ベラルーシ再び

2020821日付「ベラルーシ騒乱とロシアの思惑」の続報)

 昨夏の大統領選挙で堂々不正を行い「当選」を主張し、そのまま大統領の座に居座り続けているベラルーシのルカシェンコ大統領に対するベラルーシ市民たちの抗議運動と民主化を求める運動は、今また新しい局面を迎えている。523日、26歳の反体制派フリージャーナリストでブロガーのローマン・プロタセヴィッチ氏を逮捕するために、ルカシェンコ大統領がなんと“ハイジャック”まがいの暴挙に出たのである。現在リトアニアに亡命中のプロタセヴィッチ氏は、この日、ライアンエアの航空機で出張先のギリシャからリトアニアに戻る途上にあったのだが、途中この旅客機がルカシェンコ氏の指示で強制的に航路を変更させられベラルーシの首都ミンスクに着陸させられたのだ。機内に爆発物があるという通報を受けての措置であったとベラルーシ政府は主張しているが、すでに長く政府のブラックリストに名前が挙がっていたプロタセヴィッチ氏を逮捕する目的であったことは明々白々で、実際に氏は着陸後即座に逮捕された。もちろん機内に爆発物は見つからず、その後航空機は再び離陸を許される。プロタセヴィッチ氏と彼に同行していたパートナーの女性の二人が逮捕されるや、ベラルーシ政府はこの航空機への関心を無くしたのである。直後から欧州は大騒ぎになった。ルカシェンコは‟政敵”を捕まえるためにはもはやこんなテロまがいの手段に出ることすら厭わないのかという点に、EU諸国はまず衝撃を受けたのである。

 

翌日の524日はEU加盟国首脳によるEUサミットが予定されていたが、当然のことながらこの日の最初の議題は、ベラルーシ政府への制裁内容であった。プロタセヴィッチ氏逮捕の報道がなされるや、欧州委員会もEU加盟国も次々ベラルーシ政府に対して氏の釈放を求める声明文を出すが、ルカシェンコ大統領は全く意に介さないそぶりを続けた。昨年からずっと続けられてきたベラルーシ市民の反体制運動への暴力的な弾圧に対しても、EUは、ルカシェンコ氏周囲の政府高官に対する制裁(入国禁止と資産凍結)をとっくに始めているのだが、これらがこれまで効果があったとはとても言えない。今度こそもっと厳しい制裁を求める声がEU内部からも大きく出て、この日27か国はその内容を決めた。それは次のようなものである― ①ベラルーシ航空のEU内航路及び空港利用の禁止と、ベラルーシの領空内飛行を控えるようにとの他国への要請(注:これはベラルーシに、他国からの領空内通行料が入ることを妨げるための措置)②政治家のみならず、関連個人や企業への制裁拡大(入国禁止と資産凍結)、③EUからの30億ユーロ投資支援計画の中止、④ベラルーシの主要輸出品目である石油及び炭酸カリウム関連業界への経済制裁。今回EUはなにがなんでもルカシェンコ政権に打撃を与え、ルカシェンコ氏を失墜させてベラルーシが改めて民主的な選挙を行えるまでに持っていきたいわけであるが、EUがここまで必死になるのには理由がある。もちろん一つには、また新たな逮捕者が出てその人物の命が危ぶまれる状況であることもあるが、EUが焦る大きい理由は、今回のルカシェンコ氏の国際協定や法を完全に無視したやり方にある。国際社会での評判を失った国がその後どこまで犯罪行為に走り得るか、という例を示したのが今回のベラルーシなのである。国際的な民間航空協定を無視して、無理やり航路を変更させただけではない。その際にベラルーシ政府は軍用機を飛ばしてこの民間旅客機に接近させ、方向転換を指示させたのだが、これ自体も大変に危険を伴うやり方であり、この時旅客機に乗っていた民間の乗客約170人の命までもが危険に晒されたのである。この行為はEU内では「空の海賊行為」とも呼ばれた。EUが危惧しているのは、今毅然とした態度を取らないなら今後世界の中に、ベラルーシのこの無法なやり方を真似する国がほかにも出てくるのではないかという点であり、だからこそEUも今回こそは妥協のない厳しい姿勢で臨まねばならなくなっているのである。

 

一方でルカシェンコ氏の方は予想通りロシアに擦り寄って、プーチン大統領の支援を求めている。というより、ベラルーシ政府の一連の動きの背後には、最初からロシアの、少なくとも同意があると欧州では見ている。ロシアの了解なしにルカシェンコ氏がここまで強気に西側諸国を敵に回す行為に走るとは考えられないからだ。従って今回ベラルーシへの対応を決める中で、EUが本当に相手にしなくてはならないのはロシアということになる。そのロシア政府は今回の‟ハイジャック“について、「西側がこんなに衝撃を受けている、ということがわれわれには衝撃だ」とコメント。これはたまたま起こった爆弾騒ぎであり、結果的にベラルーシが「幸運にも」政治犯を逮捕できたという「内政問題」に過ぎず、ロシアはもちろん関与していないと公式発表をし、その上で「西側は何が起こっても背後にロシアの関与や責任を見ようとしており、反ロシア気分が蔓延している」と苦情まで申し立てた。更に、たとえベラルーシが強制的に旅客機をミンスクに着陸させたにしても、同じことを過去に米国もやっており(注:2013年に米国が、スノーデン氏逮捕のためにボリビアの大統領機をウィーンに強制着陸させた事件。実際にはスノーデン氏は搭乗していなかった)、あの時は欧州も騒がず制裁も罰則も何もなかったではないかと指摘。おそらくロシアは最初からこの論拠を用意して、ベラルーシ政府に入れ知恵したのだろう。今回ルカシェンコ氏の求めに応じてプーチン大統領は528日に氏をロシアに迎え入れ対談しているが、プーチン氏は終始上機嫌であったことが伝えられている。これでベラルーシは完全にロシアの手の内に入ったということであろう。四面楚歌となったベラルーシは、もはやロシアに完全に依存するしかなくなったのである。ドイツのメディアの中には、今回の一件で結局ルカシェンコ氏は敗北したのであり勝利したのはプーチン大統領である、と伝えているものもある。

 

ベラルーシで立ち上がった市民たちのデモは、昨年来多くの逮捕者を出してきた。ジャーナリストは真っ先に狙われ運動家たちが次々逮捕されて、その数は延べ35000人(!)にも上るという。今現在も400人以上が監禁され取り調べを受けており、留置所や取り調べ室で彼らがどのような扱いを受けているのかは分からない。昨年ベラルーシ市民たちはそれでも果敢に抵抗を続けていたが、ベラルーシ政府がどんな手段にでも出ることが明らかになった今、ベラルーシ国内では危険が大き過ぎて市民のデモやストライキは影を潜めている。その代わりに、ポーランドやリトアニア、ウクライナで、これらの国に逃れたベラルーシ市民たちによるルカシェンコ反対運動と政治犯の釈放を求める運動、そして欧州や米国に助けを求める運動は続けられている。こんな中の530日、ドイツの公共テレビ局はニュース番組の中で、リトアニアに亡命し、命の危険に晒されながらもそこから反体制運動を指揮しているスヴェトラーナ・チハノフスカヤ氏に直接インタビューを行った。10分足らずのインタビューであったが、優し気な黒く大きい瞳を持つこの38歳の小柄な女性が静かに語る一言一言からは、驚くべき勇気と強い信念がにじみ出て聞く者の心を打った。以下、この一部を紹介する―

問:ベラルーシ国内ではもはや市民も反対運動を繰り広げることができなくなっていますが、反体制運動家たちの中にはまだどのくらいの力が残っているのでしょうか。

答:私たちの力が無くなったわけではありません。国家が武器で弾圧してきても、変化を求めて私たちの中で燃えている炎が消えるわけではなく、私たちが闘いを続けることには変わりありません。ただ私たちが望んでいるのは、この政治上、人道上の危機を平和的に解決することです。

問:EUは逮捕された400人全員の釈放をベラルーシ政府に求めていますが、これは現実的な要求だと思いますか。

答:もちろんです。EUはこれを要求しなければなりません。今も起こっている政府の暴力は、国家の暴挙に対してなんの罰も与えられずにきてしまった結果なのです。昨年12月以来EUからは、制裁をめぐる新たな決定や通告は何もありませんでした。今ベラルーシで起こっていることは、この結果なのです。

問:貴方は本当に、近い将来ベラルーシが民主的で自由な国に生まれ変わる可能性を信じていますか。

答:ベラルーシは精神的にはもうとっくに自由になっています。あとは人々を肉体的に開放しなければならないだけです。

問:今回のベラルーシの改革運動の中心になったのは女性たちですね。(注:ルカシェンコ氏の有力対抗馬として大統領に立候補した男性たちが選挙前に逮捕された後、チハノフスカヤ氏自身を含め夫の代わりに彼らの妻たちが表に立ち、抗議運動を主導した。またデモでは全体的に女性の姿が目立った。)女性が中心になったことで、今回の抗議運動には何か構造上の変化がありましたか。

答:生まれつき女性は強いのですが、今回の状況では何人もの女性が、逮捕された夫の代わりに表に立つことを強いられました。その中で彼女たち自身が成長したのです。でも、ベラルーシの市民運動を支えているのは性別、年齢、職業などの差を超えた国民の幅広い層であり、その意味で性別による大きな違いはありません。

 

このインタビューを放映した後でインタビュアーを務めたキャスターは、これが実はこの日の収録ではなく前日の土曜に撮られたものであることを付け加えた。日曜は避けて欲しいというのはチハノフスカヤ氏側のリクエストであったという。いきなり逮捕された父親に会えぬままによその国への亡命を強いられた彼女の小さい子供たちは今何より母親を必要としており、日曜は子供たちのためにだけ使いたいから、というのがその理由であった。 

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