投票に行こう

またも総選挙テーマになるが、今回は若い世代の投票率の話をしたい。前回のブログで、先日のドイツ連邦議会選挙の投票率が76.6%であったことを報告した。ドイツの有権者総数はざっと6040万人と言われているので、実に1400万人以上が投票しなかったことになる。76.6%という数字はここ最近では特に低い数字ではないのだが、かつて総選挙では伝統的に80%以上、時には90%を超えることもあったほど高い投票率を誇ってきたドイツでは、あまり振るわない数字である(注:今世紀に入って6回あった総選挙の中では3番目に高い数字であるが、前世紀と比べると最低)。特に今回のように、連邦共和国史上最も先が読めない総選挙と呼ばれ、政党間の差が小さく、最終的にどういう組み合わせの政権が誕生するのか、誰が首相になるのか全く予想できないという状況では、それだけ個々の票の重みが増して有権者の関心も大きかったはずである。更に、今回は初めて緑の党が首相候補を立ててきたことで、環境問題への関心が大きい若者世代が従来より多く投票に向かうことが期待された。実は現時点(10月初旬)で、今回選挙の年代別投票率データはまだ発表されていない。ただ、数字こそ違えど、毎回総選挙のたびに年代別投票率は全く同じカーブを描く。投票デビューする18歳~20歳は、全体平均より少々低め。だがそれより更にガクッと落ち込み全体の最低になるのが21歳~24歳の若者層。その後年齢とともに投票率は上昇を続け、60代の高齢者層が最高となり、全体平均を大きく上回る数字を上げる。そして70歳以上になるとまた投票率は落ち込み全体平均レベルに落ち着く、というカーブである。従って、今回もおそらくはこの同じカーブを描いているものと予想されるのだが、これとは別に、毎回総選挙のたびにじわじわと変化しているショッキングな数字がある。それは世代別有権者数だ。私は毎回総選挙でこのグラフを見るたびに、ドイツの少子高齢化の先行きへの不安をひしひしと感じるのであるが、今回もまた数字はこれまでの傾向を加速するものであった。若い有権者の数がどんどん減り、高齢の有権者数ばかりが毎回増えていくのである。今回総選挙で29歳以下の有権者数は全体の14.4%(前回2017年は15.4%)、翻るに60歳以上は38.2%(前回2017年は36.1%)と全体の40%にも近づく勢いだ。約20年前の2002年総選挙の年代別有権者数の割合は、29歳以下が16%、60歳以上は30%であった。「思い切った変革を望む若い世代と急激な変革を恐れる高齢世代」と総括して言われるドイツでは、世代による要望が正反対と言えるほどに大きく異なる。そんな中で若い世代にとっては、少子高齢化現象が自分たちの意思を政治に反映させる上での大きい障害になっているのだ。今回の投票結果で期待はずれに終わった感のある緑の党にしても、29歳以下の有権者の中では第一位であった(22%)のだが、60歳以上の層で緑の党に票を入れた人は8%に過ぎなかった。今回の選挙結果を報じる中で、「選挙を決したのは、結局高齢者か」という視点を前面に出したメディアもあったが、本来ならまだこれから長く生きる若い世代こそが投票結果を左右できる立場にいなければならない。そして有権者数の不平等を跳ね返すために、若い世代こそがなるべく大勢投票に行かなければならないのである。

 

それでも、毎回投票に行かない率が一番大きいのが若者層なのだ。ここで、「なぜ?」という点にフォーカスして多くの市民たちに聞き取りをしたルポルタージュ番組を、公共テレビ局ZDFが制作した。「大勢の人たちが投票に行かないのはなぜか」(‟Warum viele Menschen nicht wählen gehen”-923日からZDF局ドキュメンタリーシリーズZoomのストリーミングで視聴可)と、そのものずばりの標題の番組である。これが制作されたのは今回選挙の前であるが、自らの意思で棄権する人たちの理由を知るために、同局レポーターが前回投票に行かなかった人、あるいは今回行くつもりがない人にその理由を聞いて回り、あるいはソーシャルメディア上で意見を寄せてもらう構成になっていた。この番組によれば、意図的に投票に行かない人たちは大きく二つのグループに分類されるという。①失望・プロテスト型:投票に行ったこともあるが、自分の思いが全く反映されず政治が変わらないことに失望し、今は政治へのプロテストとして棄権する人々。特に若者の場合は、政治は自分たちの世代が考えていることには関心がないという思いが強い、②「どの政党も嫌」型:票を投じたい政党がない、あるいはどれも同じに思えてあえて選びたくない人々。(「間違った党に入れるぐらいなら、投票しないほうがまし」と答えた若者もいた。)この番組の聞き取り対象は必ずしも若い世代に限らず中年以上の有権者も多かったが、やはり中心に置かれたのは、最も選挙に行かない率が高い21歳~24歳の層であった。前回2017年の総選挙で有権者全体の投票率は76.2%であったが、この若い層だけに限ると67.0%で、三人に一人が投票に行かなかった計算になる。だが民主主義を守り、また新たに作っていくために、政治は特に若い世代の声を必要としている。このことを若い世代に伝えるために、積極的に取り組んでいる自治体も、実は多い。その試みの中で特に面白いのが「政治版スピードデーティング(Politisches Speed-Dating)」と呼ばれるイベントだ。「スピードデーティング」とは、本来は集団お見合いイベントのことである。一つの場に男女同数大勢を集め、初対面の男女が一人ずつ向かい合って座り短時間言葉を交わし、その間に相手がどんな人物かを探り、自分と波長が合うかどうかを判断する。そして規定の数分(通常5分程度)が過ぎたら男女どちらかが座席を一つずらして、また互いにゼロから別の人と知り合う。こうして一巡する間に、短時間で効率的に大勢の異性と知り合えるのが「スピードデーティング」であるのだが、これを「政治版」でやる試みが実際に今、ドイツ全国あちこちの自治体で展開しているのである。同数になるように出席を募った政治家と有権者の若者たち、双方が特定の場所にやって来て「お見合い」する場合もあれば、選挙権を得たばかりの18歳以上の若者がいる学校のクラスに数人の政治家が訪れて、それぞれ少人数の若者グループの中に入って「お見合い」をするケースもある。ドイツの選挙戦の一つに、あちこちの町の人通りの多い場所に政党がスタンドを作るというイベントがある。そこに何人かの政治家や党員が常時待機して、寄って来る通行人と対話をしたり質問に答えたりするのだ。だが「政治版スピードデーティング」では政治家の方から若い有権者に寄って行き、そして政治家の方から彼らに質問するのである。このイベントで最も肝心な点は、「政治側が若い世代の声に耳を傾け、その意見や要望を聞く」ことなのだ。「政治に関心ありますか」、「なんで投票に行く気がないのですか」、「今の政治の何が不満ですか」、「政治にはどうあって欲しいですか」などなど、政治家の方が質問しては若者たちの返答に一生懸命耳を傾ける。そして若者側は、自分自身の声を政治に直接届けることで、まずは「政治はわれわれ若者世代には関心を持っていない」という不満を払拭するのである。

 

このルポルタージュ番組では最後に、レポーターがドイツ連邦議会の最長老で現連邦議会議長を務めているヴォルフガング・ショイブレ氏(キリスト教民主同盟)に、若い世代が投票に行かない問題についてインタビューしていた。現在79歳のショイブレ氏は、実に1972年以来途切れることなく連邦議会に所属しており、その間ヘルムート・コール政権(1982年~1998年)とメルケル政権(2005年~)で重要大臣ポストを占めてきた政治家である。ショイブレ氏は、まだ有権者の90%以上が投票に行っていた時代を知っている世代でもある。この、今や民主主義(連邦議会)の守り手として民主主義のあるべき姿をはっきり知っている長老政治家のショイブレ氏が、若いレポーターの質問に答えていた内容が面白かった。 

:「投票に行かない大きいグループの一つが若い世代で、前回選挙では21歳~24歳の三人に一人が投票しませんでしたが、これをどう説明しますか。」

:「若い人々は、自分たちが政治に影響できることをまだ十分に理解していない。彼らは、そういうことに自分で気づかねばならない。」

:「若い世代は、政治は数で優勢な年配者のために行われていて、自分たちの要求には応えてくれないと考えています。」

:「それは間違っている。事実は全く逆で、政治は若い世代のため、ドイツの将来のために行われている。」

:「そういう印象を若い世代は持てないでいます。気候変動対策の遅れがいい例です。」

:「若者というのは、反対や抵抗を必要とする存在だ。若い世代に何でもハイハイとなびく姿勢を取るのは、間違っている。」

:「それでも人数が多い年配世代がどうしても優勢になって、結局ドイツでは年配者が政治の決断を下していることになります。」

:「人口分布を変えることはできないが、年配者が全員自分だけのために決断していると考えるのは、はっきり誤りだ。多くの年配者は子世代や孫世代のことを心配して、決断を下している。・・・そもそも若者は、自分たちで民主主義を作ろうとしなければならない。私は若い人たちに、香港やベラルーシを見よと言いたい。人間には、実際に失う危険に瀕して初めてそのものの価値に気づく、という厄介な性向があるのだから。」 

この問答自体が世代間の相違を露わにしていて面白かったのだが、結局のところショイブレ氏が言いたかったのは、不満があるのは大いに結構、若い人々はその不満を民主主義をフルに活用することで解消せよ、ということだったのであろう。 

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