統一記念日:メルケル首相最後の演説

今年の東西ドイツ統一記念日は、旧東独ザクセン‐アンハルト州の都市ハレ(Halle)がホスト都市となって祝われた。コロナ感染予防のために、短期間に大勢の人が一か所に集中する市民祭りは今年も断念され、その代わりにハレでは9月半ばから町の中心を使って「統一EXPO」が開催されていた。だがクライマックスの103日には、人数は例年より少な目ではあったものの、政界の要職にある政治家たちがこの美しい古都に顔を揃えての記念式典が開かれ、陽が沈むと古城を背景にドローンがオーケストラ演奏に合わせて夜空にドイツの形や文字を次々描き出すという壮大な光のショーが繰り広げられた。こうして今年第31回目の統一記念日も無事に祝われたのであるが、この日メルケル首相は祝典で、おそらく彼女の首相在任期間中最後となる大きい演説を行った。約20分間の演説であったが、終わるや政党の違いを超えて大勢の聴衆が立ち上がり、メルケル氏に盛大な拍手を送った。これは、単に政界を去り行くメルケル氏の労をねぎらうためだけの拍手ではなかったろう。メルケル氏の演説はいつになく個人的な体験や感情を盛り込んだものであり、そのオープンな心情の吐露が真っすぐに聞き手の心に届いたのだと思われる。今回メルケル氏は連邦首相としてではなく、かつての東独市民の一人としてドイツに語りかけたのである。

 

メルケル首相の演説はまず、ドイツの東西統一が多くの旧東独市民たちの勇気と信念、そして身の危険をも恐れぬ大胆な運動によって勝ち取られたものであることを思い出すことから始まっている。これに周囲の東欧諸国の市民たちが共鳴し、彼ら自身が同様に民主主義を求める積極的な運動を繰り広げたことが、ドイツの壁の崩壊を大きく後押しした。またメルケル氏は米国、フランス、英国といった西側諸国の理解と支援にも言及し、更に彼らの理解を得られた裏には、ドイツの政治家たちによって連邦共和国創立以来着々と続けられてきた他国との信頼関係を築く努力があったことにも触れている。この、多くの人々の努力と多くの国の支援があって初めて実った果実を今私たちは享受しているのだ、とメルケル氏は語る。

東西分断の終焉と民主主義は・・・私個人にとっては、いつにあっても特別な事柄です。なぜなら私はこれが努力で勝ち取られたものであることを知っており、更に大事なことに、私たちがこれからもこの民主主義を生き、満たし、守っていかねばならないことが分かっているからです。私たちが民主主義を必要とするのと同様に、民主主義も私たちを必要としています。民主主義はただそこにあるものではなく、私たちはこの民主主義のために共に力を合わせて、毎日努力し続けなければならないのです。

これが、今回のメルケル氏の演説の大きいメッセージの一つである。出自や外見、信条の違いを差別と憎悪の対象にするイデオロギー犯罪が増えつつある現在のドイツで、自分とは異なる人々と彼らの意見や経験に対して私たちがどこまでオープンに耳を傾けられるかが、今後ドイツが民主主義を守り続けられるかどうかの鍵になる、とメルケル氏は言う。

私たちは異なっていてよいのです。憲法の秩序に留まっている限り、私たち誰もが自分が好きなように、自分が思う幸福を追い続けてよいのです。多様であること、異なっていることは、民主主義にとって決して危険なものではありません。その反対で、多様であることと異なっていることこそが、自由を生きていることの表現なのです。

 

ここからメルケル氏は二つ目のメッセージに移るのであるが、それは、東西分断の間に東と西のドイツ市民たちがどれだけ異なる人生を生きることになり、その結果、東の市民が西の市民にとってどれほど「異なる存在」になったか、という話から始まる。ここからメルケル氏は完全に「元東独市民の一人」として語るのであるが、彼女には、旧東独出身者はいつまでたっても自分が統一ドイツに所属する人間であることを周囲に「証明」し続けねばならないように思える、という。そしてその際、旧東独時代の自分の前歴はあたかも乗り越えねばならぬ「障害」のようにみなされる、というのだ。一例としてメルケル氏は、自分に起こった出来事を紹介している。なんでも最近出版されたCDU(メルケル氏が所属しているキリスト教民主同盟)の政党史の中に、彼女についての次のような記述があるという―「35歳で、旧東独出身という重荷(Ballast)を背負ってドイツ転換期にCDUに入党してきたメルケル氏は、当然のことながら、西側連邦共和国の伝統に裏打ちされ徹底的に純粋培養されたCDUメンバーではあり得なかった」。ここでメルケル氏は、「重荷(Ballast)?」と自問する。

旧東独の履歴、私の場合は35年間に亘った、独裁と抑圧国家における個人の歴史になりますが、それは「重荷」なのでしょうか。・・・今私は、旧東独で生き、その時代の履歴を携えて統一ドイツに加わった人々、そしていまだに繰り返し繰り返しこのような価値を押し付けられている1600万人の人々の一人として語りたいのです。その価値とは、あたかも、統一前の東独での人生は何の役にも立たぬお荷物として投げ捨てた方がよい、というかのような見方のことです。

ドイツの統一によって、旧西独の人間は結局のところ何も変える必要はなかったのに対して、旧東独の人間にとってはほとんどすべてが変わったのだ、そしてその突然の変化と共に彼ら自身変わることを強いられたのだ、とメルケル氏は続けている。そのプロセスで変化に順応できなかった旧東独市民たちがいたという事実が「輝かしいドイツ統一」の別の側面なのであり、更にはそのプロセスはまだ完了したわけではない、ともメルケル氏は指摘する。旧東独出身という出自が突然自分自身の前に立ちはだかって来ることもあるという例として、メルケル氏はもう一つ自分に起こった別の出来事を紹介している。20159月半ばに全国新聞Die Weltの記者がメルケル氏について書いた記事が、それである。それは難民問題の渦中にあってメルケル氏が行った発言をめぐる記事であった。難民を大勢受け入れたことを一部の政治家たちから激しく非難されたことに対して、メルケル氏は、「難民危機のさなかにフレンドリーな対応をしたことで謝らねばならないなら、それはもう私の国ではない」と発言していたのだが、この発言を取り上げてその記者は次のように書いたのである―「メルケル首相は、彼女の前任者たちの誰もがやらなかったことをやった。一瞬間、自分が首相として仕えているこの連邦共和国から距離を置いたのである。(この発言をした瞬間)メルケル氏が生まれながらの連邦共和国国民でも欧州人でもなく、後から学んで身に着けた連邦共和国国民であり欧州人であることが露わになった」。この記事を読んで、メルケル氏はまた自問することになる―

「生まれつきではなく、後から学んで身に着けた連邦共和国国民」? 連邦共和国の国民や欧州人には二種類あるのでしょうか、オリジナルと後から加わった人のような? そして後から加わった人は自分がそこに所属する人間であることを、毎日毎日証明し続けなくてはならないのでしょうか。・・・私はあの発言をした時に、本当に私の国から距離を置いたのでしょうか。・・・そもそも、私たちの国の価値や利益を誰が本当に理解しており、誰が理解していないか、あるいはせいぜいのところ「後から学んで身に着ける」やり方でしか理解していないのかを、一体誰が決めるのでしょうか。片方に昔ながらの連邦共和国国民がいて、別の片方に後から加わったため学習して身に着けていかねばならない別の国民がいる、その二種類の国民の間で起こるべき統一というのは、いったいどういう姿をしているのでしょうか。

国の変化や進歩を受け入れる勇気や連帯意識は、自分はこの国、この社会に所属する一員だと確信できる気持ちから育つ、とメルケル氏は言う。そして自分はこの国に所属する一員だと思える気持ちは、個人の出自や体験、信条などの違いとは関係なく互いが互いの幸福に責任を持ち合おうとする中から芽生えてくる、というのである。だから旧東独市民であれ旧西独市民であれ、各人が積み重ねてきた体験、今や彼らの一部となっている体験をまるで無価値なもののように扱うな、そうではなく互いに異なる体験について語り合い耳を傾け合おうというのが、メルケル氏の演説の二つ目の大きいメッセージであった。

 

東西ドイツの統一がまだ完了していないことは、数字の上でも明らかだ。2019年時点で、東側のフルタイム職就労者の賃金は西側の約4分の3であった。公的年金の計算基準値が東西で同レベルになるまでには、まだ2024年まで待たねばならない。また東西市民が政治に求めるものの違いも、今回の連邦議会選挙結果でまた明らかになった。東側の5つの州のうち4つの州で、保守のキリスト教民主同盟(CDU)は極右政党のドイツのための選択肢党(AfD)にも負けて、三位に落ちている。CDUは、西側よりも東側で更に大きく敗北したのである。反対に左党(Die Linke)は、西側の州では得票率3.6%にとどまったのに対して東側の州では10.1%を集めた。前述のAfDは西側では8.2%であったが、東側では18.9%、しかも東側の二つの州、テューリンゲン州とザクセン州でこの政党はドイツ社会民主党(SPD)をも抜いて第一党に躍り出ている。東西では人々の考え方にも大きな違いが見られるのだ。この現実の中でそれでもメルケル氏は、演説を次のように締め括っている―

出会いに心を開き、互いに好奇心を持ち合い、互いに自分の物語を語り合い、違いを認め合え― これがドイツ統一31年の歴史からの教えです。私たちはどの個人の歴史や経験にも敬意を払い、また民主主義にも敬意を払わねばならないのです。

東西ドイツ統一の本当の価値はどこにあるのか。今はもう存在しない国に自分個人の歴史の一コマ、あるいはその大きい部分を持っている人々にとって、「別のドイツ」に順応することがどれだけ難しいことか。また、もともと西側にいたドイツ市民が、東側から合流してきた「別の市民たち」に払うべき敬意とは一体どういうものなのか。これらの問いに自分の体験を通して答えたのが、メルケル首相のこの最後の演説だった。そしてそれは、一国が二分されまた統一されるという体験を持たぬ日本人である私にも、十分理解できるものであった。 

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