オランダ王妃の帽子と報道の自由

王室大好きのドイツ国民には、英国王室のみならずオランダ王室も人気が高い。特に人気の的になっているのは、オープンで飾らぬ人柄と快活な美しさに輝くマクシマ王妃だ。このオランダ国王夫妻が75日から7日まで、親善の目的でベルリンを訪れた。コロナ感染の危険から一般市民と直接交流する場はなかったものの、二人は連邦議会を訪れ、メルケル首相や連邦議会議長のヴォルフガング・ショイブレ氏と面談し、夜は連邦大統領主催の晩餐会に出席した。ウィレム‐アレクサンダー王は連邦議会で演説も行い、特に気候変動対策での両国の協力を呼びかけ、コロナ危機でドイツの病院がオランダの患者をも引き受けたことへの感謝を述べ、最後には「私たち二人は、今後も定期的に貴国を訪れます。好きな相手に対しては、時間を取り敬意を表するものですから」と、ドイツ国民の心をくすぐるフレンドリーな言葉で締めくくった。だが久しぶりに華やかな国賓を迎えたドイツメディアのカメラ班が追いかけたのはもちろんマクシマ妃の方で、王妃のファッションには注目が集まった。特に王妃の二日目の装い、腕や胸元が透けて見える柔らかなベージュ色の生地のミディ丈ワンピースに、同色の布地の花が沢山付いた頭よりも大きい帽子は人目を引き、数々の新聞がこの写真を掲載した。大柄なマクシマ妃の輝くような笑顔にこの帽子がよく似合っていたことは言うまでもないが、もう一つ、ドイツの新聞が好意的に報じたのが、このワンピースと帽子の組み合わせが王妃が数年前に訪英した際のファッションと全く同一だったことである。衣装を着回している王妃の慎ましさが、質実で庶民的で実によろしい、といった調子で、ドイツにおけるマクシマ妃の株がまた上昇したのである。だが、国王夫妻のこのドイツ訪問の最中にオランダでは由々しい事件が起こり、二人の顔を曇らせることになった。76日夜、アムステルダムの市街地で一人のジャーナリストが銃撃されたのである。

 

重傷を負い現時点でも生死が危ぶまれている被害者は、ぺーター・ドゥ・フリース氏という著名なジャーナリストで、重犯罪事件を追う記者としてオランダでは第一人者であると言われている。麻薬密売ルートを持つ犯罪組織を主に追いかけ、自ら積極的な取材調査を行い、裁判になれば重要証人をフォローして証言させるという幅広い活躍をしていた勇気ある人物であったらしい。ここ最近もドゥ・フリース氏は、組織犯罪をめぐる大きい裁判で一人の証人に付き添っていたということで、この夜はテレビ局から出てきたところを銃撃されたのである。オランダは決して街中での犯罪が多い危険な国というわけではないのだが、麻薬や武器の密売、それに人身売買で巨額を動かす組織犯罪が暗躍していることで知られている。いわゆるマフィア犯罪であるが、犯罪行為がオランダで行われても組織自体はグローバルな規模に広がっているため、事件を解明するにしてもその裏の広がりまで明らかにするのは一国だけでは難しいと言われている。暴力がマフィア同士の抗争に留まり一般社会との接点がないのであればまだよいのであるが、犯罪組織が大きくなればなるほど、自分たちの利益を妨げる存在である捜査陣や政治家、ジャーナリスト、一般市民の証言者に手を出すことにも全く躊躇しなくなることから、被害の拡大がオランダではすでに大きな問題となっていた。ドゥ・フリース氏も、この種の殺人事件をすでに300件以上追ってきており、そのためにマフィアの暗殺リストに名前が載っていることを本人自身知っていたらしい。今回氏が銃撃された事件はオランダ国内ばかりではなく、広くEU内で深刻に受け止められた。それは、ドゥ・フリース氏が著名な人物であったからだけではなく、氏を狙った暗殺がジャーナリズムへの挑戦と捉えられたからである。オランダでは、政治家もジャーナリストも一般国民も一様に衝撃を受けた中で、直ちにマルク・ルッテ首相が「これは自由なジャーナリズムへの攻撃である」と声明を発表したが、この発言にドイツを含め多くのEU諸国が同調し、事の重大さを認識するコメントが次々発せられた。事件の報をベルリンで受け取ったウィレム‐アレクサンダー王も衝撃を隠せず、「法治国家への攻撃だ」と述べたことが伝えられた。こうしてマクシマ妃の帽子で明るく華やかに始まっていたオランダ国王夫妻のドイツ訪問の旅に、最終日には暗い影が差してしまったのである。

 

丁度同じ頃、ドイツでも「ジャーナリズムへの挑戦」とみなされる事件が起こっていた。これは、マフィアだの暗殺だのという物騒な事件ではなかったものの、政界とジャーナリズムを揺るがせるには十分な騒ぎとなった。問題となったのは、ある人物の発言である。この人物はハンス‐ゲオルク・マーセンという人で、かつて連邦憲法擁護庁のトップを務め、現在はCDU(キリスト教民主同盟)党員として今年の総選挙でも連邦議員候補に名を連ねている。連邦憲法擁護庁とは、連邦内務省下に置かれたドイツ国内の情報機関だ。民主主義原則に違反する反憲法活動や国内の反国家活動を調査し情報を集めることを主任務としているのだが、マーセン氏は2018年までこの連邦憲法擁護庁を率いていた。氏は在任中から色々物議を醸した人物で、特に極右政党AfD(ドイツのための選択肢党)寄りの言動や、難民を良からぬ存在と決めつける問題発言でも知られ、最後には上司にあたる連邦内務大臣の信頼を失い解任される形となった。だがその後もマーセン氏は、CDUの党内右派の立場からメルケル政権の難民政策を批判しイスラムテロの危険を警告するなど、公の場での発言が毎回注目される存在であり続けている。どの国においても極右派やナショナリズム、ポピュリズムの政治家が皆そうであるように、マーセン氏は気候変動やコロナ感染を軽視する立場を取り、左派政党や左派的思想を徹底的に敵視。また、ドイツの公共放送局(注:日本と異なりドイツのテレビ・ラジオの公共放送局は、独立性を保つために視聴者の受信料のみで経営されている)に対しても、「あまりに左寄りで、国民の意識操作をしている」との批判を繰り返していた。このマーセン氏が71日、首都ベルリンの地方テレビ局のインタビューの中で、またも全国放送の公共テレビ局を批判して言った発言が、今回の騒ぎの元となったのである。その発言とは以下のものであった―

Tagesschau(注:公共テレビ局ARDが放映している毎日のニュース番組の名称)、もしくはこの公共テレビ局やそのニュース番組のために働いている人々と、国内左派及び極左の動きの間にもつながりがあることが見て取れ、従ってこれは実際に調査をするだけの価値がある。・・・テレビ局の報道編集に携わっている人々の履歴を洗い直して、彼らがどういう性格の人間たちで、その性格から編集に際して“Tagesschau”にどういう色付けをしているのかを調べ上げる必要があるのだ・・・このテレビ局は明らかに左派のたまり場になっており、ARD協力者の90%以上が、左党を中心とする左派勢力、あるいは緑の党のシンパだ。おまけに記者たちも70%以上が左党や緑の党だと思われる・・・。

この発言の理由としてマーセン氏は、左寄りの報道があまりにも幅を利かせているために、ドイツでは、一部の国民が自分の意見を率直に表明できない状況が生まれていると述べ、氏自身は、イスラム系難民の増加や移民系市民による犯罪への恐怖を率直に口にできない国民を代弁する立場を取っていることを説明している。ただしこの発言中、マーセン氏が具体的な事例を挙げることはなかった。

 

当然のことながら、この発言は直ちに政界とジャーナリズムで問題視され、多くの新聞がこのマーセン氏の発言について、「マーセン氏はジャーナリストの『性格審査』、『信条調査』を要求した」と書き立てた。マーセン氏は、問題の放送局ジャーナリスト各人の「信条調査」を要求すると同時に、「偏向報道」に対する刑罰を国が具体的に定めることも要求したのだが、これもドイツのジャーナリズムには即座に、報道の自由と時の権力からの報道の独立性への攻撃であり、暗い過去への回帰だと受け止められた。公共テレビ局を裏で操作している極左勢力と決めつけられた左党(Die Linke)や緑の党(Die Grünen)からも、批判の声が飛んだことは言うまでもない。マーセン氏と同じ政党CDUの政治家たちも、総選挙を前にこんな問題に巻き込まれてはかなわないということであろう、すぐに氏とは距離を置く発言、あるいは氏に離党を求める発言をツイッターなどで発信し始めている。そんな中で唯一苦しい沈黙を保ったのが、CDU党首で次期首相候補のアルミン・ラシェット氏であった。いくら発言が問題視されたとはいえ、総選挙で次期連邦議会議員候補としてすでに小選挙区からの出馬が決まっている党員の扱いにラシェット氏が困惑していることは、容易に見て取れた。その後、この件についてあるインタビュー番組で問い詰められた際にラシェット氏は、問題の発言内容自体からは自身もCDUも大きく距離を置くことを明言しながらも、番組の最中一度もマーセン氏の名前を口にしない、という苦しいワザで乗り切った。この奇妙なインタビューについてはその後また広く報道され、その結果、却って視聴者の注意を引くことになったのは言うまでもない。私個人の印象としては、自分自身が目いっぱい右に立っている人間から見れば中立も「極左」に見えるという一例に過ぎないマーセン氏の発言であったのだが、氏の攻撃が公共テレビ局に向けられたことと、マーセン氏が選挙に勝てばCDU議員団の一員として連邦議会に出てくる人物であることから、ドイツ国内では報道の自由をめぐる大きい騒ぎとなったのである。

 

オランダ国王夫妻のベルリン訪問から話が随分飛んでしまったが、マクシマ妃の帽子と報道の自由の間には何の関係もない。だが、オランダ、ドイツ双方でほぼ同時に起こったこの夏の事件として、これからしばらくの間、マクシマ妃を見ると報道の自由の問題を連想することになりそうである。

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