EUが持て余しているハンガリー、確執の見えない行方

 家族の和を乱しては周囲に迷惑ばかりかけている息子に、一家の厳しいお父さんが勘当を言い渡す― といったような一幕が、6月末のEU首脳会談で見られたらしい。「不肖の息子」はハンガリー、「厳しいお父さん」はオランダである。とはいえ、父親が絶対権力を持つ家父長制の一家であれば言うことをきかない息子はとりあえず勘当できるのであるが、EUではそういうわけにはいかない。実際のところ624日に始まり、夜が更けて日付が変わっても続けられたEU首脳会談一日目に繰り広げられたのは、オランダ首相のマルク・ルッテ氏がハンガリーのヴィクトール・オルバン首相に、「EUを離脱してはどうかと勧めた」一幕であった。それはかなり感情的な場面であったようだが、果たしてどれほど激しいやり取りがあったかについては残念ながら公にはされていない。そしてオルバン首相は今回も、EU他国からの非難を意にも介さなかったようである。この首脳会談から数日経ったところでオルバン首相は、ハンガリーのEU離脱はないと正式に発表し、EUに次のような言葉を突き付けてオランダのルッテ首相への回答とした―「EUが結束するつもりなら、自由主義国家は非自由主義国家の権利にも敬意を払わねばならない」。

 

今回批判の槍玉にあげられたのは、6月半ばにハンガリー議会が通した新しい法律であった。この法律は、同性愛や性転換など広くLGBTについて、文章や画像、映像、あらゆるメディアにおける宣伝などで青少年向けに叙述することをハンガリー国内で禁ずる内容になっている。この法律は、EUが共有する価値 -すべての人間の尊厳と権利を守り、その自由を尊び、差別に反対し、言論や表現の自由を保障する- に明らかに逆行するものであり、直後から欧州委員会では大いに問題視された。フォン・デア・ライエン委員長はこのハンガリーの新しい法律を即座に「恥(shame)」と呼び、「この法律は人間を性的指向で差別するものだ・・・私は、私たちがあるがままの人間でいることができ、愛したい人を愛することができるのがEUであると信じている」と述べた。そしてハンガリーでこの法律が施行される前に、EUの担当部署からハンガリー政府にこの法律に対する法的懸念を表明する正式な手紙を出すよう手配したのである。これは事実上、加盟時にEUと結んだ契約にハンガリーが違反していることを指摘し、即改善するようハンガリー政府に警告するEUからの一歩であった。更にその中では、ハンガリーがこの警告に従わないならば、この一件は、EU内の法的機関として最上位にあるEU裁判所に持ち込まれることも言及されたらしい。こうして、ベネルックス三国(注:ベルギー、オランダ、ルクセンブルク)を中心に加盟国の約半数となる13か国が署名した警告の手紙が、今回のEU首脳会談前にハンガリー政府に送られていたのである。ところが今回のEU首脳会談でオルバン首相は、この新しい法律を引っ込めることをはっきり拒絶した。後日、この拒絶の根拠としてオルバン氏がEUに向けて表明した「自由主義的ではない民主国家」の意見は、それなりに興味深い。

価値の統一などというものはない。従って政治の統一もない。・・・今問題になっているのは子供の性教育であるが、ここで自由主義国家が考えるのは、子供たちは公に触発されることで、異性愛や同性愛、生物上決定されている性別の役割や性転換手術などについて学ぶべきであるということだ。つまりそこでは国や公の機関もある役割を果たさねばならない、と考えられている。だが、「自由主義的ではない民主国家」にあっては全く反対に、子供の性教育は親の権利であると考えられているのである。つまり親の合意なく国であれ政党であれ、あるいは非政府組織であれレインボー運動家(注:レインボー=虹の七色は、LGBT権利擁護運動のシンボルカラー)であれ、この問題に口を出してはならないのだ。2021628日付Frankfurter Allgemeine Zeitung 記事「『価値の統一などというものはない』」より)

また別の場でオルバン氏は、次のようにも発言している―

共産党独裁政権下のハンガリーでは、同性愛者は迫害された。だが今日、ハンガリー国家は同性愛者の権利を保障しているのみならず、積極的に彼らの権利を擁護している。個人の自由は最重要事項であり、どの人間も、外からの強制なく自分が進む道を決定できなくてはならない。だが、未成年者に何を教えるかは親の管轄であり、われわれはこの親の役割を守ろうとしているのである。2021623日付Frankfurter Allgemeine Zeitung 記事「オルバン氏、ドイツ政治に警告」より)

「子供の性教育を決定するのは親の権利」云々というところはさておき、ハンガリーが必ずしもLGBTの権利を擁護している国ではないことは、EU内では周知の事実だ。確かにハンガリーでは今世紀初頭に同性愛者の権利を守る法律が整い始めたのであるが、2010年に保守ナショナリズム政党を率いるオルバン氏が政権を取って以来、ハンガリーではLGBTへの差別と弾圧が様々な場面で見られるようになっているのである。

 

もっとも今回のLGBTに関する法律の一件は、ほんの一例に過ぎない。実のところハンガリーのオルバン首相が台風の目となるトラブルはEUにおいてはもはや日常茶飯事とも言え、全く珍しい話ではないのである。最も物議を醸したのは、2017年の「難民受け入れ拒絶事件」だ。2015年秋に加速した難民のEU流入に対応するに、EUは、加盟各国にその人口や経済力に応じて難民数を配分し連帯して受け入れを進めようとしたのだが、この時強硬に反対して「絶対に一人も受け入れない」と言い張ったのがハンガリーであった。この件はEU裁判所に持ち込まれ、2017年にはハンガリーに対しEU契約違反との判決が下された。そして同時に、ハンガリーも難民を受け入れるようにとの裁判所命令が下るのであるが、ハンガリー政府はこの判決自体を「間違い」と断じ、無視した。この時は、EU裁判所がこれほどの侮辱を受けたことはないとEU内は大騒ぎとなり、EUの礎となっている法治体制にハンガリーが従わないことは大変に問題視された。しかしながら、問題はこれだけの話に留まらなかった。本来、EUとの間で交わした契約中の取り決めに従いたくない国が現れたなら、その国はEUを離脱するのが当然の帰結であり、またそれ以外に方策はない。EUの方から加盟国を放り出すことはできないのだが、自分から離脱する自由はどの加盟国にも与えられており、すでに英国はその道を選んでいる。問題はハンガリーには離脱する気が全くないことにある。EUの最高機関の指示に従わないまま平然とEU内に居続け、この時の難民問題においてはその後ポーランドのようにハンガリーの肩を持つ国まで現れてしまい、EUはどう対処してよいのか途方に暮れるという情けない事態に陥ったのである。EUは結成された当初、契約で交わした内容をここまで守らない国が出てくることは想定していなかったようで、実際にこれまで加盟国への「制裁」の必要が生じることはなかった。こうしてこの一件はその後も、EU理事会における発言権をハンガリーから剥奪すべきかどうかという審理にまで発展することになる。(現時点でまだ剥奪するまでには至っていない。)ちなみに、当時難民の受け入れを拒んだオルバン氏の言い分は、「移民として他国に移住する行為は、EUが保護すべき『基本的人権』の範囲には含まれない」というものであったが、今回もオルバン氏は問題となっている法律を弁護して、「性教育は子供の『基本的人権』には入らない」と難民の時と同様の根拠を持ち出している。オルバン氏に言わせれば、このハンガリーの法律はEUの基本権憲章(Charter of Fundamental Rights of the European Union)で定められている「親が、自分の信条に基づいて子供を養育する権利」に則ったものだ、ということである。

 

ハンガリーに振り回されてかなり荒れたらしい今回のEU首脳会談の後で、ドイツではメルケル首相のコメントが報道されたのだが、この発言を聞いて私はどう理解すべきか少し混乱した。ここで言われているのは客観的な事実なのか、あるいはメルケル氏に典型的な、気長で忍耐強く、極めて現実的かつ楽観的な観測なのか―

今回われわれ全員で明確にしたのは、われわれがどういう基本的価値に沿って動いているのか、という点だ。欧州委員会は、今後も引き続きこのハンガリーの法律と取り組み続けることになる。今回の議論は意見が大きく割れるものであったが、一方で大変に、大変に正直な議論であった。そして私は思うのだが、EUの本質を加盟国が互いにどう理解しているのかを知るためにも、われわれはこの種の議論をもっと数多く積み重ねる必要がある。欧州の未来像が大きく食い違っているのは、なにもハンガリーとの間だけではない。2021625日付公共テレビ局ARDの報道より)

このメルケル氏の発言を聞いたら、オルバン氏は真っ先に「そうだ、そうだ」と同意しそうだ。議論を重ねるのは良い。だがその結果、にっちもさっちも動けなくなるのがEUのお決まりのパターンであり、最後に笑うのがハンガリーのような国であれば、一体EUで決めることにどれほどの意味があるのだろうか―。一方で、おそらくは今回が最後のEU登場となったメルケル首相のこの発言は、去っていくメルケル氏からの、「話し合うことを決して諦めないで欲しい」というEUへのエールだったのかもしれない。

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