真ん中(Mitte)はどこにある?

 総選挙が近づくとドイツのほとんどの政党が一斉に口にし出すのが、‟Mitte(真ん中)”という語である。「われわれが強化しようとしているのは、政治的に真ん中の層(politische Mitte)だ」(CDU:キリスト教民主同盟)、「両極化する社会においてもわれわれが声を上げるのは、政治的真ん中のためである」(FDP:自由民主党)、「われわれは多数派と真ん中の人々のための政治を行う」(SPD:ドイツ社会民主党)、「われわれは政治的真ん中にしっかりと根を下ろした」(緑の党)といった調子だ。おまけに、国民がとっくに極右政党として認識しているAfD(ドイツのための選択肢党)ですら、「現政権はこれまで、政治的に真ん中の層をないがしろにしてきた」と真ん中を擁護する側に回っている。「真ん中」とはもちろん右でも左でもない中道という意味であるが、こんなに沢山の政党が「真ん中」を主張すると、真ん中は随分混んでいるんだなと思わざるを得ない。加えて、そもそも「真ん中」があるためには右と左がなくてはならず、右も左もなければ真ん中もない。かつて(1986年)、伝統的価値を何より重んじるバイエルン州の保守政党CSU(キリスト教社会同盟)の党首を長く務め、またバイエルンの州相でもあったフランツ・ヨーゼフ・シュトラウス氏が、「合法的な民主主義政党が、われわれ同盟(注:姉妹政党であるCDUCSUのこと)よりも右に位置するということはあり得ない」と発言したのは有名な話だ。つまり当時のCDU/CSUは自分たちをはっきり「一番右」と位置付けていたわけで、そのライバル政党であったSPDは明確に「左」の立場を取り、両方の政党がこういうすっきりとした構図を示して選挙のたびに民意を問うたのである。だが今や、極右政党ですら「右」という言い方を避けるほどに、「右」は政党のイメージを損なう言葉になってしまったようだ。(そもそも極右政党が登場したからイメージが悪くなったのだろうと思われるが、当の極右政党自身が「右」という言い方を嫌うというのも滑稽な話である。ちなみにAfDは自称「保守的市民政党(konservativ-bürgerlich)」であるとのこと。)一方で「左」に関しては、ドイツには読んで字のごとく左党(Die Linke)があり、この政党だけは「真ん中」を叫ぶことなく左に落ち着いている。つまり、前述のシュトラウス氏の言葉を借りるなら「合法的な民主主義政党」ではないからCDU/CSUよりもずっと右に寄ってしまったAfD、それにあくまで左を貫いている左党の二つを除く残り四つの政党は、彼らが言うところの「真ん中」で、イモ洗いのようにひしめいている印象がある。

 

これら真ん中にいる(らしい)四つの政党の特徴は、その時々で自分の位置を少し右にずらしたり左に寄ったりして立ち位置を入れ替えていることである。だがそもそも、ひと昔前まで右と左にはっきり分かれていたCDU/CSUSPDは、なぜ両党ともに「真ん中」に寄ってしまったのか。最初に「真ん中」という語を使い始めたのは、CDUの政治家ヘルムート・コール氏だ。1983年春の総選挙の際に、経済リベラリズムを掲げるFDP(自由民主党)と連立して政権を取るための選挙プログラムの中で、コール氏は初めて‟中道連立(Koalition der Mitte)”という語を使った。このコール政権はその後16年間続くことになるが、その長期政権を倒して1998年に政権を奪い返し、首相に就任したSPDのゲアハルト・シュレーダー氏は、緑の党と組むにあたって今度は‟新しい真ん中(die neue Mitte)”という語を使い始める。「古い真ん中(CDU/CSUFDPの連立)」から「新しい真ん中(SPDと緑の党の連立)」に国を導いていくという意味であるが、事実このシュレーダー氏のもとでSPDは大きく右に舵を取ることになる。もともとSPDの中でも経済を大事にする現実派路線であったシュレーダー氏が成し遂げた最大の功績は、シュレーダー政権二期目(2002年~2005年)に実現した社会改革‟Agenda 2010”である。この名称は「2010年に向けての議題」という意味であるが、もともとこれは、EUが欧州強化のために掲げた政策を指して言われた名称であった。それがドイツでは、シュレーダー政権下の大胆な雇用市場及び社会保障改革として知られることになり、まさにこの改革がその後のドイツの失業率の低下と経済繁栄をもたらすのである。一言で言うならこの社会改革は、企業のみならず就労者各人にも自己責任を求めるものであり、「国は自ら助くる者を助く」を原則にして国の保障を削減、それまでのSPDの社会政策から大きく右寄りのリベラリズムに方向転換する内容であった。中でも最も有名な政策は、‟Hartz IV”として知られる失業保険改革である。社会保障改革のために編成された特別委員会の長を務めたペーター・ハルツ氏の名前をそのまま取って知られるこの政策は、それまで大変に甘かったドイツの失業者支援策を引き締め、失業手当給付期間を短縮し、その後の生活保護受給条件にも細かく制限を付けて、就労意欲のない者や失業者の義務ルールを守らない者は切り捨てていくという厳しいものになった。この‟Agenda 2010”は今日に至るまでドイツ社会に根付いており、実はこの時のシュレーダー政権の決断と実行から最も利益を得たのは、その後に続いたメルケル政権であると言われている。メルケル政権下で失業率がぐんぐん下降しドイツ経済が絶好調となったのは、SPDと緑の党によるこの改革がもたらした実りだったのである。

 

自分たちの業績の実りをライバル政党CDU/CSUに奪われる一方で、SPDではこれを境に内部分裂が始まる。党中央が進める右寄りの社会保障改革路線についていけなくなった党員たちが党を去り、やがて左党の結成に至るのである。そして党内部のみならず、支持母体であった労働組合も徐々にSPDを離れていくことになり、SPDの凋落は決定的なものとなる。シュレーダー氏が政権を取った1998年の総選挙で40.9%という得票率を獲得したSPDが、2017年の前回選挙ではその半分の20.5%にまで票を減らす。そしてこの下降傾向は今尚続いており、今年の総選挙ではSPDはせいぜい15%止まりではないかと予想されるほどに力を失ってしまったのである。それでもSPDはこれまで四期に亘ったメルケル政権と三回も連立し、政権に参加してきた。特にメルケル首相の第三次政権(2013年~2017年)においては、低所得者のための年金改革や最低賃金などの社会改革がSPD主導で積極的に進められたが、この時はCDU/CSUもメルケル首相もSPDが繰り出す政策に文句なく同意する姿勢を取り、CDU/CSUの左傾化が頻繁に取りざたされることになった。メルケル氏自身が「とても左寄り」だと言われたのもこの頃である。この時の連立政権にあっては、CDU/CSUSPDが党の名前を交換しても誰も気づかないであろうと揶揄されるほどに、両者はぴったり「真ん中」で出会って重なってしまったのである。もはやこの二つの政党の違いは全く分からないと外から批判されるたびにCDU/CSUであれSPDであれ、「われわれ双方ともに妥協する用意があるからこそ、常に行動する能力と意志を備えた政権となって、極端に右にも左にも寄らずに国を動かしていけるのである」と自己弁護してきた。「真ん中」というのは随分動く余地が大きい場所のようだ。そしてこの圏内に留まっていればどの政党も、多少立ち位置を左右にずらしたところで言い訳ができる。しかも本物の「右」や「左」を批判するにも都合がよい。「真ん中」は政治の演出に過ぎない、と言われる意味はここにある。「真ん中」は国民に政治の安定を保証し、穏当で無害な印象を与えるのだ。「真ん中」にいる限り、ナチや共産党の独裁政権が生まれる危険はない。国民は安心して、この圏内にいるどれかの政党に票を投じることができる。

 

しかし、複数の政党が出会っては妥協する場である「真ん中」から生まれる連立政権に最終的に妥協を強いられるのは、投票者である国民だ。少なくとも選挙前にはどの政党も他党とは異なる自党のプログラムを携えて出てくるわけで、国民はその中から一つの政党を選んで票を投じている。一つの政党が「真ん中」で他の政党と出会い、連立して政権を取るために妥協するという事態は、本来どの党にとっても「非常事態」(SPD議員ヨゼフィーネ・オルトレープ氏の言葉)であるはずだ。更に、いくら「真ん中」同士の政党であっても、連立話をまとめるのは簡単ではなく、時間もかかる。前回2017年総選挙後のゴタゴタは、とりわけ極端であった。総選挙が行われたのが2017924日、その結果を受けて第四次メルケル政権が成立したのは2018314日であり、なんと新政府が誕生するまでに半年近くもかかったのである。選挙の結果第一党となったCDU/CSUがなかなか連立相手を見つけられなかったのが、その理由だ。「真ん中」組の中からFDPと緑の党を選び、三党での連立政権を目指して交渉を進めたのであるが、数週間の交渉の末FDPが、「これ以上妥協はできぬ」とばかりいきなり降りたのである。この時のFDP党首クリスティアン・リントナー氏の言葉、「誤った政治をするぐらいなら、しない方がまし」には国民の賛否両論が集中した。これを、真ん中でひしめいていた一つの政党の意地と見るか、我儘で無責任な行為と見るか、意見が割れたわけだ。結局第一の連立選択肢が消滅したことで、残る選択肢は一つだけになってしまい、CDU/CSUとの連立は二度とご免だと断言していたSPDが「大妥協」をすることで(この時は連邦大統領まで出てきて、説得にあたった)なんとか連立にこぎつける。選挙から半年近くも経ったところで、ようやく新政権が誕生するに至ったのである。「真ん中」組の間にも乗り越えられぬ壁、決して折り合えぬ違いはある、ということだ。

 

もちろん各政党自身の中にも、「右派」「左派」という言い方ができる集団はある。ただし同じ政党の中であればそれでも一つの共通基盤はあるわけで、そこに立脚して党が分裂しないように努めるのがその党の「真ん中」の役目なのであろう。しかし、一つの政党が「真ん中」に位置していると言う時は、結局のところ極右でも極左でもないと言いたいだけで、あとは国民を安心させるためのレトリックに過ぎないように思える。真ん中というのは一体どこを指しているのか。究極の端っこ以外は全部真ん中、というのはいささか乱暴に過ぎるだろう。

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