メルケル政権と大型危機

16年という長期に亘ったメルケル政権だが、今振り返り連邦共和国歴代政権と比べて目立つのは、メルケル首相の在任期間の長さよりも、いかにこの政権が次から次へと国際的、世界的な大型危機に見舞われてきたかという点である。メルケル首相が最初に直面した大型危機は、20089月半ばに経営破綻した米投資銀行リーマン・ブラザーズに端を発する国際金融危機、いわゆる「リーマン・ショック」である。恐慌の波は直ちにドイツにも押し寄せた。10月に入った途端、欧州最大の不動産投資銀行であったミュンヘンのHypo Real Estateが倒産の一歩手前にあることが判明するのである。“Too big to fall(「大き過ぎて倒産させられない」)”のケースであった。ここが倒産すれば、世界金融システムへの影響が大き過ぎる。従って国が介入して助けざるを得ず、メルケル政権は、連邦が保証することで複数銀行によるコンソーシアムが何百億ユーロという単位のクレジットを発行するよう計らった。これが、この金融危機で国が助けねばならなかったドイツの金融機関の最初のケースとなった。こうしてHypo Real Estateを救うことができたと安心したのも束の間、その直後の104日、パリに出向いていたメルケル首相の携帯電話が鳴る。連邦銀行(Bundesbank)と金融監督局(Bafin)のトップがそれぞれ電話をしてきたのである。救えたと思っていたHypo Real Estateの負債は、実はクレジット額を軽く超えていたというのだ。おまけに連邦銀行は、100ユーロ札と200ユーロ札が間もなく不足するという緊急事態を伝えてきた。銀行破綻の危険を察知した大勢の人々が自分の貯蓄を守ろうと銀行に急ぎ、現金を引き出し始めたのである。ATMに群がる国民たち、という一国の経済が破綻する際の最悪のシナリオが、ドイツでも現実になりかけた瞬間であった。メルケル政権は、すぐに手を打たねばならない事態に直面したのである。

 

ドラマチックな展開から話を始めたが、この時のメルケル首相の動きは、良い意味でも悪い意味でも伝説になっている。電話で危機が伝えられた翌日の105日、まだ連邦財務省がHypo Real Estate倒産回避のためにあたふたしている同じ時、メルケル首相は当時の連邦財務大臣ペーター・シュタインブリュック氏(ドイツ社会民主党)と共に、群がる記者たちの前に現れプレス発表を行った。「ドイツの預金者の皆さんに申し上げます。皆さんの預金は安全です。連邦政府が請け合います」。続けてシュタインブリュック氏もメルケル氏と同様の発言を繰り返し、「安全であること」を強調した。そして、二人はそれだけ言うとさっさとその場を立ち去る。この間たった二分間という短い登場と発表だったのだが、この言葉が効いた。ドイツはBank Run(注:取り付け騒ぎのこと。危なくなった銀行から預金を取り戻そうと群衆が銀行に殺到する現象)を免れたのだ。メルケル氏の言葉を聞いた国民がこれを信じて安心したからであるが、後日、メルケル首相と共に「国民の預金の安全を保証」したシュタインブリュック氏自身が次のように告白して話題になった。「あの時の声明には法的裏付けなど何もなく、議会の同意があったわけでもなく、われわれは『保証』できるような根拠など何も持っていなかった」。それでも二人揃ってメディアの前に登場し同じメッセージを発信したのは、これが個々の政党や省を超えた連邦政府の意志であることを国民に伝えたかったからだ、とシュタインブリュック氏は後から説明している。だが氏の説明を待たずとも、実は当時の政府関係者たちには全員、この時の二人の「保証」発言の危うさが分かっていた。「あれは、連邦首相府(注:連邦首相を情報面で補佐する役所)のごく内輪の人間の中だけで苦し紛れに決めたことだった」(当時の政府広報官)、「一体『預金を保証する』とはどういう意味なのか、株や債券も保証するのかなど、誰にもその内容は分かっておらず、ジャーナリストに細かく尋ねられたらお手上げだった」(当時の連邦首相府長官)、「多少とも経済知識のある人間なら、この発言がいかに大風呂敷なものかがすぐに分かった」(野党左党の政治家)― など、その後当時を回想する政治家たちからは驚くべき発言が次々出てきている。そもそもドイツ国民の金融資産は合わせて5.9兆ユーロ、そのうち銀行預金だけでも2.2兆ユーロに上ると言われており、これを一体国がどう保証できるというのか、考えてみれば不可能なことは明らかなのである。つまりこれは全く実現不能な空約束、内容を伴わない政府のポーズに過ぎなかったわけで、いわば国民はこの時、メルケル首相が発した「まやかしのシグナル」に乗せられ、その「余裕のポーズ」に騙されたのである。しかし、こうしてドイツは「黒い10月(schwarzer Oktober)」と呼ばれたこの200810月の危機を回避し、その後も大きな傷跡を残さずに金融危機を乗り越えるのである。そしてこれがメルケル首相にとっての最初の大きい成功となり、これ以来メルケル氏は「危機(に対処できる)首相(Krisenkanzlerin)」と呼ばれるようになった。

 

なぜ今こんな昔の話を引っ張り出してきたかというと、先日830日に公共テレビのARD局が、16年間のメルケル政権を振り返る中でも特にこの政権が直面してきた大型危機に注目するドキュメンタリー番組「メルケル政権の年月-ある一時代の終わり(Merkel-Jahre – Am Ende einer Ära)」を放映したからである。この番組は、メルケル首相がどのように危機に対峙し、あるいは危機に揺さぶられ、危機の真っただ中でどう人気を博し、あるいは人気を失ってきたかを、周辺の政治家たちの証言や印象をもとに振り返るものであった。前述のドイツの金融危機の後に訪れたのがいわゆる「ギリシャ危機」、そしてそれに続くユーロ危機である。国際経済がようやく「リーマン・ショック」から立ち直ろうとしていた矢先の2010年、ギリシャの財政赤字が政府によって隠蔽されており、実は公に発表されていたよりはるかに悪い状態であることが判明する。同国の経済成長率と見合わせると今後とても財政健全化は無理と判断した国際的な格付け機関が、次々にギリシャ国債を格下げしたためにこれが暴落。更にこれをきっかけに、財政基盤の脆弱さが疑われていた他の南欧諸国、イタリア、スペイン、ポルトガルにも注目が行った結果ここでも同じことが起り、一時はダウ平均株価でユーロが大幅に下落するという経済危機の連鎖が始まるのである。ギリシャをはじめとするユーロ圏の危機諸国を救済するために、EUECB(欧州中央銀行)、IMF(国際通貨基金)は三者合同での巨額支援を行わざるを得なくなるが、同時に支援条件として、特にギリシャには非常に厳しい財政緊縮が命じられた。この時のギリシャ市民たちの抵抗は激しく、その槍玉に上がったのがギリシャ支援策を進める中心にいたメルケル首相であった。その後急進左派のアレクシス・チプラス氏が政権を取ったことでギリシャの抵抗が最高潮に達した2015年には、メルケル氏は同国の市民デモやメディアで常に「横暴なナチ」に喩えられることになった。しかしこの時のメルケル氏は泰然自若、あくまでポーカーフェイスを保ち、ギリシャの街中で沸騰する罵声にも「民主主義社会では自由な発言が認められていて、非常に結構」と言っていたことが伝えられている。2015年の住民投票でいったん欧州の財政支援を断ることを決めたギリシャはいよいよGrexit(ギリシャのユーロ離脱)かと思われたものの、結局外からの支援なしにはこの国は立ち行かず、最終的にはチプラス政権が支援側の三者に妥協する形となって2018年にギリシャ危機は一応の収束を見たのである。

 

以上の二つの危機克服は、はっきりメルケル首相の成功に数え入れられる出来事である。一方でこれに続いた2015年の難民危機は、少なくともドイツ国内ではメルケル氏の求心力を大きく失わせる結果になった。これをきっかけに、主に東側の州で「難民排斥」を叫ぶ極右政党AfD(ドイツのための選択肢党)が大きく躍進、ドイツ社会の分断が始まったのはこの時である。更に、無制限・無計画の難民受け入れに強固に反対していた姉妹政党のCSU(キリスト教社会同盟:バイエルン州のみにある政党で、国政選挙においてはCDU(キリスト教民主同盟)と結束する)との亀裂も日を追うごとに深まり、2018年夏には、難民政策をめぐる埋めようもない対立から、CDUCSU両党はいよいよ分裂するかという一歩手前まで事態はエスカレートする。当時のCSU党首で、現メルケル内閣の連邦内務大臣であるホルスト・ゼーホーファー氏がこの時にメディアのインタビューで言った言葉-「私のおかげで連邦首相職にいられる人物に、(連邦内務大臣の)職を解かれるようなことは絶対させない」-はあまりにも有名になり、この年(2018)の「世相を表すせりふ(Satz des Jahres)」に選ばれた。結局その後両党の分裂は回避されたのであるが、この辺りから国内におけるメルケル首相の存在感は希薄になっていく。2018年末にメルケル氏は自らCDUの党首職を降り、2021年の総選挙にはもう出ずに現政権が終わった時点で政界を引退することを発表する。実際にこの翌年の2019年には、国内でメルケル首相の出番はほとんどなかったような印象がある。もしコロナが出現しなかったなら、おそらくメルケル首相は今回の総選挙後、影が薄いままにひっそりと政界を去ることになっていたであろう。ところが2020年に再びコロナという世界的な大型危機に見舞われたことで、様相は一変する。ドイツは再び「危機に対処できる首相」を必要とし、そして様々な批判はありながらもメルケル首相は全体として国民の期待に応えていくことになるのだ。コロナ危機の最中のメルケル首相については、敵対する他の政党の政治家たちも次のように語っている―「周囲がいくら慌てふためいていても、メルケル氏は一人静かなオーラを発していた」(左党の政治家)、「こういう大きい危機こそメルケル氏が得意とすることだ。彼女は毎朝世界をじっと眺めては、今日自分に何ができるかを考えているようだ」(緑の党の政治家)。乗り越えた危機、まだ乗り越えていない危機、手つかずのまま次期政権に残される問題―。もちろんメルケル政権の16年間には、政界、経済界、そして国民からも多くの不満や批判が残る。だが次々と持ち上がる大型危機にメルケル氏が連邦首相として真っすぐに向かい合い、冷静に理性的に対処しようと努力してきたことは、多くの人間が認めるところであろう。そして大きな危機が起こるたびに、与党野党を問わず他の政治家たちからは、数々の興味深いメルケル評が集まったのである―

「彼女は“今この時”の政治家だ。彼女の行動は“今この時”のものなのだ」―緑の党の政治家

「メルケル首相の飛行機に乗れば国民はとりあえず墜落することはないと安心していられるが、問題はその飛行機がどこに着くかが最後まで分からないことだ」―社会民主党の政治家

「スペクタクルやファンタジーで国民の心をつかむタイプの政治家を求める人に私は、一体そういう人物で16年間政権に居続けられた者がいるかと問いたい」―キリスト教民主同盟の政治家


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