ボン共和国時代の女たちの闘い(新作映画紹介)
先日封切られたばかりのドイツ映画を見に行った。「屈しない者たち(Die Unbeugsamen)」という題名の映画であるが(トーステン・ケルナー監督、ドイツ国内封切りは2021年8月26日)、これは統一前の西ドイツの時代、国内では一般にボン共和国(Bonner Republik)と呼ばれる1949年から1990年までの時代に、当時まだ男性政治家に牛耳られていた連邦議会で、女性議員も男性議員と同等の存在であることを認めさせようと闘った女性政治家たちに焦点を当てたドキュメンタリーである。この映画は、制作側のコメントを全く出さぬまま、ただ当時の連邦議会の様子やメディアの報道、女性議員たちの発言や議会における演説、そして後から振り返っての彼女たちの回想やおしゃべりを記録するだけの内容に徹しており、彼女たちが闘ったこの時代をどう捉えるか、現在のドイツとどう結びつけるかなどの評価は、完全に観客一人一人に委ねている。それでも監督の意図は明らかだ。映画は、おそらく1960年前後であろう、まだ若々しいヘルベルト・フォン・カラヤン氏がダイナミックに力強く指揮を振るベルリンフィル(おまけに曲目は、ドボルザーク「新世界より」のあの迫力ある第四楽章)の演奏場面から始まる。この映像で、当時ベルリンフィルの楽団員が全員男性であったことがさりげなく示され、そこにボン共和国時代初期の政治を仕切っていた大物政治家たち(もちろん全員が男性)の顔写真や男だけのやり取り場面が次々被っていくという秀逸な出だしだ。葉巻やパイプを手に、三つ揃えやスモーキングジャケットを着こんだ男たちがなにやらひそひそと、あるいは男同士に特有のやり方で言葉を交わしている映像が流れて、いかにも「政治は男のもの」であり、女が一人もいない場でいかに男の政治家たちが生き生き伸び伸びと羽を伸ばして(遊んで)いたかを示す映像が流れる。そしてここで、1980年に連邦議会入りし男の領域に踏み込んだ女性議員の一人であるレナーテ・シュミット氏(社会民主党)の言葉が紹介される―「権力は女性のものではないと思われていました。当時は『女性と権力?』と末尾に『?』が付けられたのです・・・でも私はその『権力』が欲しかった。権力とは、自分が正しいと信じていることを通すために必要な力のことです」。主に1970年代から1980年代にかけてを中心に、連邦議会という男の領域(遊び場?)に優れた女たちが乗り込んで、迷うことなく真っすぐに、容赦なく徹底的に、だが同時に軽やかにチャーミングに女性議員の存在を主張して、その信念を通していく過程を見せるのが、この映画の意図なのだ。もちろん映画の末尾には、今や女性奏者も珍しくない世界的に著名なオーケストラで、かつてのカラヤン氏同様にダイナミックかつ力強く指揮棒を振る女性指揮者の映像が挟まる。そして当時政党の違いを超えて闘った女性議員たちの集合写真と一人一人の顔写真が紹介されて、この映画は終わるのである。
1949年に発足してから1980年代半ばまでの連邦議会の議員女性率は、全体の6~8%程度であった。それにしてもこの頃のドイツを直接知らない私にとっては、この映画の中に映し出された1980年前後の西ドイツの政治風景は驚くべきものであった。たまげたのは、当時の西ドイツの男たち、それも連邦議会議員という国政を担う立場にいた男たちの意識レベルの低さである。当時の男の議員たちが女性議員に向かって行った言動のひどさは目を覆わんばかり、今ならほとんど犯罪の領域に達している。脇を通った女性議員の背中にさっと手を這わせる男性議員。怪訝な顔で振り向く女性議員に向かって男性議員は「党の仲間と賭けたんだ、貴方がブラジャー着けてるかってね。おい(と仲間の男性議員たちに向かって)、着けてないぞ!」あるいは、男性議員に胸やお尻を触られるというセクハラ行為を連邦議会(!)で議題にせざるを得ない女性議員たちに向かって、男性ジャーナリストが真面目に問う、「そういう問題は、政治場面に出さなくても人間的に解決したらどうですか」。おまけにテレビの取材班も連邦議会におけるセクハラを面白がって、娯楽テーマのように市民にインタビューして回る。「女性の胸やお尻に触ることをどう思いますか」。これに答える一般市民の男性たち―「もちろんやりたいですね、でも連邦議会っていうのはちょっとね、プライベートならいいんだけど」。街中であれ酒場であれ、家の中であれ連邦議会であれ、女性はまず何よりセクシズムの対象だったのである。女性議員を自分たちと同等の存在と認められない男性議員たちから、「女は一人でいればきれいな花だが、大勢で出てくるともはや雑草だな」といった発言が飛び出すのも日常茶飯事であった。男性議員同様に選挙に勝ちせっかく連邦議会に出てきた女性議員たちが、こんなに低いレベルから男性議員の「教育」を始めなくてはならなかったのかという事実には驚倒する。それでもそんな男たちを適当にあしらい、あるいは男たちと正面から対決していく女性議員たちの演説がどれも素晴らしい。議会の圧倒的多数集団を作っている男性議員たちからのやじと嘲笑と侮辱が渦巻く中、決して感情的にならず、あくまで冷静に淡々と、論理とチャームで男たちを言い負かしていくのだ。1983年、婚姻において夫が妻に性交を強要することをも家庭内暴力として他の婦女暴行や強姦同様、刑罰の対象にすべきであると法改正を要求する緑の党を代表して、ヴァルトラウト・ショッペ氏が演台に立った。ショッペ氏は、妻である女性側にも自分の体のことは自分で決める権利があることを主張して、自ら避妊の手間を取ることすら怠る夫たちを非難する。男たちから上がる哄笑、嘲笑や「お前は魔女だ!」という罵声で騒然とする中、全く動じることなくひとしきり場が鎮まるのを待った後でショッペ氏は一言、「皆さんの反応を見て分かりました。皆さんにも思い当たる節があるわけですね」と付け加えた。議会は再び騒然とするのであるが、この時のことを振り返って別の女性議員は、「あの時はなんだかあの場にいた男たちを気の毒に思いましたね、ショッペ議員の発言に痛いところを突かれて、皆慌てふためいたんですよ」とコメントしていた。数の力や表の影響力とは別に、女性議員がまるで母親のように、発展途上の男性議員たちを正しい方向に導いてやっているかのような場面も、当時の連邦議会では見られたのである。1983年は緑の党の連邦議会進出で女性議員の数が増加した年であるが、緑の党の女性議員たちの演説が始まると、その背後で拍手して応援する同党の男性議員たちですら、 -彼ら自身、長髪に髭、ジーンズにスニーカーという格好で議会の中では十分目立つ存在であったにしても- 逆に彼女たちの「お飾り」のように見えた。
その他にも、NATOの二重決議(NATO Double-Track Decision:ソ連の核配備に対抗するために、NATOが1979年末に米国製中距離弾道ミサイルを西欧に配備することを決めた事件。並行してワルシャワ条約機構との軍縮交渉を進めることも決めたために「二重決議」と呼ばれる)を批判しての発言―「私たちがこの国に必要なのは新しいロケットではありません。新しい男たちです」や、政治における女性の役割をジャーナリストに聞かれて真っすぐ返された返答―「不可欠です。男性には先天的に争いを好む傾向があるのに対して、女性は仲直りを好む傾向があるからです」、あるいは、エイズ対策として同性愛行為を禁じようと主張する男性議員に向かって―「大事なのは禁じることではなく、彼らに説明して正しい情報を与えることです」、民主主義について―「社会の50%程度しか占めていない男性だけで作られるのはおかしいと思います。社会は男女半々で成り立っているのですから」など、所属の党に関わりなく彼女たちの発言は賢いだけではなく、どれも聞いていて実に爽快なのだ。それでも当時は、1980年代に入ってからでさえ、どんなに優秀でやる気と野心に溢れた女性議員たちであっても、ドイツに女性の連邦首相が登場するなどということはとても考えられなかったという。「アンゲラ・メルケル氏が連邦首相になったことも素晴らしいが、何より素晴らしいのは彼女が16年も首相であり続けたことだ」と、今彼女たちは言う。だがメルケル氏は、男たちが仕切ってきたピラミッドの頂点に自分の力だけである日突然立ったわけではない。彼女の登場を何十年もかけて用意してきた数多くの女性政治家たちがいたことを、この映画は語っていた。そして、それ以前の時代に緑の党の女性議員たちを迎え入れる準備をしてきたのも、その前の世代の他党の女性議員たちだったのだ。「闘い続けなければ、今手にしているものをまた失うことになる」と、1953年に連邦議会入りして文字通りボン共和国黎明期の最初の女性議員の一人となったマリー‐エリーザベト・リューデルス氏(自由民主党)は、社会における女性の地位について語ったことがあるが、連邦議会における闘いの中では、やがて女性議員たちの間に連帯意識が芽生えていく。「70年代ぐらいまでは女性議員たちは皆、それぞれ一人で周囲の男性議員からの圧力と闘っていましたが、やがて女性同士の結束を意識するようになりました」。偏見や先入観で男女の役割や特性、能力を決めつけては女性を見下し真剣に取り合わない男性政治家たちに立ち向かう中で、彼女たちの間に政党、そして意見や信条の違いを超えた暗黙のうちの連帯意識が育っていったのである。そして党を超えて彼女たちを結び付けていたのは、1949年から1972年まで連邦議会に所属し、その間大臣も務めたケーテ・シュトローベル氏(社会民主党)の言葉―「政治はあまりに深刻な事柄で、男たちだけに任せてはおけない」であった。
今現在、ドイツの連邦議員女性率は30.7%である。これは、今世紀に入ってから最低の数字で、特に前回2017年の総選挙で女性率はがたっと減少してしまった。その理由は、女性率が低い極右政党AfD(ドイツのための選択肢党)が議会に進出してきたためである。しかし、連邦議会が始まって70数年が経った今、ドイツは少なくとも、アナレーナ・ベアボック氏(注:現在、次期首相候補に立っている緑の党の女性政治家)に「家庭との両立をどうするのですか」という間抜けな質問をする男性記者が一人もいない程度にまでは進歩した、と言えるだろう。(そういう質問は男の候補者たちにせよ!)
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