ドイツの女性は元気!
何年か前に遡る話だが、米国でトランプ大統領が就任した直後、娘のイヴァンカ氏にも随分注目が集まった。まだ若く、モデルの美貌とスタイル、ファッションで惹きつけるだけではなく、母親であり実業家でもあり、またトランプ氏に直接の影響力を持つ数少ない人間の一人であったことで、当時イヴァンカ氏にはもてはやされるだけの理由が十分にあったのだろう。イヴァンカ氏で今思い出すのは、2017年春にベルリンで開催された先進国20か国による女性サミットW20-Summit(主に経済分野で女性の力を生かすことを目的に、2015年からG20の前に開催されている女性によるサミット会議)に、彼女も招かれて出席した時のことだ。この中のプログラムの一つ、世界の頂点に立つ女性たちの座談会にイヴァンカ氏も加わったのである。経済界で活躍するトップ・ビジネスウーマンたちが聴衆として集まる前で舞台に並んで座ったのは、カナダの外相クリスティア・フリーランド氏、当時IMF(国際通貨基金)理事長であったクリスティーヌ・ラガルド氏、そしてアンゲラ・メルケル首相といった錚々たる顔ぶれであった。“first
lady”だの “first
daughter”だのという語を使う習慣がないことからこの種のステイタスにはほとんど敬意を持たないドイツ人からは、このメンバーにイヴァンカ氏が混じることへの違和感を訴える声も露骨に起こり、またこの時の司会者(女性)からも「貴方は一体どういう役割を担っているのですか」と、一体あんた誰?と言わんばかりの質問が発せられた。だが実はこの場にイヴァンカ氏を招いたのはメルケル首相自身であったと言われている。これより以前トランプ新大統領と会談するためにメルケル氏が渡米した際二人はすでに知り会っており、メルケル氏は、イヴァンカ氏をトランプ新大統領に接近するためのキーパーソンであると認識したらしい。父親を射んと欲すればまず娘を射よ、というわけだ。ともあれイヴァンカ氏はこの座談会でも父親の宣伝に終始して聴衆からはブーイングまで飛び出したのであるが、公平に見れば、周囲の冷たい反応にもめげず終始落ち着いてにこやかかつ礼儀正しい態度を取り続けたイヴァンカ氏はかなり健闘したと言える。ただ、他の出席者の横ではその貫禄と存在感、発言の重みに大人と子供ほどの差があり、彼女がこの輪の中に混じっていること自体痛々しい感じがしたものだ。それでも並んで座っていた “大人”の女性三人が彼女に暖かい視線を向け、彼女をなるべく立てようとし、労わるように振舞っていたのが印象的であった。
イヴァンカ氏についてはこれだけの話なのだが、世界の優れた女性たちが自力で権力の頂点に立ち、活躍しているのを見るのはワクワクする。(これは私が女性だからなのか、男性はそう思わないのかは、私には分からない。)何より私が面白いと思うのは、このような女性たち皆がそれぞれ自分なりに「女性」であることだ。当たり前ではないか言われそうだが、私が言いたいのは「女性らしい」とか「女性であることをうまく使っている」とか、あるいは「男性に対抗意識を燃やしている」などということではない。権力の頂点に立っている彼女たちは、普通に自然に「女性の権力者」になっている。現在ECB(欧州中央銀行)総裁の座にあるラガルド氏は、いつも洒落たスカーフ使いでいかにもおしゃれな感じだが、おそらく彼女自身が毎日自分のためにおしゃれを楽しんでいるだけで、仕事とは全く関係のない話なのであろうと思う。また男性・女性という性別を超えたところに君臨しているように見えるメルケル首相も、あれだけ貫禄を備えながら重圧感、威圧感がないのは彼女の女性としての軽やかさからではないかと思う。ドイツではこのところ政界で頂点に立つ女性が増えている。メルケル氏が2018年秋に18年間務めた自党CDU(キリスト教民主同盟)の党首の座を退いた後、後継党首に選ばれたのはやはり女性のアンネグレート・クラムプ‐カレンバウアー氏であった。(注:彼女はその後二年経ったところで辞任し、先月アルミン・ラシェット氏がしばらくぶりの男性党首としてこのポジションを引き継いだ。)続く2019年はEU選挙の年で、委員長にはそれまでドイツのメルケル政権で連邦防衛相を務めていたウルズラ・フォン・デア・ライエン氏が就任。この時ドイツ国内では、メルケル首相、政権第一党CDUのクラムプ‐カレンバウアー党首、そしてフォン・デア・ライエンEU委員長と、もともと同じ政党で仲のいい女性政治家三人がそれぞれ頂点に立ったことが随分話題になった。政権第二党のSPD(ドイツ社会民主党)も2019年の党首選では、同等の立場の男女ペアを党首に選ぶことを伝統にしている野党緑の党を真似て、同等の立場の二人を党首にすることを決め、その際二人のうち「少なくとも」一人は女性にすることを条件にした。(結果的に現在SPDも男女ペアの党首を立てている。)現閣僚の顔ぶれを見ると、16人の連邦大臣のうち7人が女性だ。ただし連邦議会の議員数では全709人のうち女性は218人で、全体の3分の1弱の31%に留まっている。2019年の調べによるとこの女性率は世界193か国中42位ということで、決して自慢できる数字ではない。
だがドイツで女性の進出がもっと遅れているのは、政界よりも経済界である。ドイツの株式会社は株式法で定められている通り、経営に携わる取締役会とは別にこれを監督する監査役会(注:外部の株主代表者らを中心に編成される)を置かねばならない。2015年に連邦政府は“役職における男女平等法”を制定し、まずは監査役会に従業員代表者も送ることが義務付けられている上場企業100数社を対象に、2016年から監査役会の女性率を30%以上に引き上げるよう命じた。これがドイツでは、法で定める女性率の第一弾となる。連邦政府の発表によればこの法はそれなりの効果をもたらし、2016年1月時点で平均20%前後に過ぎなかった監査役会の女性率が、翌年にはすでに30%を超え、2020年11月時点で35.2%に達したという。もっとも国が女性率という法律を作って企業に強制することについては、当時決して議論がなかったわけではない。それどころか、何年にも亘って政界と経済界では激しい議論が続いた。興味深かったのは賛成派と反対派に取り立てて男女の差がなかったことである。なによりメルケル首相自身が何年もの間、法律で女性率を定めることを拒んできた。自由な企業活動に国がそこまで介入することをよしとしないことが最大の理由だったが、これに加えて当時はメルケル首相のみならず、「法律などなくてもドイツは優秀な女性が自然に台頭できる国だ」と信じていた政治家が、当の女性も含めて少なくなかったのである。だが自由にさせていればドイツ企業はいつまでたっても変わらず、メルケル首相自身数年後には法律で強制する必要を認めざるを得なくなった。この時の法で定められたのは次のような内容である- 現監査役を交代させる必要はないが、「役員の30%以上を女性にする」という鉄則は次に交代する時点で顧慮されねばならない。もし女性候補者がいないならばその席は空席とし、男性で埋めてはならない。だが空席のままにすると監査役会が機能しなくなる惧れがあるため、実際には空席にした例はこれまでにないようである。こうして法の効果があり監査役会では女性率の向上に成功したのだが、問題は企業の経営を担っている取締役会の方である。こちらは当時の法で強制される対象にならなかったことから現時点でも改善が見られぬままで、ドイツの最大手200企業の取締役会女性率は、今年初頭時点で平均11.5%に留まっていることが報告されている。取締役に女性が一人もおらず、女性を入れることを目標に掲げてもいない企業が多いのだ。これを問題視した連邦政府は今、法の強制力でここにも手を入れようとしている。これがドイツでは、法で定める女性率第二弾となるわけだが、今年初頭に連邦政府による基本法案が出来上がったことが発表された。そこには、「従業員2000人以上の上場企業(対象となるのは70社)は取締役会に最低一人女性を置かねばならない」に始まり、特にドイツ鉄道など国有企業が私企業の模範となるべく女性役員を増やすことなど様々なルールが盛り込まれている。これは2015年の“役職における男女平等法”改正版として、9月の総選挙前、現政権中に連邦議会を通ることが目指されている。
政界や経済界で以上の動きがある一方、ドイツ社会を見回すと、所属やポジションにかかわらず若い女性が元気だなと思うことが多い。様々な社会運動の中心となり生き生きと活躍している若い女性が多いのだ。ドイツのFridays for Future運動の中心になっているのは、ルイーザ・ノイバウアーという24歳の元気一杯の女性だ。また、ゴムボートで地中海を渡ろうとするアフリカ難民を溺死から救う海の救出活動を続けているドイツのNGO“Sea Watch”が一昨年夏、難民の入国を拒むイタリア政府と衝突した際に、キャプテンとして自分の判断でイタリアの制止を振り切りイタリア領の島に船をつけ難民を救うと同時に、責任者として一時イタリア側に逮捕されたのは、カローラ・ラッケーテという当時31歳のドイツ人女性だった。この時彼女が見せた固い信念、リーダーシップ、責任を取る覚悟、終始冷静で毅然とした態度は、世界でこのニュースを追っていた人々を本当に感動させたものだった。この二人の女性は今や有名人であるが、ドイツ社会では決して稀有な存在ではない。身近な例でも、ギムナジウム(注:小学校5年生から高校3年生までが在籍する学校で、大学入学を目標とする8年間一貫教育の進学校)の学校代表者(Schulsprecher)に選ばれる生徒はなぜか女子であることが多い。この学校代表者とは日本の生徒会長とは異なり、生徒の要求や意見をまとめて対外的に主張や交渉をする役割も担っている。つまり州の文化省やメディアも相手にするわけで、要求を掲げたりインタビューに応じたりする彼女たちの堂々たる態度はとても17歳前後の生徒とは思えず、私など感銘を受けることが多い。このように若い女性の活躍が目立つドイツであるが、彼女たちを見ていてもう一つ気づくのは、彼女たち自身背後にいる沢山の仲間に支えられていることであり、その中にはもちろん若い男性も多い。一つの目標を掲げた集団にあっては男女差などどうでもいいという、いかにも屈託のない、自然で平等な関係がそこにはある。このようなドイツの若い世代は、女性率という法律以上にドイツを変えていくのかもしれないな、と私は思っている。
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