗したことが原因」、「一年半以上たっても、自国の国民を守るための実際的な計画が何もない・・・この政府の怠慢が、今五輪に参加している世界の選手たちの負担になってしまっている(注:自国からの応援が来れない、トレーニングもままならない、狭い宿舎に押し込められる、などを指す)」、「日本の予防注射キャンペーンは先進国として世界最悪だ」、「予防注射がもっと速く進められ、更にPCRや抗原検査など様々な検査の機会を増やし、また携帯コンタクトアプリを使っての感染経路あぶり出しが万全に行われていたなら、無観客大会になどならなかった」などなど、この記者が言いたいのは、この大会が無観客となったのはコロナのせいではなく、日本のコロナ対策の怠慢のせいだということだ。日本政府だけではない。日本国民にもその批判の矛先は向けられている。コロナへの恐怖心が大きく、政府も国民の大多数も大変に慎重なドイツから見ると、確かに、日本国民はコロナをなめているとしか思えない風に見えるのだ。この記者は渋谷など繁華街の人込みが相変わらずで、地下鉄は満員、五輪開会式には入場できないのに外に人だまりができていることを報告した後で、「これで五輪後に日本のコロナ状況が悪化したら、日本人はわれわれ外国人のせいにするのではないか・・・日本政府にも日本国民にも欠けているのは自己批判だ。もし今回の五輪で感染状態が悪化したならそれは日本の自業自得であるということを、菅首相も国民も直視すべきである」と、この記事は結ばれていた。(Tagesschau 20217月25日付レポート「日本には別の選択肢もあった」より)

 

以上の批判はそれぞれ個人の意見に過ぎないものの、全体としてドイツが驚いているのはコロナに対する日本人の危機感のなさだ。もちろん、一部の国民が展開している五輪反対デモについても報道されたが、反対運動も実に「日本的」で、いい意味(暴力による衝突が起こらない)でも悪い意味(動員力がない)でも大人しいデモだという見方がされていた。何より開幕して日本選手が活躍し始めると、過半数いたはずの五輪反対派の声が急速に小さくなり、どうやら日本国民の気分は「五輪開催賛成」の方に180度転換したようであるとドイツでは伝えられている。ちなみにドイツでも、今回の五輪のテレビ視聴率は大変低く、開会式は歴代最低(23.0%)。時差のせいもあるであろうが、東京と時差が一時間の北京オリンピック(2008)開会式の視聴率が軽く二倍以上(52.3%)であったことを鑑みると、「必ずしも時差のせいではない」とドイツでは報道されている。

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