“移民背景(Migrationshintergrund)を持つ者”は差別語か
大きなニュースではなかったのだが、ラジオの報道でそれを聞いた時私は思わずにんまりした。私が嫌っていたドイツ語の単語について、先日専門家委員会が連邦政府に使用中止を提言したのである。それは「移民背景(Migrationshintergrund、英語では migrant background)」という単語なのだが、一体この語がどういう意味であり、これまでドイツでどのように使われてきたかをまずは説明しなければなるまい。この単語をオフィシャルに導入したのは連邦統計局であり、2005年の話である。その定義は、ドイツに定住している人間のうち「本人、もしくは少なくとも片親が、生まれた時にドイツ国籍を持っていなかったケース」と説明されている。もっと分かり易く言うなら、本人の今の国籍がドイツであれドイツ以外であれ、本人もしくは少なくとも片親が「移民(Migrant)」、すなわちよその国からドイツに移住してきたケースを指して言われる。(注:外国人の中でも、たとえば仕事や勉強のために一時的にドイツに滞在している者は、「移民」の中には入らない。)従ってこのカテゴリーは、「ドイツ人」「外国人」というように国籍を基準にしたものではない。そして事実、このカテゴリーに入る人間の過半数はドイツ国籍を、あるいはドイツ国籍も持っている人間たちだ。ドイツでは、片親がドイツ国籍を持っていればその子供には出生時に自動的にドイツ国籍が与えられる(つまりその子供は出生時に、当然のこととして両親双方の国籍を取得するのである)。加えて今では、比較的新しい法改正により、両親ともが外国籍であってもその子供がドイツで生まれたのであれば、一定条件を満たすことで子供にはドイツ国籍が与えられるようにもなっている。だがこのようなケースの「ドイツ人」は、連邦統計局が作成する統計の中では「ドイツ人」のカテゴリーではなく、「移民背景を持つ者」のカテゴリーに入るのだ。私から見ると、ドイツ人にはまるで「普通(?)のドイツ人」と「移民背景を持つドイツ人」の二種類があるかのようで、これ自体大変に奇妙なことだと思ってきた。
ではなぜ連邦統計局は2005年に、こんな奇妙なカテゴリーを作ったのであろうか。たとえば今連邦統計局(Statistisches
Bundesamt)のホームページに入りこのテーマで検索すると、最新情報として「2019年にはドイツ国民のうち2120万人、すなわち全人口の26.0%が移民背景を持つ人間であった」とのデータが発表されており、「同年の外国人住民数は1120万人」のデータと並べて置かれている。つまりこの二つのカテゴリーは、「ドイツ人」とは区別されて設けられているのだ。選挙権を持たぬ外国人住民がドイツ人と区別されて勘定されるのは当然であるとして、なぜ「移民背景を持つドイツ人」が統計上「ドイツ人」と区別されて扱われねばならないのかにはもちろん理由がある。ドイツは欧州他国と比べて外国人住民数が非常に多い。人数では断然首位であり、人口比率では分母が小さいスイスやオーストリアの方が高くなるものの、ドイツも上位に位置している。またドイツのこの傾向には拍車がかかっており、1970年には人口比4.3%であった外国人住民率が30年後の2000年には二倍以上の8.8%、2019年には三倍近くの12.5%になっている。外国人住民が増えれば当然「移民背景を持つ者」の数も増えるわけで、この語が導入された2005年に800万人程度(人口比13%)であった「移民背景を持つ者」の数が、2019年には2120万人、人口比で26%と倍増していることが明らかになっている。こうして移民が増えることによりドイツ社会がどう変化し、どんな問題が浮上してくるか、そして問題解決にどのような対策が必要かを国が検討するための資料にされるのが連邦統計局による統計なのだが、その際「移民背景を持つドイツ人」という大きな数のグループを無視することができなくなったのが2005年頃の状況だった。つまり、「ドイツ人」と「外国人(非ドイツ人)」という二つのカテゴリーだけでは、社会の実情を正確に把握するには不足とみなされたのである。これが、連邦統計局がこの「第三のカテゴリー」を使うようになった理由だ。そして、この連邦統計局からのデータに基づいて現状分析を行い業務に役立てている役所は、警察から雇用庁や社会福祉局、教育庁に至るまで数多く、これらの役所が盛んにこのカテゴリーを用いるために、この「移民背景」という語はドイツ市民にとってはすっかり耳慣れた言葉となったのである。
次に、なぜ私がこの語を嫌っているのか、その理由をお話ししたい。前述のようにこの語は多くの役所で正式な用語と認められ、結果様々な場面に登場するようになった。日々の報道でもよく聞く語なのだが、たとえば学校生徒の知識水準を州や地域単位で比較した結果や、あるいは都市別失業率を発表する際、差を生む一つの要因として、各州、地域、都市の「移民背景を持つ者」の比率が並べて伝えられる。たしかにこの二つの例の場合、そこに確かな因果関係が認められるのであろうから(つまり、「移民背景を持つ者」の方がドイツ語習得に遅れが生じやすい分学力が劣り、失業率が高くなる傾向がある、ということだ)、この語を登場させることには分析調査上意味があるのであろう。だが、昨年コロナ規制が厳しくなった中でフラストレーションが溜まった若者たちによる暴動事件が全国あちこちで起こった際、そのたびに「過半数が『移民背景を持つ者』であった」、「『移民背景を持つ若者』が大半を占めていた」といった報道がなされ、この時は私にはこの語を使う意図が全く分からなかった。「ドイツ人の若者」、もしくはドイツ国籍ではなかったのであれば「外国人の若者」でいいではないか。どこに「移民背景を持つ者」と表現する必要があるのか。犯罪を犯した人間がドイツ人か外国人か、その国籍をはっきりさせることは国内の安全対策上必要なことであろう。場合によっては外国人の入国審査を厳しくする必要が生じるからである。だが、犯罪を犯した人間が「移民背景を持つドイツ人」か「普通(?)のドイツ人」かを区別して報道する必要がどこにあるのだろう- というのが私の疑問であった。ましてや全国ニュースでそこまで発表されると、一般国民の間には簡単に「移民背景を持つ者」への偏見が作られていく。現にこのカテゴリーに入れられた人々の多くが、「ドイツ市民として二級とみなされているような気がする」と述べており、人権擁護団体の調査チームからは、「ドイツ人がこの語を聞くと通常『白人ではない人間』を想起し、そこにはどうしても人種差別的意味合いが感じ取れる」との報告もなされている(全国新聞Tageszeitung
2020年7月15日付記事「この言葉はもう止めて」より)。
このような中で先日、主に社会学者からなる専門家委員会が、政府からの委託を受け二年かけて作成した200ページに上る報告書を提出し、その中で「移民背景」という語の使用を止めるよう提言したことが報道されたのである。もともとの政府からの委託は、移民の国ドイツで社会の結束をどう強化していけばよいのか、その基準を作ること、その際特に「移民背景を持つ者」の“社会参入能力(Integrationsfähigkeit)”を調査しその限界を見極めること、という内容であった。その目的は、出自の異なる様々な信条や宗教、価値観や習慣を持つ人間がドイツ社会に参入するシステムを、将来に向けて更に確実なものとすることにある、と説明されている。これに回答する中で専門家委員会は、「移民背景を持つ者」というカテゴリーの中に入れられる人間グループ自体が時代とともに急速に多様化しており、もはや一括りにして論じられないこと、従ってこの分類はほとんど意味をなさなくなっている、つまり今や時代遅れの概念だという理由から、「移民背景」という語を使用することは止めてはどうかと提案した。そしてその際委員会は、このカテゴリーに入れられる人々の多くが、この語が頻繁に使われることで自分は100%ドイツ社会には属していない人間なのだと言われているような気がする、と発言していることも指摘している。「移民背景を持つ者」の代わりに使うカテゴリーとしてこの専門家委員会が提案してきたのは、「国外からの移住者とその(直接の)子世代(Eingewanderte
und ihre (direkten) Nachkommen)」という表現であり、その際定義も修正されている。それによればこの新カテゴリーに入るのは、「本人、もしくは両親共が1950年以降にドイツ連邦共和国に移住してきたケース」ということであり、従ってこの新定義が導入されれば、これまで「移民背景を持つ者」のカテゴリーに入れられてきた「片親だけが移民」の人間は、目出度く「ドイツ人」に昇進することになる。
この提言が連邦政府に受け入れられるまでにはまだ議論が続くであろうし、またもし受け入れられたにしても、今や社会の隅々にまで浸透している「移民背景を持つ者」という表現が新しい「国外からの移住者とその(直接の)子世代」と入れ替えられるまでにはまだかなりの時間が必要であろう。しかし、とここで私は首をひねるわけだが、これはそもそも言葉の問題なのだろうか。単語だけを見ていると私にはそうは思えないのであるが、果たして「移民背景(Migrationshintergrund)」という語と「国外からの移住者(Eingewanderte)とその子世代」という表現の間には、私には嗅ぎつけることのできないニュアンスの差があって、前者は差別的に聞こえるが後者は良い、ということなのであろうか。私が「移民背景」という語を嫌っていたのはその単語自体が差別的であるからではなく、そのようなカテゴリー分けが不要と思われる状況でさえ、この語が盛んに使われているからなのだ。そしてその時には、使う側の偏見に満ちたメッセージが込められているように思えるからである。表現が刷新され「国外からの移住者」が使われるようになったとしても、もしそこにこれまで同様使う側の偏見に満ちたメッセージが込められるのであれば、今度は私はこの「国外からの移住者」という語を嫌わねばならなくなるのだろう。
(【追記】その後言語専門家の友人と話す機会があり、ドイツ語の「Migrant(移民)」と「Eingewanderte(移住者)」の単語のニュアンスの相違を聞いたところ、両方とも本来は価値判断を伴わない中立の語であるが、1960年代ぐらいまで遡って鑑みると、確かにEingewanderteの語の方がポジティブな脈絡で使われてきており、その結果イメージとしてMigrantよりもEingewanderte の方が「歓迎する」という意味合いが強いように思える、ということであった。もともと無色な言葉にも使い方次第で特定の色がついていくという一例である。)
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