「今」を超えた判決

 米バイデン大統領が大統領就任後まず最初に行ったのが、パリ協定(Paris Agreement201512月のパリ気候会議で合意された国際協定で、「産業革命以前からの世界の平均気温上昇を1.5 2度未満に抑えること」を目標とした内容)への復帰であったことは、EUやドイツを喜ばせた。今年に入り、気候変動対策担当の米大統領特使としてジョン・ケリー氏が世界を飛び回り始めたが、414日にケリー氏は中国にも足を運んだ。貿易戦争の激化で目下米国との関係が悪化している中国に対しても気候変動対策における協調を求め、一週間後に開かれるバーチャル国際気候会議の準備として二国間会合を持つことが目的であったが、この時ケリー氏は自分が訪れることへの中国側の公式な回答を待たず、いわば招待される前に上海空港に降り立ったことが伝えられている。気候変動対策の世界協調を何が何でも主導しようという米国の熱意が窺われる出来事だ。そして422日と23日の二日間、予定通り米国主導で開かれたバーチャル国際気候会議には世界40か国の首脳たちが参加したが、この場でバイデン大統領は、米国は2030年末までに2005年比で温室効果ガス排出量を半減するという目標を発表する。これは2015年のパリ協定合意内容をほとんど倍速にするスピードであり、この発表で、米国が本気でトランプ政権時代の方針を180度転換するつもりであることが世界に伝わったのである。同時に米国は、「だから世界の他国も我々に続け」との合図を発信したわけで、このバーチャル会議では中国の習近平国家主席も、ロシアのプーチン大統領も世界と足並みを揃えることを宣言した。国家間の様々な衝突やトラブルはとりあえず脇に置く形で、出席した各国リーダーたちが、気候変動問題においては一つの目標のもとに結束する姿勢を世界に示したのである。

 

ドイツでもこの国際気候会議の様子は、この日のトップ・ニュースとして大きく報道された。米国が掲げた大胆な目標の実現可能性はともあれ、欧州が注目したのは、バイデン大統領が発表した米国の計画が、気候変動対策を「雇用創出(Job)」と「投資(Money)」に直結させる内容であったことである。米国は、ウィンドパークやソラーパークといった再生可能エネルギー設備への投資拡大のみならず、温室効果ガス削減のためのフィルター設備など新技術を応用した大規模なインフラ構築と産業再編成を念頭に置いて、投資利益と共に百万単位の雇用創出を狙っているのである。米国が具体的な策とその規模を発表したこと、そして中国、ロシアといった大国が世界と連帯し同じ方向に進むことを宣言したこと、この二つの点からドイツのメディアは今回の国際気候会議を、「転換期になった会議」と捉え評価している。一方で、エネルギー転換のための技術ですでに一歩も二歩も欧州に先んじている中国が今後、後進国を援助するために自国の技術を引っ提げてこれまで以上に世界市場に進出するつもりでいることを明らかにし、そしてこれに負けじと米国が総力を挙げて技術研究開発を進めるのであれば、EUもうかうかしてはいられないという点も、ドイツでは盛んに報じられた。経済効率のよい再生可能エネルギー蓄電システムなど、欧州も今後強力な公的財政支援のもとで研究開発を進め、他国に先んじて世界市場に出したい技術は数多くあると言われる。今回の気候変動会議は、温室効果ガスの削減という一つの目標を目指す国際協力の出発点となったのみならず、先進各国が今後技術開発にしのぎを削る出発点にもなったのだ。数年後に、「昔はわれわれの方が先を行っていたのに・・・」と欧州が指をくわえて米国を仰ぎ見るようなことがないよう、ドイツもEU諸国も頑張らねばならぬというメッセージがこの日の報道には込められていた。

 

40か国のリーダーたちがバーチャル会議を続けていた二日目の423日、青少年を中心にしたFridays for Future運動はまた世界同日デモを行った。2019年に世界に広がったFridays for Future 運動はこの初年には世界同日デモを4回行い、ドイツ全国のデモ動員数は最大で140万人にも上ったことがある(2019920日の第3回グローバルデモ)。その後昨年はコロナの影響でバーチャルで1回と、コロナ規制に沿った小規模に分けてのデモが1回行われただけであったが、今年は3月の7回目に引き続き、この423日には8回目の世界同日デモを開催するに至ったのである。この日ドイツでも15都市で若者中心のデモが繰り広げられた。規模こそ小さかったものの、自転車で町を走り抜けるデモや、人間一人が歩く時に必要とするスペースと車一台が通る際に必要なスペースの違いがはっきり比較できるように、各人が車の大きさに作った木枠を抱えて行進するデモなど、各都市で様々な工夫が凝らされていた。今回のスローガンは‟No more empty summits”、口先だけで実行が伴わないサミットはもう沢山、というものである。ドイツのFridays for Future運動がドイツ政府に要求しているのは、最初から一貫して次の三点である:①2035年までにカーボンニュートラルを達成する、②2030年までに完全な脱石炭を達成する、③2035年までに電力の100%再生エネルギー化を達成する。彼らが究極の目標として掲げているのは、パリ協定で合意された中でも「下」の数字、つまり、「産業革命以前からの世界の平均気温上昇を1.5度未満に抑えること」であり、そのために彼らが今連邦政府に求めている具体策は次の三点だ:①化石燃料に対するあらゆる助成の打ち切り、②石炭火力発電所の4分の1をすぐに停止する、③二酸化炭素ガス排出に課すCO²税を導入する。その際の適正税額は、CO²排出量1トンにつき180ユーロ。どんなに世界の大国が「頑張ります」という姿勢を示そうが、これら具体的な対策が実現されない限りFridays for Futureは妥協せずに反対運動を続けるぞというメッセージが、この日も国際気候会議に出席した面々に向かって発信されたのである。

 

そんな中429日、ドイツの連邦憲法裁判所が下したある判決が大きな注目を集めることになった。ドイツで201912月に施行された気候保護法(Klimaschutzgesetz)の一部に、この日違憲判決が下りたのである。気候保護法とは、パリ協定に沿ってドイツが達成すべき2030年までの具体的な目標を定めた法律だ。この中では、温室効果ガス排出量を2030年までに1990年比で少なくとも55%削減することが絶対目標として定められ、更に、この実現のために2030年まで毎年各セクターが削減しなければらない年間数値も掲げられている。だが、この内容ではとてもパリ協定で合意された目標は達成できないと失望した複数の環境保護団体が、その後共同で、連邦憲法裁判所に訴えを起こしていたのである。この原告団の一員としてFridays for Future の若い運動家たちも名を連ねていたのだが、彼らの疑問は、パリ協定で合意された究極の目標(「平均気温上昇を1.5度未満に抑える」)に沿わない法律は、ドイツ基本法で定められた基本的人権に反するのではないかというものであった。根拠にされたのは、この法が2030年までのことしか決めておらず、しかもそれが不十分な内容であるがゆえに、結局のところ国は、その後も残る大きい課題を無責任に2030年以降の世代に丸投げしている、という点である。そしてこの日連邦憲法裁判所は原告団の言い分を認め、この法は部分的に違憲であるとの判決を下したのだ。その判決要旨は以下の通りである―「実際にはどんな自由も、この将来の温室効果ガス排出量削減義務の制約を受けることになる。なぜなら人間の生活はほとんどすべての領域で温室効果ガス排出と密接に関連し合っており、従ってこのままいくと2030年後には(人間の自由が)極端な制限を受けざるを得なくなるからである。・・・未来の人間の自由を守るためには、カーボンニュートラルへの移行を前倒しして進める必要がある・・・。」すなわち憲法裁判所は、未来の世代に後始末をさせたりその自由を制限することになるような形で、今国が決定したり行動したりすることは、未来の人間の自由を侵す行為であり違憲である、と判断したのである。なんとも粋な判決ではないか。「未来の自由」が脅かされるという理由で、今一つの法律に違憲判決が下されたのだ。

 

Fridays for Future の若者たちがこの判決に喜びの声を上げたことは言うまでもないが、それとは別に、この判決を伝える報道の中ではしきりに「画期的」、「歴史に残る」、「センセーショナル」といった形容詞が使われていた。今私たちは次世代にツケを回す形で生きている。だが今回の判決で憲法裁判所は、次世代のために今早めに対策せよと国に対してはっきり命じたのである。政治の多くの部分は、次世代のためになされねばならないのだ。ある報道記者はこれを、「未来が現在と一緒になって決定を下すことができる、ということを明らかにした点で、今回の判決はセンセーショナルなものであった」と表現していた。「連邦政府は2022年末までに、2030年以降の温室効果ガス削減計画を具体的に作成し、法に盛り込まねばならない」との具体的な判決内容へのコメントを求められた連邦経済・エネルギー相ペーター・アルトマイアー氏は、記者たちの前で判決に従うことを約束していたが、この課題は、今年9月の総選挙後に成立する新政権のToDo リスト上位に掲げられるのであろう。それにしても、今回憲法裁判所が下した「今」を超える判決が、今後気候変動政策だけに留まらず、年金や医療保険、介護保険といった世代間の大きな不公平が問題となっている社会保障政策にも影響を与えることになるのだろうかという点に、私は大いに関心をそそられる。

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