アフガニスタンドラマとドイツの罪
(2021年8月11日付記事「アフガニスタン撤退は、われわれが敗北を認めたということ」の続報)
誰もが予想できなかったスピードでタリバーンが首都カブールをも制圧し勝利宣言をした8月15日の翌日、8月16日に、ドイツ連邦外務大臣のハイコ・マース氏(ドイツ社会民主党)は次のような声明を発表した。
目下カブール空港から入って来る画像は劇的で、恐ろしいものである。ここ数日の展開は何もかもが極めて苦いもので、アフガニスタンはもちろん、われわれにも長期的な影響を及ぼすであろう。言い繕うことはできない。われわれ全員 -連邦政府、情報機関、国際社会- が、状況を見誤ってしまったのだ。アフガニスタン政府軍がタリバーンを前にこんなにも早く逃亡し降参してしまうとは、われわれも、われわれのパートナーも、そして専門家たちですら予想できなかった。・・・今われわれが目にしなければならない光景、カブール空港の今この時の様子は、非常な痛みを伴ってわれわれ全員の心に迫って来る。・・・これからわれわれは、数多くの根本的な点を問いただしてはそれに答えていかねばならない。だが今は何より火急の問題が一つある。・・・連邦政府としてわれわれは、当地の壊滅的状況からなるべく多くの人間を救出するためにできるすべてのことをやる。われわれは人々の避難や救援活動を大至急開始している。現在すでに、連邦防衛軍の一機がカブールに向かっており、数時間のうちにカブールに到着する予定である。続く二機もすでに途上にある。・・・
マース外相はこの声明の中でドイツ政府も過ちを犯したことを認めているわけであるが、それは、「まさかこんなにもあっさりとタリバーンがアフガニスタン全土を制圧し、統治権を握ってしまうとは考えていなかった」という、アフガニスタン政府の戦力と自立性について過大評価していたことを指している。だがこの時点ですでにドイツの野党とメディアは、マース外相、そして連邦防衛相のアンネグレート・クランプ‐カレンバウアー氏(キリスト教民主同盟)の二人を、この悲惨な結末の主要責任者として吊し上げ始めていた。この二人の責任が厳しく問われたのは、過去20年間当地で様々に連邦防衛軍の任務に協力してきたアフガニスタン市民たちをなぜもっと早く脱出させなかったのか、という点である。
野党の緑の党(Die
Grünen)は、連邦防衛軍のアフガニスタン完全撤収が決まった4月半ばの時点からすでに、ドイツ兵の引き揚げよりもまず先に、今後タリバーンに命を狙われることになるアフガニスタン市民たちの避難とドイツへの移住手続きを速やかに進めるよう連邦政府に要求していた。これが遅々として進まず結局手遅れになったのは、当初は一般に、アフガニスタンからの移住者を受け入れるドイツ国内の書類手続きに時間がかかり過ぎたという点、つまりドイツの悪名高い煩雑にして遅すぎる役所仕事のせいだと言われた。しかし、今や緑の党はこれを「連邦政府が、2015年の難民騒動の再燃を恐れて、今回はアフガニスタン難民の受け入れをなるべく避けようと、意図的に遅らせたのだ」との観点に切り替えて、連邦政府を糾弾している。一方2001年末に連邦議会が連邦防衛軍のアフガニスタン派兵を可決したその当初から一貫してこれに反対してきた唯一の政党である左党(Die
Linke)は、20年間の出兵が無になった現在の壊滅的な状況に、「NATOが叫ぶ『対テロ戦争(War
on Terror)』では民主主義と平和は樹立できないと、われわれは最初から言い続けてきた」と繰り返し、ドイツの撤収については緑の党同様に連邦政府のやり方を徹底的に批判している。「出兵同様撤収も無責任な形で行われた。なんの戦略も非常プランもなしに、である。ドイツに協力してきたアフガニスタン市民たちやその他の生命が危ぶまれる人々を書類手続き抜きにまずはドイツに避難させよと要求した左党と緑の党の意見を、6月23日に連邦政府は却下した。キリスト教民主・社会同盟(CDU/CSU)と社会民主党(SPD)は、明らかに選挙の得票に響くことを恐れて、アフガニスタンの人々の受け入れを書類仕事にかこつけて遅らせたのである。ぎりぎりまで引き延ばし、受け入れは出来る限り遅い時点で、ということだ」。(左党ホームぺージの党の公式声明より)これら二つの野党に限らずメディアもこの成り行きには、連邦政府に対して非常に厳しい報道を続けている。8月25日には、本来ならまだ閉会期にある連邦議会が特別に開かれた。すでに8月16日から始まっている連邦防衛軍のアフガニスタン市民救出作戦に対して、後からではあるが議会の承認が必要だったからだ。救出活動自体は圧倒的多数で承認されたが、その後議会では連邦政府の失策をめぐって熱い議論が展開する。メルケル首相はその「連邦政府声明」の中でタリバーンの征服スピードを見誤ったことは認めたものの、この間違いを犯したのはドイツだけではないこと強調し、更にアフガニスタン市民の避難アクションを迅速に進められなかったことに対して納得できる説明を与えられなかった。こうして、メルケル首相も連邦政府も即、野党の集中攻撃を浴びることになった。左党議員からは「アフガニスタンの顛末は、16年続いたメルケル政権中最も黒い汚点となった」との発言も飛び出し、このせりふはその後そのまま様々なメディアに取り上げられることになる。総選挙を直前にして、アフガニスタン問題が連邦政府の大失点となり、選挙の大きな焦点の一つとなったことは間違いない。
国外派兵をした連邦防衛軍のミッションの中で、これまでで最も危険と言われたここ11日間のアフガニスタン市民救出作戦は、8月27日にまずは無事に終了した。この間にカブール空港付近ではISによる爆弾テロが起こり、死者が100人以上出て米兵が13人も亡くなったが、連邦防衛軍には死者も怪我人も出ず、27日には救出活動に出ていた軍用機がすべて無事にドイツに戻ってきたのである。この間に連邦防衛軍は、アフガニスタン市民と当地に滞在していたドイツ国民合わせて5000人以上を国外に避難させることに成功した。だが、ドイツに移住できる権利のあるアフガニスタン市民はまだ数万人残っていると言われる。これからどうする?という問題に、ドイツは依然として直面しているのである。西側の軍隊はタリバーンによってアフガニスタンから閉め出され、英国、フランス、イタリア軍もドイツとほぼ同時に救出作戦を終わりにして引き上げ、最後の米軍も8月31日で完全に撤収した。西側という共通の敵がいなくなった今、今度は統治しようとするタリバーンを敵視したISが国の治安を乱す目的で、次々テロを仕掛けてくることが予想されている。その犠牲になるのは市民たちだ。アフガニスタンは人命など全く斟酌しない内戦の危機にあるわけで、従って西側は今後、これまでの軍事行動を外交手段に替えてアフガニスタン市民の救出に努めねばならない。8月末からマース外相は周辺国を飛び回っている。まずはトルコに向かい、カブール空港との民間航空機の往来をそのまま保ちアフガニスタン難民を受け入れるよう依頼。続けてアフガニスタンと国境を接する隣国を訪れて、国境を越えてきたアフガニスタン市民が当該国のドイツ大使館にすぐ辿りつけるよう要請。タリバーンとのパイプを持つ国には今後の仲介を求める計画だ。ドイツではタリバーンと直接話し合いをする必要性も言われている。まずはタリバーンとの交渉の場を作り、これまでドイツのために働いてきてまだアフガニスタンから脱出できていない市民たちの安全を何とか確保しなければならないのである。一方EUはと言えば、現在、大勢のアフガニスタン難民の受け入れ態勢を加盟国間で取り決めようとしている。8月29日にEUは、これから来年にかけて各国が新たに何人難民を受け入れる用意があるかを9月半ばまでに申告するよう加盟国への呼びかけを始めたが、受け入れ国には難民一人当たり10,000ユーロの支援金を給付するという。これは「移住プログラム(Resettlement-Programme)」と名付けられ、主に今回の騒乱で国を脱出したいと願っているアフガニスタン難民が対象になる。ドイツも欧州も、犯した失策を何とか挽回しようと必死なのである。
前述8月25日の連邦議会では、熱い議論が始まる前に珍しい出来事があった。メルケル首相が政府声明を述べる直前に、連邦議会議長のヴォルフガング・ショイブレ氏(キリスト教民主同盟)が自ら発言を希望したのである。これはめったにないことだ。連邦議会議長というポジションはドイツでは大変に尊敬されており、「議会制民主主義の守り手」とも呼ばれる。国内儀礼上は公職として連邦大統領に次ぐ二番目の高位ポジションとして扱われている。その連邦議会議長の言葉には、従ってそれだけの重みがある。この時ショイブレ氏は、アフガニスタンの現状について次のように述べた―
カブール空港に集まっているアフガニスタンの人々の絶望を伝える映像に、われわれは胸を締め付けられる。彼らの運命に、われわれ西側諸国の自己理解は揺さぶられる。
「西側諸国の自己理解(Selbstverständnis)」とは、民主主義を当然のこととして最善のものと考える西側の価値観であろうか。その民主主義をアフガニスタンに植え付けようと努力した西側の20年間はほんの数週間で吹っ飛んでしまい、その事実を西側諸国は眼前に突き付けられた。そして今アフガニスタン市民は、出口のない恐怖に陥っている。この成り行きに、西側はこれから何をどう反省すればよいのだろうか。これは民主主義が突き当たる限界を、ドイツをはじめ西側諸国に見せつけた事件だったのだろうか。ドイツを含むNATOや米国が犯した失策とはまた別に、今ドイツは大いに揺さぶられているのである。
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