洪水と政治

暑かった6月が終わり7月に入ると、ドイツは気温が下がり全国的に雨の日が続くようになった。特に7月の第2週末あたりから一部の地方では連日豪雨となり、河川や湖の水位が一気に上昇する。中でもドイツ北西部の州、ノルトライン・ヴェストファーレン州とラインラント・プファルツ州で洪水による被害が拡大していくのは、714日の夜からであった。この地方では、この日一日で1㎡あたり150ℓ以上の雨量が記録されたという。その結果谷間の小さい集落では近辺を流れる細い支流があっという間に氾濫し、急流となって村全体を押し流していった。一方で幅の広い川はじわじわと水位を増していき、なんとか堰き止めようとする住民たちの努力を結局は無にして氾濫に至った。いずれにせよこの大洪水で最も被害を受けた地域では、電力、水道、ガス、携帯網、橋、道路・・・などのインフラが完全に破壊され、住民たちはあっという間に住宅、店舗、農地、ブドウ畑といったすべての財産を失うことになる。瞬時に家の中に濁流が流れ込み家ごと押し流される、あるいは家が倒壊する恐怖について語る人々、そうなったらもう何かを運び出すことなど不可能で自分の命を救おうとする以外は何もできないのだと涙ながらに語る住民たちの言葉、そして上空から撮影された急流に丸ごと押し流されていく集落の映像に、テレビを見ていた視聴者も言葉を失った。このような被害に遭ったのはもちろんドイツだけではない。オランダ、ベルギー、ルクセンブルク、フランスといった欧州西部から、スイスやオーストリア、クロアチアなど欧州中部に至るまで被害地域は広範にわたり、当初はその災害規模が20136月に欧州中部を襲った大洪水と比較されていた。だがその後も止もうとしない雨と、何より日々増える死者の数で、もはや2013年の比ではないことが明らかになり、気象庁は、ドイツにとっては100年に一度の「世紀の大洪水」であることを発表した。2013年の洪水被害の死者数がドイツ国内では8人であったのに対して、今回の大洪水でドイツ国内で亡くなった人の数は、現時点(722日)で確認されているだけでも175人を超えているのだ。しかも、携帯網が破壊されたことで音信不通となっている行方不明者が一週間以上経った今も100人以上いると言われており、物的被害のみならず人的被害の甚大さで、この20217月の欧州西部・中部大洪水はドイツの自然災害の歴史にその名を留めることになってしまったのである。

 

今回救援側の動きは速かった。地元の消防士と警察の手が足りないとわかるや、715日の夜明けにはすでに連邦防衛軍(Bundeswehr)が出動し、700人の兵士たちが倒壊物の除去と家屋の屋根の上で助けを求める住民たちの救出にあたった。また、住民たち自身の、あるいは被害を受けなかった近隣地域から救援に駆けつけた一般市民の助け合いは、報道でも大きく取り上げられ賞賛された。更に、一瞬にして生活基盤のすべてを失った人々が瓦礫となった自宅を前に茫然と立ちすくみ、無言でぽろぽろと涙を流している映像や、マイクを向けられた被災地の町長が惨状を説明するうちにこみあげてきた感情に言葉を続けられなくなった姿などを見て、胸を詰まらせた国民が多かったのであろう、全国からの寄付や物資支援は数日のうちに大変な額と数に上ったことが報道された。特に物資の方はあっという間に保管場所から溢れるほどになってしまい、ほんの数日で「もうモノは送らないでください!」とのアナウンスが発せられた。もちろん政治側も直ちに動き始め、州や連邦の責任者が次々現状把握の視察のために駆けつけては「手続き不要の速やかな現金支援」を約束した。急を要するということで、地域によってはすでに一世帯いくらという現金給付が始まっている。このような対処はすべて正しいものであったわけだが、一方で、死者数がここまで多くなってしまった事実はあまりにも重い。719日の週に入ってようやく雨脚が弱まり、あるいは雨が止み、河川の水位が下がり始めるや、メディアはすぐにこの大災害の「人災」としての側面に注意を向け始めた。今回救援活動で最大の支障となったのは、携帯通話の中継をする無線アンテナマストが倒壊したためにコミュニケーションが絶たれたことである。最初の23日で行方不明者の数が何千人にも上ったのは、携帯で連絡が取れず居場所も安否も確認できない人間が多かったからだ。また被災地一帯が停電したために、ラジオからの情報も取れぬままに孤立無援の状態に置かれた人間も多数に上った。コミュニケーションに支障が出たことは救援活動のコーディネートをも困難にし、中央で指揮をとって全体を統括することができず、現場は一部混乱を極めたことも伝えられている。こういう災害時には不可欠な移動通信システム(可動式無線中継装置)が、救援隊の間にも行き渡っていなかったということのようだ。以上の点は災害が発生した後の救援活動にまつわるものであるが、現在もっと深刻な批判が向けられているのは、そもそも気象庁からの警告がこれらの被災地にあらかじめ届いていたのか、という点である。気象庁は7月初旬からすでに豪雨警告を発し始めていて、連邦内務省ではその詳細を把握しており、それを各州内務省に伝え、そこからまた各州それぞれの自治体に重大な警告として伝えられていたはずなのであるが、今回被災地となった住民たちはこの危険をほとんど把握していなかったというのである。そもそもこんな重大な危険を警告するのになぜ伝言ゲームのような形を取るのか、国が大々的に全国に直接警告すべきであったのではないかとの批判が目下連邦内務相にもぶつけられている。誰にどれだけ責任があるのかという点は、今後時間をかけて調査されるのであろうが、ドイツの災害警告システムが十分に作動しなかったことが死者をここまで増やしてしまった大きい原因の一つであることは、間違いないようである。

 

このような大自然災害は、得てして政治に利用される。迅速で正確な対応ができれば、当然のことながら時の政府の得点に数え入れられる。また、首相や州相など責任者の災害時のパフォーマンスが国民の心に届けば、その政治家の支持率はストレートに上昇する。犯罪事件や社会問題とは異なり、自然災害の場合は、人命救助や被災者支援など最重要事項が明白で国民にとっては評価するのが簡単であることから、政治家はここぞとばかり張り切るわけだ。ましてやドイツは今、総選挙を目前にしている。政治家は逆に、災害への対処が総選挙のためのパフォーマンスと思われないよう、あまり派手にやり過ぎないよう注意する必要があるとさえ言われている。これまでのドイツの自然災害史上でも、やはり総選挙直前に起こった大洪水でのパフォーマンスに成功して、一月後の選挙で勝利した政治家がいる。20028月の「エルベ川氾濫」であるが、この時は、チェコからドイツ東部を南北に縦断して北海に注ぎ込むエルベ川がやはり豪雨で氾濫して大洪水となり、河岸のプラハやドレースデンといった歴史的古都が浸水する騒ぎとなった。この時の首相ゲアハルト・シュレーダー氏(SPD:ドイツ社会民主党)は視察が可能になるや、雨合羽にゴム長靴といういでたちで丁寧に被災地を回り、被害を受けた住民たちの話に時間をかけて耳を傾け、彼らが何を一番必要としているかを即座に判断して、「役所手続きを省略した即刻現金支給」を決めたのであった。この時のドイツは約一月後に総選挙を控えていたのだが、当時対抗馬であったCSU(キリスト教社会同盟)の首相候補者が自分の地元バイエルン州の被災地しか視察しなかったことと対照的に、シュレーダー氏は精力的に動き回った(もちろんカメラ報道チームを後ろにくっつけて、である)。そしてこの時シュレーダー氏が被災民に見せた思いやりと迅速な対策に当時のドイツの選挙民は大いに感銘を受け、この一月後の総選挙で氏は首相に再選されたのである。今回の大洪水も、時間的なタイミングとしてはまさに当時を思わせるもので、多くの有権者が各政治家の一挙手一投足に注目したであろう。そしてその中で今回は、ある政治家がとんでもなく恥ずべき失敗をすることになる。


CDU(キリスト教民主同盟)党首のアルミン・ラシェット氏は、メルケル政権を引き継ぐ次期首相候補として名乗りを上げている人物だ。現在このラシェット氏は、今回被害が最大となった二つの州のうちの片方、ノルトライン・ヴェストファーレン州の州相を務めている。氏は、州のトップとしてやはり現状視察のために717日、シュタインマイアー連邦大統領と共に自分の州の被災地を訪れた。そしてシュタインマイアー氏が記者たちを前に被災地で最初のコメントを発表している間に、「由々しい出来事」が起こる。シュタインマイアー連邦大統領が終始悲痛な表情で被災地を見た衝撃について述べ、被害を受けた住民たちの心境を慮り、国として何をすべきかを語っているその後方で、大統領を見守る位置に立っていたラシェット氏が、周囲にいた何人かの人々と冗談を飛ばし合っていたのか、笑い声を上げてはしゃいでいる様子がしっかり報道カメラに写ってしまったのである。もちろんこれはニュースとして流され、大いに顰蹙を買った。多くの人々が家族や生活基盤を失い絶望の底にあるような時にこれ以上不適切な態度はない、こんな人物が次期首相候補なのか、と呆れた人々からのブーイングが集中し、インターネット上で炎上したことは言うまでもない。もちろんその後本人は、あちこちのメディアから責め立てられ問い詰められて謝罪を繰り返している。この出来事が選挙戦にどう影響するかは現時点で判断できないものの、政治家としてのラシェット氏個人が思わぬところで「人格テスト」に引っかかり、落第した感は否めない。しかしまたその一方で、このような出来事が過剰に報道され、洪水が選挙と結び付けられて盛んに語られるような状況が生じるなら、それ自体正しいことではない。被災した人々にとっては、今選挙などどうでもいい話題である。今はどんな脈絡であれ、政治家個人に注目が集まるべき時ではない。何よりまず被災した人々や地域への支援策が、そして今回の反省から今後の防災策が大きなテーマとなるべき時なのでありであり、政治家も国民もメディアもそこから目を離してはならない。メルケル首相は洪水が起こった時訪米中であったのだが、帰国後すぐに被災地に向かった。関係者から聞き取りをしながら、時にマイクに向かってコメントを発することはあったものの自身が報道の中心に出ることは決してなかったメルケル氏の振舞は、このような場合の政治家として適切なものであったらしく、結果的にメルケル氏は自分にはもう不要な「得点」を稼いだようであった。ある新聞などは、「メルケル氏は目立たぬことを最高レベルにまで完成させた政治家だ」と、不思議な褒め方をしていた。(2021720日付Frankfurter Allgemeine Zeitung 記事「ラシェット氏は危機を任せられる首相だろうか」より)

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