「コロナ後」の社会は「コロナ前」より良くなる?

そもそも「コロナ後」というのがあるのかどうかは脇に置いて、全国紙Die Zeit57日付‟コロナ後の未来(Zukunft nach Corona)”という特集の中で、ドイツの様々な分野の専門家に、コロナ後の社会はコロナ前と比べてどう変貌するであろうかについての見解を聞いている。各専門家ともそれぞれの分野で特に未来に焦点を当てた研究に取り組む、いわゆる“未来研究者”とも呼ばれる人たちであり、おそらく研究者自身の期待や希望が投影されているのであろう、全員が前向きで楽観的な予想を展開していることが共通点である。彼らが描くコロナ後のドイツ社会はどういう方向に進むのであろうか。以下分野ごとにこれら研究者の見解を紹介する。(注:各発言は逐語訳ではなく、概要を日本語にしたものである。)

 

①コミュニケーション(テクノロジー&イノベーション専門アクセル・ツヴェック氏)

「コロナ時代にわれわれが学んだのは、複数世代にまたがる‟家族”の重要性だ。孫が祖父母のために予防注射のオンライン予約を引き受ける、アルバイトを失った学生に親や祖父母世代が金銭援助する、などだ。助け合うことで切り抜けられるとの認識は、今後血縁関係を超えて、友人夫妻と一軒の家をシェアして双方の子供を一緒に育てるなど、家族の定義を広げた形に発展するかもしれない。また、離れた家族や友人とのコミュニケーションが主にデジタルでなされてきたコロナ時代には、われわれは、二次元画面だけを頼りに相手の心情を察することを学ばねばならなかった。それだけ相手に注意深く耳を傾ける必要があったわけで、ここで身に着けたコミュニケーションの姿勢はコロナ後も大きな強みとなるであろう。デジタルコミュニケーションで人間関係を構築することは、コロナ前よりコロナ後の方が容易になると思われる。そしてビジネスのみならずプライベートでも、直に人に会う必要性があらかじめ吟味され、回数が絞られるようになることも予想される。」

 

②交通(都市計画及びモビリティ専門シュテファン・カーステン氏)

「疫病時代の勝者は自転車である。欧州にはすでにコロナ前からとっくに自転車がトレンドとなっていた国が複数あるが、ここに至ってドイツ社会でもはっきり自転車に舵を切る傾向が見られる。これには複数の理由があるが、まず、疫病で健康の大切さに気付いたこと。運動としての自転車の価値が見直されたのである。それから、公共交通機関は感染の危険が大きい危険な場所と認識されたこと。もう一つ、昨今の地球温暖化対策で出勤時の車離れはドイツでもすでに始まっていたが、コロナ時代のHome Officeの導入でマイカー出勤は更に減少。その他の日常の外出は徒歩か自転車、というのが一般化しつつある。今後車両数の減少と並行して、街中の道路やパーキングが整理され自転車専用道や駐輪場に変わっていくことが期待できる。コロナで行動範囲を狭く制限された市民の生活スタイルは、コロナ後の街創りにも影響を及ぼすであろう。日常の買い物、医者、銀行、郵便局、子供の学校や幼稚園など、日常生活が徒歩圏内で済む長所が大きく認識されたのである。数年前にパリで提唱された“15分の街”(注:住民の日常生活が徒歩15分の圏内に収まるような、非中央集中型の街)創りが、生活の質を高める手段として今後求められていくであろう。」

 

③食生活(栄養学専門のハンニ・リュッツラー氏)

「今回の疫病は、健康を守るにも限界があることをわれわれに思い知らせたが、逆に、健康のために自分で変えられることもあることを認識させてくれた。食生活だ。コロナ時代には自宅で過ごす時間が増えた人が多く、結果的に自炊の回数が増えた。自分で料理をすれば、食材の質や産地、適正価格などへの関心も大きくなる。また昨年は、新鮮な食材のオンライン注文を受け配達するビジネスも成長した。E-Foodと呼ばれるこのインターネット食品販売は、簡便であることのみを売りにしているわけではない。他社との競争もあり、どの業者もスーパーなど通常店舗におけるよりはるかに詳細な商品情報を、ホームページ上に掲載している。その食材の産地や生産方法、流通の過程など、できる限りの情報が顧客に伝えられるのである。この業界はコロナのおかげで急成長したが、コロナ後の社会にもトレンドとして定着するであろう。コロナは日常の食事風景も変えた。Home Officeの就労者が増えたせいで、家族全員で日に三度食卓を囲むという、もうドイツでは数十年来見られなかった情景が蘇った家庭もあるのだ。この習慣をコロナ後もできる限り持ち続けたいと思う人も多いであろう。コロナは、構造的にも感情的にも、日々の食事を再びわれわれの身近にもたらしてくれたと言える。」

 

④就労(就労形態変革の専門家スヴェン・ゲート氏)

「複数の調査から、今後はオフィス内の就労時間が2030%減少し、また出張の数も制限されていくことが予想される。リモート就労形態に多くの自由を見出した就労者にとって魅力的な雇用者であり続けるためには、雇用者はコロナ後もこの形態を提供し続けられるよう努めねばならない。だがその一方で、人間が社会的動物であることは否定できず、職場での同僚とのおしゃべりや触れあいが完全に無くなるなら、それもワークライフバランスに悪影響を及ぼす。従って雇用者はこの相反する二つの側面、出勤する必要なくどこででも好きな場所で仕事ができる自由と、同僚と触れ合える場の二つを兼ね備えた環境を用意しなければならない。また、コロナ時代にドイツでは、バーンアウトの症例数が増加した。Home Office形態は、仕事と私生活の境目なくだらだら働き続ける状況を引き起こし易く、これをどう断ち切るか、就労者各人に任せるか雇用者がルールを作るかが、今後の課題となる。Googleなど米巨大IT企業が、就労の場と娯楽・余暇設備、就労場所としての構造と自由で気ままな環境の双方を、一つの広大な敷地に作り上げた‟キャンパス(Campus)”は、未来モデルの一つと言える。」

 

⑤社会の価値(トレンド研究者のアイケ・ヴェンツェル氏)

「これまで個人の自由が重視される社会に生きてきたわれわれは、コロナ時代にこの自由の限界を知ることになった。好むと好まざるとにかかわらず個人の自由が大きく制限されたのがコロナ禍の生活であり、そこでは社会におけるもう一つ別の価値、つまり責任が重視されるようになった。他者や社会に対する個人の責任の自覚は、今後環境問題にも持ち込まれるであろう。後の世代にも生きる価値のある未来を残したいと考えるなら、各人が自由の限界を受け入れねばならない。これは集団責任であり、コロナによってわれわれはこの責任を、地球に生きる全員が守るべき原則として理解したのである。コロナの時代にわれわれは、他者とは自分たちが守り助けることのできる存在であることを学んだ。今後なされるべきは、この一社会において自覚された責任を地球規模に拡大することである。そして、目の前の他者に対してのみならず、気候変動の災害で家を失った地球上の誰かに対する責任をも自覚できるようになることが望まれる。そうすればコロナ後の社会は、個人の自由と集団責任のバランスが取れた社会となるであろう。」

 

⑥消費(社会学者のクリスティアン・シュルト氏)

「コロナ禍にあっては市民の消費活動も制限され、その結果消費者は、本当に必要なものに目を向け始めるようになった。この姿勢が長期的に続くなら、今後はモノを享受する際各人がより自覚的になる傾向が増していくであろう。つまり、消費のための消費、欲求不満のはけ口としての消費は減少することが予想される。これは量から質への転換であり、同時に商品の背景情報への関心が増すことでもある。どこでどのように製造され、どのような流通経路を辿ってきた商品かといったことへの関心だ。一方でコロナ時代にわれわれは、遠くの百貨店やショッピングセンターよりも近所の個人商店に目を向け始め、その存在意義を痛感することになった。これらの古典的な店舗販売が、コロナ時代に一層飛躍したオンライン販売に今後も対抗できるためには、各商店が工夫してハイブリッド構想を実現していく必要がある。それは必ずしも、そのような商店もオンライン販売を始めねばならぬという意味ではなく、カフェや休息所を併設したり、商品の修繕も引き受けたりといったアナログ販売ならではの特色を出すことである。同時にコロナ時代に定着した‟Click Collect”という販売方法(注:厳しいロックダウン中にドイツでは、顧客が店内に入る必要がないよう、インターネットで注文した後店舗の戸口で商品を受け取れる方法を導入した商店が多かった)に代表されるように、デジタル技術を取り入れながらも顧客との出会いや関係を保ち続けられるやり方を、多くの店舗はコロナ禍で学んだのである。」

 

コロナが終息したとしても多くの人がまずその次に思い浮かべるのは、債務を抱えた国家、閉ざされたままの店舗、職を失った人々、社会の中でまた一つ広がった格差、授業についていけなくなった子供たち、コロナの後遺症に苦しむ人々、といった暗いシナリオであろう。そんな中でこのDie Zeitの特集では、以上6名の学者たちが徹底的にポジティブな社会の発展を予測した。この予測がどこまで当たるのかはわからないものの、一つ確かなことは、コロナが思いがけぬ形で社会の変化のスピードを加速させたことである。この6人のメッセージは、われわれ一人一人がコロナ禍で学んだことをコロナ後の世界にポジティブに生かしていこうではないか、という呼びかけなのであろう。 

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