2020年の“世相を表す危険な言葉(Unwort des Jahres)”

ドイツでは毎年末に、その年の“世相を表す言葉(Wort des Jahres)”が発表される。国語協会(Gesellschaft für deutsche Sprache)が一年を振り返り、その年の世相を最もよく表している語やフレーズを一つ選ぶのだが、選択の基準はメディアにおける登場頻度ではなく、価値判断を抜きにして、その年に幅広く社会で議論の的となった出来事や重要なテーマもしくはその年の大きな特徴を表す語、という点にある。2020年はもちろんコロナを避けて通ることはできず、“世相を表す言葉”としてもそのまま「コロナ・パンデミック(Corona-Pandemie)」が選ばれた。それから年が明けると、この国語協会から派生した別の言語活動団体が、今度は前年の“世相を表す危険な言葉(Unwort des Jahres)”を選出して発表する。ドイツ語でUn-という接頭辞は、名詞に付くと悪い意味になる。「Wetter」は「天候」だが「Unwetter」は「荒天」、「Mensch」は「人間」だが「Unmensch」は「人非人」、「Tat」は「行い」だが「Untat」は「悪行」といった具合で、従って「Wort」は「言葉(語)」であるが「Unwort」は「危険な言葉(語)」になるのである。それにしても、ここでこの団体が選ぶ「Unwort」の定義は具体的にどういうものかというと、その年に人口に膾炙した語の中でも、特定の人間やグループを貶めたり、嘲ったり、侮辱するために使われた語や、社会を反民主主義や反人権尊重の方向に煽動する、あるいは極右、極左の方向に引っ張るために意図的に使われた“社会にとって危険な”語、ということになる。このような言葉を選んでわざわざ発表することには、もちろん国民への警告の意図がある。この種の危険な言葉の用法に国民の注意を促し、国民が言葉への感受性を磨いていくことを目的としているのだ。 “世相を表す言葉”が国語協会の専門家が出した候補の中から選ばれるのに対して、“危険な言葉”の方は一般公募で候補を募り、その中から専門家が選出する。たとえば若者たちのFridays for Future運動が盛り上がった2019年の“世相を表す危険な言葉”には、「気候ヒステリー(Klimahysterie)」が選ばれた。これは気候変動をなんとか防ごうという努力を嘲笑し、環境保護議論の真剣さを茶化す語であり、実際に政治、経済、メディアの様々な場面で使われた語である。そして昨年2020年の“世相を表す危険な言葉”には、この試みが始まって以来初めて二語が選出された。「コロナ独裁(Corona-Diktatur)」と「(難民の)故国送還代父母制度(Rückführungspatenschaften)」である。

 

    「コロナ独裁(Corona-Diktatur)」

選ばれた二語のうちでは、こちらの方が分かり易い言葉である。コロナ感染を抑えるために連邦政府や州政府が取らざるを得なかった、国民の自由を一部制限する措置に対して、国民を反政府に扇動するために右翼勢力が好んで使った言葉がこの「コロナ独裁」だ。ドイツでは昨年夏頃からあちこちの都市で自称“Querdenker(「物事を斜めから考える者」という意味)”という市民団体メンバーによる、政府のコロナ対策反対運動が盛んになったが、このデモに混じり市民を扇動していたのが極右政党AfD(ドイツのための選択肢党)をはじめとする右翼団体である。(これについての詳細は202093日付記事「民主主義の濫用」参照)この時彼らが扇動に使ったのがこの語であり、選出した側はこの語について、感染を抑えるために必要な措置の正当性を不当に貶めると同時に、「独裁」という語をあまりに軽々しく使用することで本当の「独裁」下で人々がどれだけ苦しんでいるかを軽視し、「独裁」の恐ろしさを無思慮に無害化するものだ、と説明している。

 

    「(難民の)故国送還代父母制度(Rückführungspatenschaften)」

こちらの語には詳細な説明が必要であろう。原語のドイツ語は何とも長い単語であるが、これは「Rückführung(送還すること、人間やモノをもと来た場所に送り返すこと)」と「Patenschaft(援助を必要とする人間の代父母になること)」という、互いに関係のない二語を組み合わせて作られた造語である。「Patenschaft」と聞いて通常ドイツ人が想起するのは、金銭支援を必要としている未成年者の「代父母」となり定期的に一定額を寄付するシステムで、個人が参加する国際版“足長おじさん”基金である。本来は、困難な環境にある子供たちが明るい未来を拓けるよう定期的に金銭援助をする善意の行為を指すのだ。だが、今回“世相を表す危険な言葉”に選ばれたこの造語は、全く異なる内容を指して言われた。これは、昨年起草されたEUの難民政策を名付けて言われた言葉なのである。20209月、EU内の難民キャンプとして最大規模であるギリシャレスボス島の村モリアにあるキャンプで大火災が発生し、難民キャンプが全焼するという事件が起こった。(この事件とその後のEUの動きについての詳細は、2020101日付記事EUの新しい難民協定は『連帯の皮肉な形』」参照)行き場を失った難民たちをどうするかで急ぎ対応を迫られたEUは、それまでほとんど5年間もなすすべなく放ったままにしていた難民問題に早急に向き合わざるを得なくなったのである。そして9月末近くになって欧州委員会は新難民協定(New Pact on Migration and Asylum)の草案を発表し、ようやく具体的な一歩を踏んだ。だがこの新協定の中心にあったのは、EU加盟国が連帯して多数の難民を受け入れることではなく、その逆、庇護申請(application for asylum)が通らず受け入れ対象と認定されなかった人々をEU加盟国が協働して速やかに故国に送り返すアクションだった。どうしても難民を受け入れたくないEU加盟国は、受け入れる代わりに資格のない人々を次々故国に送り返すアクションを責任を持って引き受ける、そうすることで難民問題におけるEU加盟国間の連帯が実現する、という理屈である。そしてこのアクションを欧州委員会自身が“故国送還代父母制度”と名付けたのだ。この名称をそのまま“世相を表す危険な言葉”に選んだ選出側は、その理由として、このようなアクションに“代父母”という語を用いるのは、本来この言葉が持っているポジティブな意味との落差があまりに大きく美化し過ぎという以上に、ほとんどシニカルだ、と説明している。「本来キリスト教の価値観に由来する善行としての “代父母制度”は、助けを必要としている人間の利益のために一定の責任を引き受けて支援することを指す。それが「難民送還」という語と結び付けて使われると、まるで、受け入れを拒んで人々を故国に送り返すことが人道的善行であると言っているかのように聞こえる。」(選出団体のプレス発表より)事実、新難民協定を説明するEUのホームページ上には、「加盟国が難民問題に貢献するための自由な選択肢」の一つとして、「EUに留まる資格がないと認められた人間を、他のEU加盟国の名前において故国に送還する任務を引き受ける“故国送還代父母制度”」と記されている。正式に難民認定されるかどうかにかかわらず、難民たちは全員が自らの意志でEUを目指しているのであるから、故国に送還されることが嬉しいわけはない。それなのに欧州委員会がなぜ送還アクションに“代父母制度”などという名称をつけたのかは謎である。欧州委員会自身は、認定されなかった人々が無事故国に帰り着き、そこでまた自国社会に落ち着くまで責任を持つのだと説明しているが、これを「人道的善行」であるかのような言葉で繕うのは無理であろう。(ちなみに、EU共通語の英語ではこの制度は“return sponsorshipと名付けられており、“スポンサーシップ”を“代父母”と訳したのが欧州委員会のドイツ語担当翻訳者なのか、ドイツ人であるフォン・デア・ライエン委員長自身なのかは不明だ。)

 

公募で集まった“世相を表す危険な言葉”候補から、今年初めて最終的に二語選んだことについて選出側は、「一般公募で送られてきた候補の大多数がコロナ関連の言葉でありこれらを無視するわけにはいかなかったが、その一方で昨年も例年通り、他のテーマにおいても相変わらず非人道的で不適切な言葉が幅を利かせ、盛んに利用されていたという点に国民の注意を向けたかった」と説明している(全国新聞Frankfurter Allgemeine Zeitung  2021112日付記事より)。個人的にはこの団体が、欧州委員会が用いた語を“危険な言葉”に選出した点を評価したい。EUの政策内容を批判するという形ではなく、難民たちには過酷なその内容を美辞麗句で包んでごまかそうとするEUのやり方を批判することは、直接の政策批判より以上にこの問題に対するEUの及び腰姿勢を露わにすると思えるからである。


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