報道の自由と報道の多様性

 日本ではあまり大きく報道されないことがまさに「報道の自由」に反しているのではないかと私は不審に思っているのだが、国際NGOの‟国境なき記者団(Reporters Sans Frontières)”が毎年発表する‟報道の自由世界ランキング(World Press Freedom Index )”は、ドイツでは毎回新聞やテレビニュースの中で大きく取り上げられ報道される。先月、4月中旬にこの2021年版ランキング(評価対象は昨年2020年の実態)が発表されたところであるが、ドイツは今回180か国中13位。11位だった昨年から二つ順位を落としたことが「憂うべきこと」として、同日ニュースで報じられた。順位はともあれその得点から、昨年はまだ一番上の「良好(Good situation)」グループに入っていたのが、今年は一つ下の「可(Satisfactory situation)」グループに落ちてしまったのである。グループは5つあり、このあと「問題あり(Problematic situation)」、「困難な状況(Difficult situation)」、「極めて深刻な状況(Very serious situation)」と続く。(日本がどこに位置しているか、ご関心の向きはどうぞ各々ランキングでご確認下さい。https://rsf.org/en/ranking_table)今回ドイツの順位が落ちた理由については後ほど‟国境なき記者団”が発表している詳細な分析レポートを見ることにして、まずは、一体このNGOがどのような基準で世界各国の「報道の自由」度を判定しているのか、その方法を紹介しよう。

 

現在行われているのは、大きく二通りの調査方法でそれぞれ別個に得点を集計し、その二つの得点のうち高い方(悪い方)の点数を最終的にその国の点数にする、というやり方である。点数は小数第二位まで出されるが低ければ低いほどよく、前年に続いて今回も一位となったノルウェーは6.72 点、最下位となったアフリカのエリトリアは81.45点、といった具合だ。点数を出すための第一の方法は、NGOが、調査対象国との関係が深いジャーナリスト、学者、法律家、人権運動家、それにNGO自身が持っている特派員ネットワークから数百人の人々にアンケート調査を行い、その回答をまとめて0(最高点)~100(最低点)の間で点数化する、というもの。その際、71の質問が次の6つのカテゴリーに分けて問われている― ①メディアの多様性、②メディアの独立性、③ジャーナリズムの活動環境と自己検閲(注:「自己検閲」とは、ジャーナリズムが自ら権力側に忖度して行う「検閲」を意味する。ちなみに日本は、前回に引き続き今回も特にこの点が問題視されている)、④法の枠条件、⑤組織の透明性、⑥メディア商品のインフラ(たとえば新聞の販売経路など)。さて、この第一の方法、つまり関係者へのアンケート調査で集計された得点とは全く無関係に、もう一つ別の、第二の方法でも点数計算がなされるのであるが、それは、調査対象となった一年間に当該国のジャーナリズムの活動に加えられた妨害行為の件数から集計されるという。「妨害行為」と一口に言っても、報道するジャーナリストへの暴言や脅迫行為から、実際に暴力に走っての傷害事件やカメラや取材器具などの破壊行為、国家権力によるジャーナリストの逮捕や拉致、あるいは誘拐事件、ジャーナリスト本人が危険を察しての亡命事件に至るまで様々あるが、明るみに出たこれらの事件の件数を数えて点数化するらしい。そして第一の方法と第二の方法それぞれから出された点数のうちの高い方(つまり悪い方)が、その国の最終得点となるのである。ここで一つ注意すべきは、このランキングは報道の質を測るものではなく、質の点は全く顧慮されていない点である。このランキングで評価対象にされているのは、各国でジャーナリストが実際に体験している自由のレベル、そして、報道の独立性を守りメディアの活動が決して妨害されぬよう国が行っている努力である、ということだ。

 

冒頭で述べたようにドイツは今回、得点も順位も前回から落とした。前回は12.57点で第11位であったのが、今回は15.24点で第13位となったわけだが、「良好」グループと「可」グループの間の得点の線引きが15.01 点だったために、今回は「可」にずり落ちてしまったのである。その最大の理由はコロナ、ということだ。具体的には、2020年にドイツでジャーナリストたちに加えられた暴力行為の件数が例年をはるかに上回る数に上ったのであるが、その暴力行為のほとんどが、昨夏から盛んになった政府のコロナ対策に反対する市民たちのデモの最中に起こったのである。デモを利用して一般市民を反政府の方向に扇動しようとしている右翼団体や右翼政党のメンバーが、このデモを報道しようとしていたジャーナリストを攻撃し危害を加える事件が多発したのだが、その件数は65件にも上った。通常は年間で1020件程度ということで、右翼勢力による難民排斥デモが盛んになりその最中に報道妨害事件が数多く起こった2015年の39回をも大きく上回ったのである。コロナ感染対策として政府が国民の行動を制限することに不満を抱いた市民たちのデモは、当初こそ、軽率ではあるが無害な運動と思われていたのであるが、みるみるうちに右翼勢力が幅を利かすようになった。右翼が関わっているため当然のことながら常に警官隊も出動しているのだが、昨年は警官隊も自衛に忙しく報道チームを守ることができず、あるいは逆に警官隊が危険回避のため報道チームの活動をあらかじめ抑制することもあったと報告されている。このNGOが公表しているドイツについての分析レポートの中では、以上のような暴力による報道妨害以外にも、コロナのせいで昨年ドイツのジャーナリズムが被った悪影響の数々が挙げられていた。感染リスクから病院や介護施設の取材が禁じられたこと、報道対象とすべき集会やイベントで取材人数や取材スペースに制限がかかったこと。これは裁判取材も同様で、法廷に入れる人数が制限されたために、ジャーナリストたちは時に前夜から寝袋を抱え法廷の前で順番待ちをせざるを得ないこともあったらしい。また、ソーシャルディスタンスを義務付けられたために、取材で政治家に近づくことが難しくなったこと。特に記者会見でもマスク着用が義務づけられ直接発言が禁じられて、質問はあらかじめメールで司会者に送らねばならず、そうすると質問の内容が適当に端折られたり、勝手に一まとめにされてしまったり、というようなことが頻繁に起ったという。もう一つ、コロナが与えた経済打撃のせいで多くの新聞が広告収入を失い、その前年比減少率は最大で80%にまで及んだことも報告されている。デジタル版の広告収入は多少増えたということだが、それも、とても紙版の広告収入減少を補えるようなレベルではないということだ。

 

コロナとの共存が一体いつまで続くのか、感染リスクを恐れる必要がなくなるまでにあとどのくらいかかるのかは不明だが、それでもはっきり「コロナが原因」と分かっている事柄は、一時的な現象と考えることができる。今回の報道の自由ランキング調査で、コロナとは無関係にドイツの問題として指摘されたのは、地方新聞の衰退であった。デジタルへの切り替えが進む中、どの新聞社も紙の新聞の売上には苦戦しているが、特にデジタル変革のための十分な資本を持たない小さい地方新聞は苦しい時代を迎えている。問題は、売上部数が減った分、紙版の地方日刊新聞の販売コストや配達コストが営業利益を押し下げていることで、昨年5月にはメディア企業コンサルタントSchickler社が、このままではここ数年以内に、現存する地方新聞の40%で営業利益が出なくなるであろうことを発表している。このことは「メディアの多様性」の衰退を意味する。というのも、このところ経営が苦しくなった新聞社が合併や統合する動きが増えており、そのたびに地域ごとに異なる視点と特色を持った新聞が一つ姿を消すからである。地方や地域限定で販売される日刊新聞はドイツに300以上あるが、これらの地方日刊新聞は、そこに住む住民たちの生活に深く根ざしてその重要な情報源となってきた。その地域から見た国内・国外ニュース、そしてまさにその地域で起こっている出来事の報道のみならず、様々な生活情報や雇用・文化・娯楽情報、そして消費にまつわる商品情報など日常に直結した情報源として地方新聞は、インターネットが行き渡っている現代でもドイツでは大きな役割を果たしているのである。複数の新聞社が共同で経営しているマーケティング企業Score Media Groupが昨夏発表したアンケート調査結果によると、約5500人の回答者の70%が「地方新聞は不可欠」と答え、80%が実際に利用していると答えたという。もっとも地方日刊新聞においてもデジタル版利用が紙の新聞の購読を凌駕しつつある傾向はもはや止められないようで、このアンケート調査では紙の新聞を読んでいる率は回答者の37%という結果が紹介されていた(残りは、ePaperの定期購読者か無料デジタル版の利用者)。小さい新聞社も生き残るためには、デジタル変革が不可欠なのである。

 

実はドイツの連邦議会は昨夏、追加予算枠の中で国内の新聞社に合計22000万ユーロの助成金を支払うことを決めている。新聞各社のデジタル変革を促す助成金である。このうち2000万ユーロはまず昨年中、残りの2億ユーロは今後数年間に給付されることが決まったのだが、その際正面に掲げられたのが「報道の多様性」を守る目的であった。小さい地方新聞社も潰してはならないということであり、これは一見正しい決定に思えるのだが、その直後からドイツでは、当然現れるべき批判が渦巻き始めた。国家権力からの独立性、自主性を最大の鉄則とする報道業界が国から金を受け取るというのはタブー破りではないか、という批判だ。今回の助成対象は新聞社であるが、国が民間の報道機関に金を出すというのは連邦共和国史上初めてのことである。この助成金を受け取った新聞社の報道活動からは信憑性が失われるのではないか、そもそもこの「タブー破り」の一歩は将来ドイツのメディアを歪んだ方向に導くのではないか、といった不安が当の新聞業界からも盛んに言われ始めた。そして「新聞社は助成金を得て独立性を失うぐらいなら、倒産した方がまし」という連邦新聞社連合トップのマティアス・デプフナー氏の発言が繰り返し引用され、ドイツの小さい新聞社は意図せぬうちに岐路に立たされてしまったのである。助成金を得て自社の独立性を危うくするか、独立性を守って倒産するか―。報道の多様性を守らんがために報道の自由を危険に晒すという事態は、ドイツの多くの国民にとっても想定外の展開だったのではないだろうか。

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