総選挙の年

今年日本は衆議院選挙の年であるが、ドイツも総選挙(連邦議会選挙)の年である。今回の総選挙にはメルケル首相がもはや出馬しないことを宣言しているため、総選挙後に新政権が樹立した段階で、どの政党が政権を取ろうと16年間続いたメルケル政権は終わることになる。この同じ16年間にアメリカ大統領が3回交代して計4人、フランス大統領も3回交代して計4人、イギリスでは首相が4回交代して計5人、そして日本に至っては首相が8回交代して計9人が政権を担っていることを思うと、メルケル政権がいかに長く続いたかが分かる。政権を担った年数ではメルケル政権は、同じくキリスト教民主同盟(CDU)のヘルムート・コール政権(1982年~1998年)とタイ記録で歴代最長となる。今年の選挙の大きな焦点の一つはもちろんメルケル氏の後継者が誰になるかであるが、首相が誰になるかという以前にまず、次期首相の筆頭候補者としてキリスト教民主同盟(CDU)が誰を掲げてくるかという点が注目された。ドイツの総選挙では小選挙区制(各有権者が持つ“第一の票”)と比例代表制(同“第二の票”)が併用されているが、各党の議席数は比例代表制で決まる。比例代表制では有権者は政党を選ぶので、その得票率で連邦議会に占める政党勢力図が決まるのである。同時に比例代表制のために各党が用意する議員の順位リストで筆頭に名前が挙げられた候補者が、その政党が政権を握った時に首相になる人物、ということになる。CDU115日~16日にデジタル党大会を開き、党首選を行った。「党首=筆頭候補者」でなければならないルールはないので、このCDU党首選結果とCDU筆頭候補者の決定(つまり、次期首相になる可能性が最も大きい人物の決定)は本来別の話であるのだが、CDUは伝統的に党首を総選挙の筆頭候補者に立ててきたため、今回の党首選で勝った人物がCDUが掲げる次期首相候補になるのであろうと見られてきた。実はメルケル氏は、2018年末時点でとっくにCDU党首の座を降りており、メルケル氏から引き継いでその後二年間党首を務めてきたのはアンネグレート・クランプ‐カレンバウアーという政治家であった。だが昨年2月に彼女が辞任を表明し、本来ならその後すぐ、昨年春にもCDU党首選が行われるはずであったのがコロナ騒ぎで延期され、ようやく今になって実現したのだ。そしてこの週末、CDUの代表選挙人約1000人によって党首に選ばれたのは、アルミン・ラシェット氏であった。

 

おそらく国外での知名度は低いであろうこのラシェット氏とはどういう政治家か。現在59歳になるラシェット氏は法律を勉強した後政治ジャーナリストとして活動。欧州議会議員から政治キャリアをスタートさせ、その後故郷のノルトライン・ヴェストファーレン州から選挙に出て同州政府に参加し、2017年からは同州首席大臣(Ministerpräsident)を務めている。人口でドイツ最大の州であるノルトライン・ヴェストファーレン州の政権を担っていることでラシェット氏のリーダーとしての手腕には定評があるが、実は昨年のコロナ対策では氏は失速した。感染の拡大を重く見て最初から一貫して厳しい規制を主張していたメルケル首相に対して、ラシェット氏には対応の遅れが目立ち、その危機管理能力が疑問視された時期があったのである。党内での氏の立ち位置は中道と言われ党を一つにまとめるには適当な人物であろうが、その一方でラシェット氏は基本的にメルケル路線を継承することが予想されており、経済重視の立場からこれまでのメルケル路線に疑問を呈し方向修正を唱えてきた党内右派からの風当たりは強くなると思われる。それはともあれCDUの党首が決定したことで、総選挙前にドイツ国民が注目していた点が一つクリアになったわけであるが、それ以外にもまだ今年の総選挙にはいくつもの見どころがある。これをひとつずつ挙げてみよう。

 

    (再び)メルケル首相の後継者は誰か?

CDUの新党首は決まったものの、果たしてこのラシェット氏がそのまま次期首相候補になるのかという点はまだ分からない。それというのも、連邦レベルの総選挙ではCDUはバイエルン州の姉妹政党CSU(キリスト教社会同盟)と共に選挙戦を戦うのであり、理屈の上ではCSU党首のマルクス・ゼーダー氏がCDU/CSUの筆頭候補となる可能性もあるからである。ゼーダー氏自身は、連邦首相候補になるつもりがないことを公表しているが、実は現時点での国民人気は、CDU党首のラシェット氏よりゼーダー氏の方が断然高い。バイエルン州トップのゼーダー氏は、昨年のコロナ対策においてメルケル首相と共に優れたリーダーシップを発揮したことで人気上昇した政治家の一人なのである。ラシェット氏より5歳年少で現在54歳のゼーダー氏にまだ力強く若々しいオーラがあることも、また、本来CDUよりももう一つ保守性が強く右寄りのCSUにあって、ゼーダー氏が環境政策では緑の党の党内右派との親和性を高めていることも、特に若い世代には受け入れ易い点であろう。もっともCDU/CSUが合同で立てる首相筆頭候補者がどちらになるかは今後両党間の話し合いで決まることなので、国民はただ待つしかない。

 

    政権の行方は? 

ドイツで毎週行われている政党支持率アンケート調査をもとに、巷ではすでに様々な連立可能性が予測されているが、昨年来のコロナ対策で政党支持率に多少の変化が起こっている。政府のコロナ対策への国民支持が高く、その中心となったメルケル首相はじめCDU/CSU(キリスト教民主・社会同盟)の大臣たちの株が上昇し、逆にコロナ対策で正面に出ることのなかった野党の支持率が伸び悩んでいるのである。(CDU/CSUの現時点支持率は約36%で4年前の総選挙時との比較で+3.1ポイント、他の政党は緑の党以外の4政党共に、4年前に比べ数ポイント支持率を減らしている。)その結果現在の支持率から見るに、CDU/CSUを抜いた連立可能性はどれも過半数を超えず、現実的ではなくなってきた。ではCDU/CSUの連立相手がどの党になるかであるが、現在の支持率で連立して過半数を超えるのは緑の党(現時点の支持率約19%)かSPD(ドイツ社会民主党、現在の支持率約15%)の二つだけである。そのうちSPDは、過去CDU/CSUと組んで政権を担うたびに支持率を落としており、今政権も例外ではない。そもそも前回2017年総選挙後の連立も本来拒絶していたのだが、他に政権の選択肢がなく「嫌々ながら」という感じで政権についたという事情がある。従ってSPDが次もまたCDU/CSUと組むとは考えにくい。従って、いよいよドイツで初めて、連邦レベルでのCDU/CSUと緑の党の連立政権が誕生する可能性が大きくなってきた。複数のアンケート調査によれば、現時点で国民が連立可能性に寄せる支持も、この組み合わせに対するものが最も大きいようである。そうなると次に注目されるのは、緑の党が政権連立パートナーとしてCDU/CSUに対してどこまで力を持てるかということであるが、これをあらかじめ測定する材料となるのが、9月の総選挙の半年前、今年3月に行われるバーデン・ヴュルテムベルク州の州議会選挙である。同州はすでに二期連続で緑の党が第一党となりCDUと連立して政権を担っている州であり、緑の党の勢いを測るのにこの州議会選挙は最適なのである。

 

    若者の投票率は伸びるか?

地方自治体の選挙であれ投票率が70%を下回ると、ドイツでは「大変嘆かわしい状況」とみなされる。特に総選挙では、かつては90%を超えることすらあったのがドイツだ。4年前の総選挙の投票率は76.4%であったことが公表されているが、世代別に見ると年配世代に比べていつも若者世代の投票率が低い。4年前も18歳~29歳の投票率は6769%であった。だがドイツでは2018年末に始まったFridays for Future運動をきっかけに、若者世代の政治への関心が高まっていることが伝えられており、この世代の投票率の上昇可能性と共に、今回が“総選挙デビュー”となる20歳前後の若者たちの票が果たしてどこまで緑の党に流れるのかが注目される。(緑の党については、2020123日付記事「“大人”になった緑の党の話」参照)

 

    極右政党AfD(ドイツのための選択肢党)の勢力はどうなるか?

4年前の総選挙結果の衝撃はなんと言っても、反民主主義的な極右政党AfDが得票率12.6%と、連邦議会初進出でいきなり二桁の数字を上げて野党第一党のポジションを占めたことにあった。(AfDの詳細については、20201214日付記事「極右政党AfDの罠」参照)以来4年経ったところで当時のAfD支持者が今何を考えているのかは、今回の総選挙でも疑いなく大きい焦点となる。2020年はAfDの勢いが削がれていった年と言える。国民を扇動して政府のコロナ対策に反旗を翻させようとした試みは、ごく少数の一部国民を除いて不発に終わり、党員の数多くの違憲行動から今や党全体が丸々憲法擁護庁(Bundesamt für Verfassungsschutz、憲法に照らして違憲行為や反民主主義的動き、国内のテロや暴力行為を取り締まる公安局)の監督下に置かれようとしている中、昨年は党内部に亀裂が走り対立(いわば狼グループの中で、特に凶暴な狼と多少穏健な狼が喧嘩している感じ)が表に出てきた年であった。この状況でAfDの得票率が今回どう変化するかは、大いに注目される。

 

    SPD(ドイツ社会民主党)はどこまで落ちる?

緑の党と連立して政権を取った1998年の得票率40.9%を頂点に、その後恐ろしいほどの凋落の道を辿ってきたSPDは、かつてCDUと並んで“国民政党”と呼ばれていた面影を全く失くしてしまい、4年前の総選挙でも得票率は20.5%と約20年で半減してしまった。凋落は更に進んでおり、現時点のアンケートによる支持率は15%前後である。コロナ対策で人気挽回中のCDU/CSUの傍らで、同じく政権与党として共にコロナ対策を担っているSPDがなぜ支持率を下げるばかりなのかは謎だ。メルケル政権に参加すると、パートナー政党の影が薄くなるということなのか。総選挙のたびに小さくなっていくSPDが今回また票を減らし、たいして意味を持たない野党の一つになってしまうのかという点も、今回総選挙の焦点の一つである。 

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