ポーランドとの喧嘩はEUの「終わりの始まり」?

目下ポーランドの市街地では数万人の市民たちによる反政府デモが行われているのだが、注意して見るとこのデモはかなり奇妙なものであることが分かる。というのも、彼らのスローガンの中には、「われわれはEUに残る!」とか「われわれは欧州だ!」といったものが多く見られ、デモ参加者たちはEUの旗を翻しながら、“PolExit(ポーランドのEU離脱)”に反対してポーランド政府に抵抗しているようなのだが、ポーランド政府側にはEUを離脱する意思など全くないのである。ポーランド市民を憤らせ通りに駆り立てている“PolExit”は、ポーランド政府も含め本来誰もそんなことを言い出してはいないのに、市民が反対を唱える対象を作るために誰かがどこかからポーランド市民に投げて寄越したボールのようなものなのだ。では一体誰がこんな実体のないボールを投げて寄越してきたかということになるが、ポーランド政権与党の保守ナショナリズムPiS(法と正義)党は、国民を反政府に駆り立てるのに他にアイディアが思い浮かばなかった野党の仕業だ、との見解を述べている。その際PiS党が最大のデマゴーグとみなしているのが、ポーランドの野党である保守リベラルのPO(市民プラットフォーム)党を率いるドナルド・トゥスク氏なのだ。そして実際にトゥスク氏がこのデモを組織した一人であり、市民たちに向かって次のように呼びかけたことがドイツでも伝えられている―「裁判官の法服をまとった一団の者たちは、PiS党トップから指示されるままに、われわれの祖国をEUの外に踏み出させることを決めた。この一握りの者たちはどんな嘘をつくことも厭わない。ポーランドの憲法がEUとは折り合わないものであるかのような嘘さえつくのだ」。このままではポーランドはEUから「はみ出てしまう」と述べたトゥスク氏の言葉が、ポーランド市民には、ポーランドがEUを離脱する危険があると理解されたのである。トゥスク氏はポーランドの元首相でもあり、親EU派の政治家として2014年から2019年までEU大統領とも呼ばれる欧州理事会議長を務めた人物だ。EU内での信望が高く、またポーランド国民にも大変人気のある政治家であるトゥスク氏が、ポーランド市民たちに向かいこのような言い回しでポーランド司法を非難したその裏には、もちろんそれなりの理由がある。

 

今回の市民デモの始まりは、107日のポーランド憲法裁判所判決であった。この日この国の憲法裁判所は、EU法が部分的にポーランド法と対立するとの判断を下し、その場合優先されるのはポーランド法であることを明確にしたのである。この判決の裏には、PiS党が政権を取った2015年以来続いているポーランド政府とEUのせめぎ合いがある。PiS党は政権を取るや、ポーランドの司法を政権下に置くための司法改革を始め、2018年には事実上政府が裁判官や検察官の人事権を完全に掌握するシステムを作り上げた。ポーランドのこの動きをEUは当初から、EU契約で全加盟国に義務付けられている「法治国家体制の遵守」に違反する行為として危険視する。そして今年7月、EU裁判所はついに、ポーランドのシステムは政治機構の中での司法の独立性と中立性を保障するものではないという判断を下し、その直後、EU委員会がこの裁判所判断を掲げてポーランド政府に、一か月以内に司法体制を改革しないなら財政上の制裁手続きを取ることを通告したのである。このEUからの「攻撃」に応戦する形で下されたのが今回のポーランド憲法裁判所の判決であった。ポーランド側はEU裁判所判決を自国の司法への外からの介入とみなし、EU裁判所とポーランド裁判所の見解が異なる場合には、当然のことながらポーランド裁判所が優位に立つことを主張したのだ。つまり、ポーランドの司法体制に口を出すなとEUに告げたわけであり、このポーランドの一歩はEUに衝撃を与えた。EUの最高司法機関に背を向ける判決をポーランド憲法裁判所が下したのであるから、当然ではある。この日ドイツのメディアもこの事件を大きく報じたが、EUを代表して早速フランスとドイツが共同でポーランドに勧告したことが伝えられた。独仏外務大臣の共同声明として発表された内容は、「EUへの加盟は共同の価値とルールに完全かつ無条件に従うことを前提とするもので、これらに敬意を払いこれらを遵守することはどの加盟国にも求められる」というものであったが、今更ポーランド政府がこの批判に耳を傾けるとは思えない。今回の判決でポーランドは、EUとの取り決めを破ったばかりでなくその行為を自国の司法を利用して正当化してしまったのである。そんなことができると思っている点がそもそもポーランド政府が大きく誤解している点だ、ともドイツでは言われている。加盟国が自分たちの都合でEU裁判所の判決を無視したり無効とみなすことができるなら、EUという共同体はとっくに崩壊しているであろうということだ。ともあれポーランドの憲法裁判所がEU裁判所判決を無効としてしまった結果、ポーランド市民たちは、これでポーランドはEUからはみ出してしまった、将来われわれはEUに留まれなくなるかもしれない、という不安を抱え込んでしまい、それが今回のポーランド政府への抗議運動になったのである。

 

だが前述した通り、ポーランド政府にはEUを出るつもりは全くない。EU予算からの配分を必要とする国家財政上も、また隣国ロシアに対抗する上でもポーランドはEUを必要としている。その意味でポーランド市民たちの不安は杞憂とも言える。というのも、逆にEUの方からポーランドを追放するのは不可能だからだ。EU契約上、加盟国側はいつでも自分の意志で離脱できるが、EU側には加盟国を追放する権限がない。加盟国は自分たちが望む限りいつまでも居続けられるのがEUの現状であり、EUのルールを守らない加盟国に対してEU側からできるのは、せいぜいが制裁することだけなのだ。そして今、EUはポーランドに経済制裁を加えようとしている。加盟国間でコロナ後の経済立て直しを相互支援するために昨年夏にEUが共同で設立したコロナ救済ファンドは、現在各国の支援申請を受けて給付を始めているところであるが、EUはこの支援金を受け取れる前提条件として「EUが掲げる共通の価値」の中でも特に「法治国家体制の遵守」を挙げた。「支援金給付」と「法治国家体制」を関連付けて後者を前者の前提条件とするまでの経緯にはEU内で紆余曲折があったのであるが、最終的には「法治国家体制を守らない国は支援金を受け取れない」形にしたのである。これを今回のポーランドの一件に適用するために、EU委員会は、適用是非の判断を仰ぐべくEU裁判所に審理を求める手続きを始めた。この申請が受理され、EU裁判所が審理を始めても、最終的な判断が下されるのは早くとも12月末頃と予想されている。だがこの時にEU裁判所がポーランドへの制裁根拠を認めたなら、EUは実際にポーランドへの金銭援助を大幅に減額することが法的に可能となるわけだ。しかしながら、たとえ事がそのように進んだとしても、実は今回の一件が引き起こした問題はそれできれいに解決するわけではない。

 

まず第一に、EUが加盟国共同のコロナ救済ファンドから本当にポーランドへの支援金を打ち切るとなると、その影響はEU自身にも跳ね返ってくることになる。というのもポーランドはコロナ後の経済再建の枠の中で国内のエネルギー転換を大きく進めようとしており、EUからの財政支援をこれに当てようと計画してきたのだ。資金が途絶えればポーランドのエネルギー転換は遅れることになり、これはEUとしても望まない結末だ。もう一つ注目すべきは、ドイツの報道の中には、ポーランドを一方的に責めるのとは異なる立場からの意見、問題はポーランドよりもむしろEUの方にあるのではないかとの意見も見られることである。EUが上から権力を行使して加盟国を制御しようとするそのやり方が、EU自身を危険に晒しているのではないかという見方である。確かにポーランド政府が自国の司法を操り国内のメディアを規制して、ナショナリズム政党であるPiS党の支配下に置こうとしているやり方はひどい、だがEUEU裁判所判決を背景にずかずかと加盟国の内部に介入し一方的に命令するようなことを続ければ、問題は決して解決しないどころか加盟国との亀裂はますます深まり、それがEUの存在を危うくすることにさえなるのではないかと危惧する専門家も、決して少なくないのだ。更に大きい問題として今ドイツ国内で言われているのは、そもそもEU法をどの加盟国の国内法よりも絶対的上位に置こうとするのは、ただのEU側の願望に過ぎず現実的ではない、との指摘である。加盟国が共同でEUに委ねている領域以外はEU法が各国法を凌駕するということはあってはならず、今問題になっているポーランドの司法体制はポーランド国内の問題であり、EUEU裁判所の判断を携えて介入し、ポーランドに改善を命じられる問題ではないだろうというのが、この立場からの意見なのである。ポーランド政府が諸手を上げて歓迎しそうな結論であるが、要はEU法と加盟各国それぞれの国内法の間の上下関係は、EUが思いたがっているほど簡単に決められる問題ではないということだ。

 

EUは今、対ロシア、対中国の強いポジションを確立するために、あるいは対米国への姿勢を決めるためにも、これまで以上に加盟国間の結束を必要としている。本来内輪揉めをしている時ではなく、EUとポーランドが権力争いの綱引きを始めるような時でもないのであるが、今のところ両者に歩み寄りの姿勢は見られない。ある新聞は、この状況を報じる中で次のようなコメントを加えていた―「2021年の欧州は、これまでドイツのメルケル首相が争う二者の間に入って仲介する役割を果たしてきた『メルケル時代』が終わる年となった。そしてBrexitのゴタゴタもまだきれいに片付いたとは言えないこの年に、今また新しいポーランドという問題が生じたわけで・・・これがEUの『終わりの始まり』にならなければいいのだが」。(ベルリンで発行されている日刊紙Der Tagesspiegel 2021108日付記事「ポーランドはEUを壊してしまうのか」より) 

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